第20話 「就活とはなんぞや」


就活、というのが始まっているそうだ。

もう卒業も近いからねぇ、などと呑気に言っていたら就活しているのは来春卒業予定の大学3年生だそう。まだ1年以上も有るのに大変なことだなぁなどと思う。

僕は親の紹介で地元の小さな企業に面接し「あー、来週から来られる?」なんて感じで決まってしまったから就活らしき経験もなく、それでどうもピンと来ないのだろうか。昔はとりあえず就職して給料が貰えさえすればそれ以上は特に気にしない感じだったようにも思うが、僕だけかなぁ…。

今の世の中やはり情報が多すぎる。昔だったら地元の小さな企業に就職しそれなりに仕事を頑張り、怒られたり褒められたりしながらまぁまぁ満足して暮らしてた人も多かったと思う。
今は若者に限らず多くの人がインターネットなどを通じて見える世の中と自分を比べてしまう。

自分は標準的?
もっと幸せな人がいるんじゃないだろうか。
もっといい給料の会社があるんじゃないだろうか…。

そんな情報の渦の中での就活。
学生達は色んな企業の説明会に行き、就活参考書を読んだりネットで調べたりして策を練ると思うけれど、どうしてもそれは「就職のための就活」になりがちではないだろうか。

何がいけないの?と言われそうだけれど、就職が決まり自分が望んだ会社に入った時点でもうそれで安心、となってしまいそうに思う。
会社の見栄えや名前にとらわれずにしっかりと判断して就職し、その上でどうしたら自分らしく生き、人の役に立てるかを考え続けていくことが大切だと思う。

もちろん最初からはっきりとした人生の目的地は見えないだろう。とりあえず興味のあることに漠然とでも向きを定め、あとはとにかくひたすら必死に前方に目を凝らして自分の「何か」を追い続けて欲しい。

大切なのは、遠い夢を追いながらも今日の一日をしっかりと生き、焦らず一段ずつ階段を登って行くことだ。まず今目の前にあることにきちんと対処できなくては十年先の自分はありえない。

頑張って少し高みに登れば見えるものが変わる。平地にいたときには存在も知らなかった遥か遠くの頂が見える。その一段を登らなかった人には到底見ることの叶わない高みが見えてくるはずだ。

あなたが今まで十数年をかけて学校で学んできた目標は「就職」ではない。沢山の人や人類のために自分を役立たせ、より良い人生を生きて行くためである。

十年後、二十年後に自分が居るであろう場所を思い浮かべてワクワクできるような若者であって欲しい。遠い地平線を、遥か彼方の山の頂を、ぐっと睨んで生き続ける人であって欲しい。

(松本市民タイムス リレーコラム 2017年3月8日掲載分)

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