「こんなんだったら自分でも書けるわ」と言われて思うこと
私のような職業的な書き手と彼らのようなアマチュアの凄腕に差があるのだとすれば、「職をなげうっているかどうか」だけだ。
小田嶋隆の遺稿集『コラムの向こう側』(ミシマ社/2022年8月30日刊行)の第4章『晩年は誰のものでもない』の157ページに、こんな一文がある。
以前、アマチュアの文章を添削する機会があり、毎度毎度、趣味でものを書いている人たちの筆力の向上ぶりに驚かされた──という話に続いて、小田嶋さん(一応面識があったので「さん」を付けます)は、そう書いている。
僕は小田嶋さんのような剛腕な書き手ではないし、そもそもコラムニストでもないが、これ、とても頷けるものがあった。
音楽雑誌や映画雑誌や総合誌や書籍の、編集者兼社員ライターとして24年ぐらい、その後フリーのライターとして8年ぐらい、主に音楽、時々それ以外について、何かを書くことを仕事にしているが、書き始めた直後から現在に至るまで、もうずーっと言われている。「こいつ程度でなんでプロなんだ」とか、「こんなんだったら自分でも書けるわ」とか。
最初のうちこそ、「だったら書いてみい」とか思ったが、インターネットが普及し、そういう声がいっそう目につきやすくなるのと比例して、そんな気持ちは消えていった。むしろ、板尾の嫁になった。「もちろんそうよ」という。
要は、ネットが普及し、プロじゃない人たちが書いている文章を読む機会が増えたことで、世の中には文章を職業にしていなくて、おもしろいことを書ける人が、こんなにもたくさんいる、ということを知ったのだった。
自分を含めたそこらへんのプロよりも全然書ける人、ゴロゴロいる。じゃあなんでその人たちはプロじゃなくて、自分はまがりなりにもプロなのか。理由は、「そういう状況に自分を置いているから」というだけだ。小田嶋さんの言い方だと「職をなげうっているかどうか」だけだ。
逆に言うと、同業者で、僕でさえ「なんでこいつがプロでやっていけるんだ?」と思うような文章の奴もいるが、職をなげうってさえいれば、そしてそれなりにコネクションや人脈さえあれば、仕事を得られて、プロとして食っていけるケースもある、という話でもある。
じゃあ、なんでみんな「職をなげうって」プロにならないのか。言うまでもないですね。職をなげうつほどの価値がないからです。というか、日に日になくなっていって、現在に至っている……いや、今もその「なくなっていっている状態」が、現在進行形だからですね。ライターという職業は。
どうでしょう。絶望的でしょう。特に自分の場合、前回のこのnoteにもさんざん書いたように、自分個人として特に絶望的な理由を、冷静にいくつも書き連ねていけるような状況なわけだし。
厳しくないわけがない。シビアだ。ただ、そんな状況であっても、実は、あんまり暗い気持ちにはなっていない。
というのは──さっきの「職をなげうってさえいれば、プロとして食っていけることもある」という話とは矛盾するが──今、自分が世間に……というか、僕の場合は、主に音楽メディア業界ですね、音楽メディア業界に、これくらい認められていて、この程度しか認められていない、という事実に、「不当だ」とか「間違っている」と思うことが、あんまりないからだ。
身もフタもない言い方をすれば、専業だろうが副業だろうが、書いていることがおもしろければ認められるし、おもしろくなければ認められない、という話だ。
雑誌しかなかった時代なら、おもしろいのに埋もれていたかもしれないが、ウェブが中心の時代になって、それ、なくなった、とまでは言わないけど、ずいぶん少なくなった気がする。
だから、「俺はおもしろいはずだ」みたいな思い込みよりも、世間の評価の方が正しく思えるというか。「ああ、俺はこの程度なんだな」ということを、リアルに知れるというか。
というのは、ここ10年くらい、いや、もっと長いこと、ウェブから世に出てきたおもしろい書き手を、自分が知るたびに思ってきたことである。
特に、自分がフリーになってちょっとしてから知り合った、燃え殻という作家のステップアップのしかたを見て、そう痛感したところが大きい。
だって、(僕が知り合う前だけど)もともとは、言ってしまえば、ただツイッターがおもしろかっただけの会社員よ? なのに、「あなたツイートおもしろいから小説を書きなさい」と周囲に言われて、書かないわけにもいかなくなって(という感じだったらしい)、書いてみたら書けて、売れっ子になって、いろいろあって今は実質、専業作家になっている、という。
彼だけではない。そういう例、いっぱいある。そういうのを見ていると、「なのになんで俺が認められないんだ!」とは、正直、思えないのだった。
ただ、そこで「だから俺は今のこれくらいでいいや」と開き直れるほど潤っているわけではまったくないので、じゃあ自分はどうするかを考えて、がんばるしかないんですが。
あ、別に、自分も作家になろう、とか思っているわけではないです。「何かを書いて食う」という大きな括りの話をしていて、そのへんがちょっとごっちゃになってしまった。
あとひとつ。これも、音楽ライターという括りの話ではなくなってしまうが、ずっと何かを書いていきたいんだったら、兼業とか副業とかの方がよかったのかもしれない、というのは、最近よく思う。
たとえば、料理人のイナダシュンスケ(稲田俊輔)っていますよね(面識ないし、ウェブでは飽き足らなくて本を買う程度には読者なので、呼び捨てにします)。
この人の文章、めちゃめちゃおもしろい。で、こんなにおもしろいのに、なんで専業作家じゃなくて料理人なんだ、という気もするが、これがもし「書くだけ」だったら、それはそれで大変なのでは、とも思う。
料理という本業があるから、あんなに伝える力が強くて洒脱な文章を書けるわけではないだろう。それはまた別の能力だ。しかし、料理という本業があるから、その洒脱な文章を使って書ける内容がなくならない、というところはあるのではないか、と思う。
同じように、ミュージシャンでもめったやたらと書ける人、何人もいるし、会社員とかでもいる。燃え殻もそうだし、思えば、自分が好きになった当時の椎名誠も、まだ思いっきり会社員だった。『さらば国分寺書店のオババ』とかの頃ね。
と考えると、俺も何か本業があれば、書けることが増えたのかなあ、と思ったりすることもあるのだった。
ただし、じゃあ、自分の人生において、どのタイミングでどう行動したらそうなれたのか、と、具体的に考えると、「無理でした」という結論にしかならないのだが。
あと、もし本業があったら、それとは別に何か書こうとは思わなかっただろうな、俺は。というのもある。
しょっちゅう行ってはいないが、長年行ってはいる、渋谷のワインバーのマスターが、今、ほぼ作家になっている。
Bar Bossaの林伸次なのだが(面識あるけど「さん」を付けるのがなんかカンに障るので、呼び捨てにします)、この人、けっこう頻繁に「もうバーやめて文筆業に専念しようかなあ」みたいなことを言う。そう書いたりもする。
そのたびに「いやいや、やめない方がいいですよ!」と止めるのは、そういうふうに思うからなのだった。
https://mishimasha.com/books/9784909394705/