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自信をもって地域医療をやっていると言えるようになった
お相手の二人目はこちらの方
ようやくインタビュー2本目の編集を終えYouTubeにアップ。第二弾は、ずいぶん昔、当院に見学実習に来た紅谷浩之先生をゲストにお迎えした回となりました。今や、出身の福井を飛び出し、日本各地でいろんなアクションを繰り広げ、ひとつの枠にはとどまらない大活躍を見せている紅谷先生との対話です。 実は、いろんな機会を通じて、私たちはちょくちょく情報交換をしていたのですが、面と向かってじっくり話をするのは本当に久しぶり。最後にお目にかかったのは何年か前の学会の紅谷さんの企画/座長のシンポジウム、私に光栄にもシンポジストの一人に声をかけてくれた時でした。ただ、あのころはいろいろ元気がなかったときでもあり、自分でもスッキリしないプレゼンテーションだったような気もしますし、それと関連してどこかで一度リベンジを…なんて思っていたこともあり、今回インタビューのお相手としてパッと頭に浮かびました。僕とは異なり、お話も上手で、しかもすごく前向きなところもあって、スーパーな活動を繰り広げている印象もあるのですが、その背後にある先生の仕事への思いやこれまで、そしてこれからのキャリアへの向き合い方について、この機会にじっくりお話をうかがいたいなと思って楽しみにしていました。
プロフィールに関しては、ちと手をぬいてほかの講演会に載っていた略歴をお借りして、と(スイマセン)
「1976年、福井県福井市生まれ。2001年福井医科大学を卒業後、救急・総合診療を中心に研修し、名田庄診療所、高浜町和田診療所にて在宅医療・地域医療を学ぶ。その経験を生かし、2011年福井県内初の複数医師による在宅医療専門クリニックを福井市内に開設。在宅医療という視点から、住み慣れた場所で幸せに自分らしく生きていくことを支えるため、地域づくリまちづくりにも取り組んでいる。2020年春長野県軽井沢町に診療所「ほっちのロッヂ」を開設。
↑これはこちらからお借りしました ↓
紅谷さんは在宅医療、人生会議、医療的ケア児、ポジティヴ・ヘルスなど、多方面で活躍しているので、プロフィール紹介がてらちょっとこちらの記事も
まあ、紅谷先生の活躍の幅はめちゃくちゃ広いのです。
しかし…
それはともかく…
今回改めて気づいたのですが‥
note使いが凄い!
ということで、前置きが長くなったので早速動画をご紹介。
第二回のゲストは紅谷浩之先生!
収録日時:2021年8月1日
収録日は日曜なのに東京で感染者数が3000人を越し、もうこのままいくととどまるところを知らないという感じだった頃。オリンピックもやっていて、甲子園もあって、デパートも閉まってないし。自粛度合もあまり体感していなかったころ。このままいけば週明けは5000、いや1万だ2万だ、って雰囲気だったような。今から考えると「ここから大変なことになるけど、そこがピークなんだよ」とあの頃の自分に戻って教えたい気分だけれど…
さて、インタビュー当日。日曜日の朝。まず、ZOOMをつないだ瞬間現れたさわやかな軽井沢の森の風景、、ゆっくり風にそよいでいるところからバーチャル背景ではなくリアル背景だということを悟る。時々通信が不安定になり音声がすこし途切れる部分はあるものの、まあ会話に大きな支障はないためあとで編集することにして、早速インタビュースタート。
自己紹介を、とお願いしたところ、開口一番、「いろいろ言っていたけど最近、専門は地域医療って胸張って言えるようになりました」と…
いろいろやってきたけど、地域で足りないこと、地域に必要なことで、自分たちができることをやってきたのだが、それがひとつは在宅医療だったり、もうひとつは医療ケア児の支援だったり、最近では学校と一緒に医療をやったり、というふうにつながってきた、とのこと。そっか!
