舞台「MUJINA」感想 その1
ちょっと時を遡ってしまうのですが、
8.25(日) 14:00〜 studio P'
Gahornz Remake2「MUJINA」
観てまいりました。
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まったく残暑の厳しい日曜の昼下がりであった。
右手で凶暴な陽光を少しでも遮りつつ、
JR田町駅の芝浦口から渚橋に向かって歩く。
「studio P'」なる劇場に行くのは初めてで、google map によると駅から約1.3kmの道のり。
歩いて17〜8分ほどであろうか。
つよい日差しの下、なかなかの距離ではあるが、久しぶりの潮風がなんとも懐かしく、運河と林立する巨大な倉庫群を眺めながらゆっくり歩いた。
日曜なので、運河にも倉庫群にも、船影も人影もなく静まり返っていた。
「いい感じだな」などと呟きながら眺め歩いているうちに時間が押してしまい、足早に劇場へ急ぐ。
到着がギリギリ開演5分前になってしまったが、今度は入り方が分からない。
入り口はオートロックで、建物自体はマンションなのである。
あわてて当日連絡先のアドレスにメールしたところ、すぐさま返信あり、劇場の部屋番号とインターホンの位置を教えていただいた。
(出演者の安達俊信氏から事前にLINEで入館方法を知らせてもらっていたのだが、急いでいたので見逃していた。ごめんなさい)
教えられたとおり入館し、EVで上階に上がる。指定の部屋に入ってみると、そのままマンションの一室が劇場となっていた。
天井の高い、コンクリート打ちっぱなしの20畳ほどもあろうか、広いリビングの真ん中に一つの長テーブルと向かい合った椅子があり、どうやらそれが「舞台」のようであった。
カーテンはおおむね閉じられ、薄暗い。
テーブル奥のカウンター・キャビネットの上には、古めかしいLPプレーヤーやら文房具の類い、幾冊かの本やファイルなどが置いてある。壁には絵も掛かっている。
その「舞台」を挟んで、リビングの左右の壁ぎわにはソファやパイプ椅子が並んでおり、それが客席である。
私のあとにも何人か客が入って来、漸く全員が揃ったのか、受付の男性によってこの部屋の鍵が閉められた。
そして暗く、静かなこの空間におもむろに一人の男が現れ、ひかえめな明かりを点け、
レコードに針を落とすと、けっこうな音量でオールディーズが流れ出す。
それが開演の合図であった。
ここはあるレンタル・オフィス。
最初に現れた男はそのオーナーである。
男は夢のある若者に格安でオフィスを貸し出していた。
数々の夢ある若者がそこで成功し、葛藤し、挫折し、また成功し、輪廻のように入れ替わるなか、オーナーはそれなりに遣り手で、堅実な経営を続けている。
ある日、このオフィスを借りたいと現れた若い男とオーナーの男の面談から物語は始まる。
若い男はオフィスを借りて実現したい己の夢を語るが、オーナーとの問答のなかで、しだいに自分のなかの暗い部分をも直視せざるを得なくなっていく。
「夢」というが、それが自らの人生の輝ける未来であると希望するとき、その光には必ず影の部分もあろう。
「夢」は決して無償では叶えられないもので、たとえ自らの全てを蕩尽してさえ、叶えられるかどうか不確かなものだ。
生きるとはそもそも理不尽である。
光と影を等量に抱えた不安定な若い男から、
その交際相手の経営者の女性、
またそのビジネスパートナーと、
このレンタル・オフィスで若者たちは交錯しつつ、成功と挫折、希望と絶望の輪廻を繰り返す。
このレンタル・オフィスの中で織りなされる若者たちの人間模様には、観るものをして惹きつけられるものがあった。
それは誰しもが多少なりと経験したことのある、言ってしまえば「青春」そのものの姿がそこにあったからに違いない。
「夢」は前途ある若者の特権であるとも言えるが、それがために苦しんで、時には笑い、時には泣く。一歩前進したかと思えば、二歩後退を余儀なくされる。
泥沼にはまりこみ、もがけばもがくほど沈んでゆく。
「夢」の強度がつよければつよいほど、苦しみもまた深い。
そのような日々が「青春」でなくて、なんであろう。
劇中においてたびたびかけられるレコード、
シナトラの甘い歌声の懐かしさ。
私はフランク・シナトラの曲もろくに知らない人間だが、なぜ、これほどに懐かしく感じ、しぜんな涙すら誘われるのか。
それは舞台上のそれぞれの人物が体現する甘くほろ苦い青春が、まさに自らの過ぎし日の記憶として甦ってくるからにほかなるまい。
〈続く〉