鬼を撃たないで 小山伸二
ベルリンからミュンヒェンに向かう列車の中で
通訳者が隠した書類が
世界の運命を変えたかもしれない
理想と現実
情熱だけでは切り抜けられないんだ政治は
そう一喝される青年外交官
Netflixの配信を見つめるぼくは
採点待ちの学生たちのレポートを
同じパソコンのなかに放置したまま
煙草と酒が嫌いだった鬼のことを思い出す
殺人工場を発明させた鬼
有機農業と菜食主義を世に広めるために
排除すべき者たちに
星をつけてまわった
温かいコーヒーが待っているから
シャワーを浴びておいでと送り出して
途方もない命を除去してしまった
さて、と
ピーター・バラカンなら
ここで
ひと息いれて
次の曲紹介に移るだろう
きっと正確な発音で
いろんな鬼が登場するブルーズを
黒も白も青も赤も
たかだか数千年の物語を
復習するノートが復讐の連鎖を綴る
これで最後になるかもしれない夜
爆弾を抱えたまま
雨の中を
傘もささずにバスに向かった
ビターなリズムを抱きしめた鬼さん
さあ、手の鳴るほうへ
キエフとサンクトペテルブルク
ボルシチが好きなぼくたちの時代もあって
歌って踊って
ドストエフスキーを読んでいたぼくたち
地上に夜が来て、また朝が来て
それでも終われない夜がしのびよる
寒い家族
残酷な列車が境界を走る、走る、走る
悲しみには序列も軽重もない
そう言って嘆きの壁から
祈りのドームをまわった鬼が呟く
大勢のSPに囲まれながら
そんな大きな鬼が
小さな鬼を襲う
鬼が鬼を泣かせ
鬼が鬼に怯え
鬼が鬼を葬る
優しい鬼も居た
淋しい鬼も
死んだ兄さん姉さん母さん父さんも
そして、こどもたち
鬼を撃たないで
正義の仮面をしたままで
ひとはひとに惑い、間違えてきたというのに
嘆きの壁
どちら側でも憂鬱なブルーズは終わらない
だからもう
生き延びた世界の中で歌を歌おう
だれがだれだかわからなくなるのだから
鬼を撃たないで
情熱だけでは切り抜けられないんだ世界は
と、言いながら
そのボタンを押さないで
ミサイルを撃たないで
たとえ
それが
鬼でも
蛇でも
撃たないで
お願いだから
撃たないで