定型質問から
最初は恒例の(とはいえ2回目)定型質問から。印象にのこったのは、なりたかった職業が「スカウトマン」だったこと。「前、ちょっとやってた」とボソッとつぶやいていました。あと、「悩んでいる時間、答えがでないでみんなで考えている時間が好き」とのお答えの部分。「変化し続けている時が充実していると感じる」と。なるほどー。そして、天国に着いて、向こうで最初に神様に言われたい言葉が「待ってたんだよ、やることいっぱいあるんだよね、だからいろいろ手伝ってほしいんだよね」…うーんポジティブ。
嫌いな言葉、「しょうがない」。その背景を尋ねたところ、正論を盾にあきらめたくない、ということ、なのだそうだ。そのまま悩み続けたい、答えはなくても次につなげたい、という話。たしかに。でも僕よくそこであきらめちゃうけどなあ。そこが違い、か。
紅谷さんのこれまでのキャリア
福井出身で、福井の町医者になりたいな、と福井大学でおぼろげながら思っていた紅谷さんは、学生時代であの寺沢秀一先生に出会います。
寺沢先生といえばあの大ベストセラー研修医当直御法度の著者であり
こちらのエッセイもとても心に響きます
ただ、紅谷先生が語る寺沢先生との出会いもまたなんか無茶苦茶なんですが、そんなこんなのご縁から、福井大学の総合診療部に入った紅谷さんはその後、名田庄診療所の中村伸一先生のところで働きます。
名田症の中村伸一先生といえばドロクター。
こちらは中村先生の著書。
そういえば、NHKプロフェッショナル仕事の流儀にも出てたなあ。
紅谷さんが、なぜかわざわざ東京のうちまで研修にきてくれたのは名田症にいたころだったような。いやもう、次の仕事にうつっていたころかなあ。よく覚えていないのですが。あの頃はいろいろ熱心な研修医の先生や学生さんたちがなぜかちょいちょいうちに来ていたんだけど、その中のおひとりでした。
あの頃うちに来ていた人たちは、とにかくテキトーに親のあとをついで町医者になった自分とは違い、きっちり研修もしていて、すごいなあ、と密に思った人たちが多かったのです。そして紅谷先生はじめ、やっぱりすごい人になっていったのですが。まあ、その後総合診療や家庭医療のプログラムが整備されていってもっともっと凄い人たちが増えていっているんですが。
たしか、紅谷先生はその時の医院でのやりとりが心に残っていて、それで拙著に登場する研修医キヨシロー先生のモデルのお一人となったのですが…
未来は出会いと変化から作られるもの
昔話はともかく、今、どういうふうに仕事をしていっているか、そして、その仕事はつまり地域医療、つまりとにかくまちづくり、地域を元気にする、困っている人たちのために、などというキーワードから導き出され、つねに変化を忘れないように続けてきた中で、今の仕事へと自然と導かれてきた、という話になりました。その時その時の出会いや、ふとしたきっかけで、いろんなことは決まってきた、とのこと。だから、未来はむりに一つの形に決めず、つねに変化していく覚悟で、Be Happyという大きな目標を掲げて、その中でその都度決めていけばいいのじゃないか、と。
とにかく紅谷さんが今考えていることは、医療が、地域とか生活とか人生の中でどのような立ち位置でいればいいのか、という疑問に答えをだしたい、ということだそうだ。そして生活をしていく中で、人生全体の健康度合いを上げて、地域で暮らす人も含めてみんなでハッピーになりたい。そんな大きな目標というか妄想というか、そんな中で医者の役割、医療の役割を改めて考えて、新しい医療の在り方を考えたい、、と。答えはでないかもしれないけど、悩みながら考えながらもつねに変わり続けていたい、ということでした。これからくる未来は、これまでと同様、数多くの出会いとそれが起こす変化から自然に導かれるもの…そんなふうに感じました。確かにそれは、僕のこれまでのキャリアとも一致しています。そして、たぶんそれはこれからも・・・
ここで紅谷さんからの逆質問
そして、ここから逆質問。
一つ目は、「診療と、教育・研究とのバランスをとるのはとてもチャレンジングだと思うけれど、どうやってバランスをとっているのか?」という質問。これはタフな質問。渡辺さんからも似たような質問があった…
たしかに診療・教育・研究ってよく分けられるのだけど正直はっきりした区分けは難しい。もちろん日々の診療は仕事のベースというか土台にあるんだけど、そんな中で残りの二つをどうバランスととって続けていくのか。という質問でした。たぶん紅谷さん自身がうちで実習をやったことが(あれを教育と呼ぶかどうかは別にして)頭のどこかにあるのかもしれない。まあ、はたからはこの3つがバランスよくできているように見えているのかもしれないけど…まずは教育。教育は、どちらかというと自分にとって、きちんと前に進ませるための燃料というか。人を教える立場にいるというのは、権威勾配がおのずから出てくるので若干麻薬的なところもあるんだけれど、むしろ自分にとってはこれからの先生から刺激をもらう、ありがたい存在なのです。ふだんではなかなか体験することが変化に対する触媒、みたいに思ったりすることも多いので、こちらはさほど苦痛に感じたことはない。まあ、時にはめんどくさいこともあるとはいえ、たぶん人との交流がないと毎日はかなりキツイなあ、とは思います。
