丸森時間差遺産 第9話「あたりまえの鉄道」
ガタンゴトンッ。ガタンゴトンッ。心音のように繰り返す心地よいリズムを感じながら、窓の外を眺める。新車両に切り替わっても変わらない、どこか懐かしいボックスシート。気のせいか、周りの家族連れや若者、おじいちゃんおばあちゃんも穏やかな表情に見える。みんなどこへ行くのかな、なんて想像しながら、久しぶりに乗った電車の魅力を改めて味わっていた。
「あぶきゅう」の愛称で知られる阿武隈急行との出会いは小学生の頃。シンプルな白い車体に描かれた青と緑のラインに一目惚れ。どこを走っていても絵になるその姿を、文字通り思いを込めて描いた絵が、地域のコンクールで入賞した記憶がある。親戚の家へ遊びに行く時も、仙台に映画を観に行く時も、高校時代にサッカー部で練習試合に向かう時も、阿武隈急行は僕の青春時代と共に、いつもあたりまえのように穏やかに隣にいてくれた。
阿武隈急行は福島駅から槻木駅に至る鉄道であるが、実はこの丸森角田を通って槻木へ至るルート、もともとは明治時代に東京から青森へ繋がる鉄道路線計画で、仙台と福島をつなぐ本線として計画されていたことをご存知だろうか。最終的には蒸気機関車の排煙が養蚕に悪影響があるという地域の反対や、現在の東北本線ルートでも難所だった峠が技術の進化によって通れるようになったなどの理由で本線計画からは外れたらしい。穏やかなローカル線のイメージが強い阿武隈急行だが、もしかしたら東北の主要な本線として、イケイケな路線(別に今の東北本線がイケイケというわけではないが)になっていたかもと思うと不思議な気持ちになる。
だが、あたりまえに隣にいてくれた阿武隈急行も、震災や台風による甚大な被害によって、何度も長期的に運転を見合わせている。関係者のみなさまの努力によって復旧が報告される度に、「良かった」と心の底から胸を撫でおろしたものだ。あたりまえだと思っていることが、あたりまえにある。それがいかに幸せなことか。人口減少やコロナ禍によってローカル線をとりまく環境は厳しさを増しているが、「もし無くなったら」と想像すると、とてつもない喪失感を覚えるのだ。地域の生活を支えてきた存在の大きさを改めて実感し、最近はまたあぶきゅうのお世話になっている。
そろそろ槻木駅。乗り換えのために立ち上がり、小さな車内を振り返りながら、この路線が乗せてきた歴史を想像し、「どうか、これからもずっと」と、あたりまえであるように願った。