舞台「ふるさとの唄」感想 その1

9.29(日)14:00〜 ザムザ阿佐谷

観てまいりました。

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舞台は、大東亜戦争(太平洋戦争)末期。
1945年6月の沖縄本島南部、
島尻地区のある地下壕。

4月1日の米軍上陸から始まった沖縄地上戦は、
いよいよ最終局面を迎えていた。

2か月間にわたる激しい消耗戦のすえ、
日本軍は米軍の圧倒的な兵力物量に押され、
ついに首里を中心とする主陣地帯を放棄。
南部島尻地区へと全面撤退を余儀なくされた。

島尻地区には天然の鍾乳洞が無数にあり、日本軍はこれらを地下壕として活用し、最後の抵抗を試みようとしたのである。

ただこれまでと違うのは、それまで後方にいた非戦闘員も、軍と入り乱れて、もはや戦場になりつつある地下壕に避難せざるを得ない場合が多かったこと。

舞台となる壕もその一つである。

地上の殷々たる砲声が止まないなか、この壕には、本隊からはぐれ損耗した小隊、軍医、負傷兵、従軍看護婦、ひめゆり学徒隊、一般島民などが、それぞれの思いを胸に秘めて、身を潜めている。

しかし、この小さな壕にも「最終局面」は迫っていた。

観劇していて私の胸を去来したのは「独立機関銃隊未だ射撃中」という古い映画だ。

これは終戦直前、ソ満国境のあるトーチカに陣取る日本軍の重機関銃分隊の物語だが、
この「トーチカ」が一つの象徴的役割をしめしていたように思う。

自らが守られているもの、また守るべきもの。

この「ふるさとの唄」において、
それはこの「地下壕」である。

そしてそこには「非戦闘員、民間人」もいる。

これは私たちにとっての「国」というもののメタファーと見れないこともない。

そこでは日本軍が非戦闘員、民間人を犠牲にしていたのではないか、という指摘はあろう。

数々の証言から、それが事実としてあったことは否定できない。

だが、それだけが「全て」であったわけでもないはずである。

それが人の世というものであろう。

この物語における日本兵たちは、良心的な少尉に率いられ、本隊への合流つまり任務を最優先とせず、地下壕に留まって可能なかぎり民間人を守ろうとする。

少尉は、自分たちにとって本当の「任務」とは、自分たちは何のためにここに「いる」のかと思い悩む。

自分たちの本当のつとめは、武器を持たぬ同胞を敵から守ることではないのかと。

途中登場する日本軍の別部隊の指揮官は、軍人として作戦上の任務を何よりも優先するべきだと言い、少尉と激論を交わす。

守るべきものとは何か。
任務か、目の前のかよわき同胞か。

そして事ここに至って、なぜ民間人を降伏させないのか、死に追い詰めていくのかと、人の命をつなぐ医師として苦しむ軍医の必死の訴えは胸を打つ。

これらはもしかしたら、当時実際に存在した名もない日本軍将兵らの渾身の叫びであるのかもしれない。

「独立機関銃隊未だ射撃中」が、1945年8月のソ満国境陣地で全滅した無名兵士たちの「記憶」であったように、

この「ふるさとの唄」もまた、そのような無名の日本兵たちの叫びを呼び覚ました作品であるのに違いないと私は思うのである。

〈続く〉

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