新城勇の断片記5

大学2年生になった夏休みのある日、エアコンのないボロ下宿の灼熱地獄に耐えかねて、朝一で行きつけの区立図書館に行きました。

バイトもない日だったので、今日はここで一日読書と勉強だと思いつつ、とりあえず新聞の朝刊をひらいたところ、ある一点から目が動かなくなりました。

そこには、江藤淳先生が自裁されたとの大きな見出しがあったのです。

しばらく頭が働かないまま、記事を追いました。

前年に奥様を病で亡くされていたこと、そのことに苦しみ続け、ご自身も体調を崩されていたこと。

前の年、私とすれ違ったときの先生は、ちょうど奥様を看病されていた最後の時期だったのです。それで新入生のオリエンテーションにもいらっしゃらなかったのでしょう。

あのときも、心の内ではどれほどの辛さ、苦しさを抱えておられたのか。

私は茫然とするしかありませんでした。

高校まであれほど理解ができなかった英語も、
大学生になって非常に遅まきながら、段々と分かるようになってきていました。
来年こそ先生の教えをうけるのだと思っていました。

それも儚くなってしまったのです。

先生の本はいろいろ読みつづけていましたが、
先生の文学からは、問題に対する姿勢、自分が疑問に思ったことを、自分の頭で考え抜くということを学ばせていただいたと思っています。

それはもちろん、その問題に関する様々な評者の論もしっかりと読んだうえで、最後は自分だということです。

人間関係やら、仕事がらみやら、
学閥やら、党派性やら、世間の多数派の力やら、
なにかしらの他者の意向にからめとられることなく、さまざまな意見を聞きつつも、最後は己の頭で考え、判断し、己の意見として言うことです。

それは換言すれば、自ら答えを求めつづけることとも言えましょう。

答えを求めつづけているのであれば、異質な他者との対話も可能である。
答えを知ったと思い込んだ者は他者との対話を望まない。他者にその答えとやらを押し付けるだけである。

私は直接先生の謦咳に接することは結局できませんでした。しかし、先生の文学から、そういう自分の芯となるものを学んだと思っています。

答えは求めつづけるものだが、そのためにも、かんたんに何かに迎合することのない確固たる自己が必要である。

私は私の考えをただ深めるというだけでなく、世に出たときにしっかり己を保って、人生において果てしのない答えを求めつづけていけるよう、この学生時代に私の土台を築かなければと思いました。

人生は儚く、そして理不尽である。

しかし、自らの頭で考え、生きていくことができれば、人生を自分なりにつかまえることができるのかもしれない。

それこそ、私の求める人生なのではないか。

やはり先生との出会いと、この出来事は、私にとって決定的だったと思います。

〈続く〉

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