でも研究はちょっと違う。むしろ自己鍛錬に近い。これをやらないと自分がちゃんとしていないような気がして。健康のためにやる青汁みたいな。毎朝するラジオ体操みたいな、そんな感じ?これをちゃんとやろうとすると、ラジオ体操以外のきっちりした筋トレを毎日するのは確かにもちろんかなりキツイんだけど。あまり優先順位高くないし、地域にいると周りからせっつかれることもあるから、なかなか続けられない。かつては意地(だけ)でやっていたり、知りたいことを明らかにしたい、みたいなきれいごとを自分に言い聞かせていたこともある。もちろんその時々で、診療・研究・教育、そして管理業務のタスク配分のバランスはもちろん変わるのだけど、なかなかプライベートの時間を削らずにやるのはしんどい。確かに以前より環境は整ってきたし、苦行みたいな感じも、以前に比べて減っては来ているけどやっぱり時間はとられるし、もういいや、みたいに思うこともないわけではない。いつか、これも、年寄りが趣味で詠む俳句みたいに、すーっと自然にできるといいんだけれども、現実はなかなかそうはいかないのだ。
二つ目は「おもしろい」ということを基準にして仕事をするためには何が必要か?という質問。
これの答えも、答えになっているかどうかはよくわからない。とりあえず答えたのは、数年前くらい、たしか総合診療専門医が正式にできることになって(今もちょっとごたごたしているけど)、それから時を同じくして自分が抱えていたかつては莫大にあったローンの目途がたってきたころ、仕事へのモチベーションががくっと下がったことがあったのだ。だけど、それは逆にモチベーションが下がったことによって、ルーティンワークや義務感でやってきたふだんの仕事以外の事に目が向くようになって、「やらなきゃいけない仕事をする」んじゃなくて「自分がおもしろいと思える」ことを仕事の基準にしていけばいいんじゃないか、っていうことが見えてきたのだった。
ただじゃあ何をやればいいのか、というところで、コロナもあって今見えてはいないため、なかなか前には踏み出せてはいないんだけど。その間、何をしていたかっていうと、いろいろ関係ない本ばかり読んでいるような。
もしかしたら、それが自分が面白いと思えることなのかもしれない。
ただ、自分も含めて地域の人々が気持ちよく過ごすにはどうすればよいか?というためには「面白い」とか「楽しい」とか「気持ちいい」ということをベースにしないとさまざまな活動は長続きしない、という実感があって。お医者さんとしてどうこの辺、地域の人々にかかわるには?という、今考えていることに限った範囲でお答えしました。答えになっていないような気がするけど。
しかしよく考えたら紅谷さんはすでにこういうことをこれまでずっと福井の地で続けてきたのでした。東京と福井でも同じ地域医療を行っているわけなので、その発現形が違うだけで根っこは同じ、それが地域医療のプロフェッショナルのあり方なんじゃないか、、ってようなことを話ながら感じていました。最後に紅谷さんは、中村伸一先生の言葉を踏まえて、地域医療はそこに住んでいる人たちがやるのが地域医療の本質なのだと思う、それは一つのパッケージ化されて「地域医療」っていう形になっているものではなく、ぐにゃぐにゃしていても「地域に向かおうとするエネルギー」そのものが、プロフェッショナルなのでは・・・みたいな話をされました。そして、地域は常に時代とともに変化しているので、そこで働く私たちもとどまることなく、常に変化しつづけなければいけない…という話で終わりました。
2回目のインタビューを終えて
ポジティヴ・ヘルスにもかかわっているだけあってポジティヴなメッセージが沢山こめられたインタビューでした。
やっぱりどうしてもみな、ある医療の形や、ある実践に対して一つの固定したイメージで語りたがるのですが、何をする上でも想像力を働かせ、そして常に夢を見ながら(それは妄想ともいえるかもしれません)、それに応じて日々の自分の心と形を少しずつ変えていくことは大事なことなのでしょう。変化は結局何もしなくても起きる。でも自分から変化を起こし、すこしずつでもそれを積み重ね続けるのが、地域医療を続けていく上で大切なんでしょうね。もちろん変化を続けること自体にはそれなりにエネルギーがいるのですが、それでも僕たちはまったく前に進んでいないように見えても、いつのまにか変わっているのです。年をとるというのはまさにそういうことなのでしょう。いい結果を得るためには、いろんなところから知識を吸収して、いろんな人と話をして、いろんな考えに触れて、いろんなチャレンジをして。そして、いい結果を得るためには、いろんな失敗もしなければ。失敗がないところに成功はない、のです。
紅谷さんはそんなことをこれまで常に頭において活動してきた人で、そういったことはもちろん誰にでもできることじゃないし、もちろん幸運とか本人の能力とかもあるので、ある意味スーパーマンかもしれないけど、それでも今回のインタビューを通じてそういう思いに触れることができたのはとても刺激になりました。とにかく、どんな小さな出会いでもそれを大切にして、そして課題が目の前に生まれた場合には、その場でとどまらずに、泥臭くても、かっこ悪くても、自分なりに変化を起こそうと続けることの大切さ…僕も見習わなきゃな・・・と改めて思ったのでした。
まあ、紅谷さんのようにスマートにはいかないにせよ、です。
人には人それぞれの持ちキャラというものがあるので、ね。
でも、ほんとうに、ありがとうございました。軽井沢の風を感じながらの会話はとても爽やかな余韻を東京の僕の部屋にも残しました。
さていよいよインタビュー前半部分が終わり、後半戦へと入ります。こんな些細な編集しかしてないのにも関わらず、まだ編集が途中でもうちょっとアップには時間がかかりますが、それまでもうすこしだけお待ちくださいませ。なんにせよもうちょっと動画編集能力に磨きをかけないとなあ。
(つづきます)