音楽は「消費」したくない。
こんにちは。桜小路いをりです。
この前、YouTubeでこの動画を見つけました。
「音楽的同位体」の花譜さんと可不さんが歌う「フォニイ」です。
機械っぽさを残した可不さんの歌声と、吐息が混じったり苦し気に押し出すような瞬間が印象的な花譜さんの歌声。どちらも、どこか舌足らずな感じが耳に残り、何度もリピートしてしまいます。
“ふたり”で歌っているのに、ひとりのような。そんな繊細なハーモニーが印象的です。
また、イラストでは“おふたり”が同じ空間にいるにもかかわらず、リアルでは決してそのツーショットを見ることのできない「人間」と「AI」というのも、少し切ないなと感じました。
そして、この動画を見てもうひとつ思ったのは、
「『フォニイ』って少し前に話題になったばかりだと思ったのに、気づいたらすっかり聴く機会が減っている」ということ。
流行りの音楽はどんどん移り変わって、ネット上で流行るのは、ほんの一瞬。
あの時、あんなに「いい」と思ってリピートしていたはずなのに、気づけば、すぐに違う曲ばかり聴いていて、流行ったことすら忘れてしまっている。
これって、コンテンツを「消費」しているということなのでは? と思いました。
でも、できることなら、私は音楽を「消費」したくありません。
「音」という、すぐに空気に溶けて消えてしまうものだからこそ。
それが残す、わずかな空気の揺れ、余韻、心に残す何かを、きちんと記憶に刻んでおきたい。
そして、いつか、刻みつけた記憶が私自身に必要になるその時まで、大切に取っておきたい。
いつか、もう一度聴く機会ができたとき。
「あ、昔流行った曲だ」
ではなく、
「あ、この曲は、あの時に『私にこう思わせてくれた曲だ』」
と思いたいです。
「消費」して、跡形もなく失くしてしまうのではなく、また開けるときを夢見るタイムカプセルに仕舞うように、音楽を大切にしていきたいのです。
蓋を開けたとき、その楽曲の感じ方は、きっと変わっています。
こんな曲だっけ?
こんな歌詞だっけ?
こんな歌い方だっけ?
それは、自分自身が「進化」しているからですし、楽曲自体も、時を経て「進化」しているからだと思います。
「音楽を『消費』したくない」
これは、様々な音楽が巷に溢れ、刻々と流行りが変わっていく今、私が最も訴えたいと思ったことです。
今、流行っている曲を、5年後、10年後、聴いている人に出会ったとき。
「なんでそんなに古い曲を聴いているの?」
ではなく、
「その曲、私ももう1回聴いてみようかな」
と言える人になりたいです。
音楽は、容易に「消費」できるものではないはずだから。
音は消えても、聴いた人の心に、ずっとずっと何かを残すものであるはずだから。
その1曲には、作った方、歌っている方の、人生全てが懸けられているはずだから。
私は、そう思って、音楽を聴いています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。