丸森時間差遺産 第1話「小高い駅のホーム」
1996年。18歳の僕は進学のため、仙台で念願の一人暮らしをすることになった。すでに荷物は新居となるアパートに送っており、一人暮らし前としては最後の実家での夕食。この漬物の味ともしばらくお別れだなと、白菜の味を噛み締めていた。最後の晩餐ならぬ最後のばあちゃんの漬物である。お湯1に対してウイスキー3ほどの濃いめのお湯割りが好きだった父からは、丸森からでも通えるだろうとしつこく説得をされたが、故郷への未練1に対して都会への好奇心9という濃いめの自立心に溢れていた僕は「自分の足で歩く人生にしたいんだ」と、何も具体的にしない返答でなんとか乗り切った。
翌日、実家から駅までは徒歩20分という微妙な距離なのだが、両親が車で丸森駅まで送ってくれることとなりホッとした。初日から親の車に乗せてもらう時点で、自分の足で歩いていないなと矛盾を指摘したくなるが、後に社会で出会う「わからないことは聞けよ」と「それくらい自分で考えろ」という矛盾する言葉を魔法のように使いこなす上司に比べれば可愛いものだと許してほしい。駅に着き改札を出て振り返ると、母がスズメの声にさえかき消されそうなボリュームでこう言った。
「いつでも帰っておいで」
さぁ、夢の一人暮らしだと期待に溢れる初日から湿っぽいこと言うなよと苦笑いを返したが、それが以後25年以上勇気をくれる記憶となることを、意気揚々と阿武隈急行に乗り込み、これから社会でとんでもない苦労をするであろうこの若者は、まだ知らない。
帰れる故郷があると思えるのは幸せなことだ。僕のように仙台や東京のような都会で夢に挑戦しようとする者、あるいは海外に出ることも珍しくなくなった現代において、その価値はさらに高まっているように思う。小さな駅のホームから改札の外を臨むあの丸森駅の風景を思い出すと、どこにいても待っていてくれる故郷があるという特別な安心感を得られるのだ。帰れる故郷があるから、帰らずに頑張れる。後に気づくその矛盾ともいえる価値を、後世に伝えていきたいものである。