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音楽を聴くとき、誰かに流されていないか不安になる

こんにちは。桜小路いをりです。

少し前に、自分のウォークマンに入っている曲を確認していました。

シングルとアルバムで重複している曲があったり、プレイリストを整理したり、自分の「お気に入りの曲」が詰まったウォークマンの中身を確認していると、ふと思ったことが。

私のウォークマンに入っている曲って、「有名な曲」ばかりなんじゃない?

それ自体悪いことではないし、「いい曲」だからこそ「有名な曲」なのだから。

そう思うことにしたけれど、なんとなく「無個性」な感じがして、心の奥がモヤモヤしてしまいました。

そして、さらに感じたのが、誰かの評価に流されて曲を聴いているのではないか? ということでした。

何かのランキングで上位。
再生回数何万回。
CD売り上げ何十万枚。

音楽についての話題って、どうしてもチャート成績や売り上げについてのものが多くて。

YouTubeで曲を聴いていると、おすすめの動画が出てきて、サムネイルのすぐ傍には再生回数が書いてある。

なんとなく、「再生回数が多いからいい曲なのかな?」と再生してしまう。

音楽って、評価ばかりを気にして作るものでも、評価に流されて聴くものでもないはずなのに。

売り上げとか関係なく、私はこの曲が好き。
ランキングとか、どうだっていい。
好きなものは好きだから。

胸を張ってそう言いたいし、ちゃんとそう思っているけれど、「大衆の評価に流されていないか」たまに不安になることがあります。

テレビで紹介された曲を聴いて、「今流行ってるんだ。聴いてみよう」と思うとき。

どんどん移り変わっていく「話題曲」を耳にして、それらを聴くたびに「いいな」と思うとき。

私は今、心の底からこの曲を「いいな」と思ってる? 

コメント欄の評価に引きずられていない?

そうやって自問自答する過程で、自分らしさができるのかな、と考えたりもしています。

ネット上には、いつだって「誰かの意見」が溢れていて、いつだってそれに引きずられそうになってしまうから。

自分の中の本心にきちんと耳を傾けて、「誰かの意見」に引きずられていないか、その「誰かの意見」をどのくらい信用するのか、どの程度参考にするのか、きちんと考えていきたいな、と思います。

誰が何と言おうと、私はこの曲が好き!

そう言えるくらい、自分の心に自信をもちたいです。


今回お借りした見出し画像は、灯台の写真です。夕方の時間帯のものでしょうか。海辺で真っ直ぐに立ち、ひと晩中、真っ暗な海を灯し続ける灯台は、どこか孤高の存在のように感じます。ほとんどの人が寝静まる時間、自分の仕事に誇りをもって光を放ち続ける姿。私の記事も、いつか、そんな「灯台」のような存在になったら嬉しいです。

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桜小路いをり
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。