音楽に救われた話【PENGUIN RESEARCH】
推しとの出会いについて書きます。
「」は歌詞です。良かったら別タブで再生しながら読んでいってください。
当時の自分は、過去に囚われ自身の人生の振り方について悩んでいた。信じていた希望は世に存在しない、友達も片手ほど、両親の理解はない、辛い、死ねもしない。
当時の世間では駄作と評価されていたガンダムシリーズを何気なく・意味もなく見た。そのアニメのOPが、そんな僕に強い口調のボーカルソロが問いかけてきた「何のために泣いたんだ?何のために捨てたんだ?」。意味が分からなかった。全て誰かにさせられ、誰かにやられたことばかりの人生だ。そのたびに誰にも見られることなく泣いて、好きなものを捨てて生きてきた。それを「何のため」?。気づいたときにはつづきを探した。聞いた。「最終回答者は僕だろう」何も自分で決めることができず今日ここに立たされている自分が「最終回答者」?「問いかけ続けなきゃ僕の意味って何ですか」意味なんて...。「戦え僕を辞めないように」何のために?「いつか僕を愛せるように」。何度も何度も繰り返し聴いた。OPは『HATENA』という曲だった。
もっとこの人たちの曲を聞きたい。当時の私は高校生だったが、実に幼稚園生ぶりに物事に興味を持つことができた。名前はPENGUIN RESEARCHというらしい。両親の理解がない私は、自由に音楽に触れることさえ一苦労だった。ボロボロのPCとガラホでyoutubeにあがっているものとお試しの試聴だけで何度も聞いた。その中で見つけた『それでも闘う者達へ』。
キーボードのソロから始まり力強いドラムが加わり、ボーカルが放つ「明日消えたとしてどうなるかを暇なとき考えてる」いきなり自分のことのように感じた。「この世は最悪だ 絶望の朝が来る」自分が毎朝感じていたことさえ、そこでは歌詞だった。「それでも 行くのかい なんでだよ 悲しむんだよ 傷つくんだよ 何千回も」ほんとなんでこんなことがわかっていながら「それでも生く」方を選んできてしまったのかわからない。「救いのない物語を書き果てるまで 死ぬなよ まだだ 死ぬなよ」もはや個人宛で「死ぬな」と言われているような錯覚にすら陥った。こんな救いのない人生で、救いようの無い愚かな人間社会で、自分自身でさえ何を期待してまだこんなところにいるのかもわからないが、生きてみたいと思えた、思えてしまった。
ーー以上、前編でしたーー
『好きを言語化する技術』という本を書店で立ち読みしたのが書くことになったきっかけ。流し見から得た情報だけで書いてるので本文読んだらもっとしっかり読み手にも不快無い文章が書けるのかなって思いました。
立ち直れたのはPENGUIN RESEARCHだけのおかげじゃなくて、高校の友人らやネ友たちのおかげでもあるんですが、好きなものを書くという都合上端折りました。端折ってごめんな、愛してるぜ。