雑記 オープンチャット
LINE INFJ(提唱者)のつどい に参加しているが、昨日一昨日の過熱していた政治議論は感慨深い。
カタツムリ氏のように物事を深く追求しようとする者は、SNS空間であれば本来QuoraやYouTubeで発信し意見交換する方がよい。そういう場を知らないというよりは、敢えて参加者全体にたいして民主主義精神を、またINFJ類とは何たるかを提議しているように映る。生の希求である。
彼のようにその集団から抜きん出ている意志、つまり周囲とのズレが大きくなると、反対向きの力、ズレを解消しようとする因果の力も大きくなる。エネルギー保存則や質量保存の法則あたりとでもいおうか。ズレとは、年齢・生業・地域などであったり、問題に潜る深さであったり、INFJ類への認識の深さであったりする。
彼は紛れもなくINFJの類で、特定他者などにではなく枠組みにたいして自己超越、または本人にとって未知の式の獲得を目指している。
苦楽の選択肢があるならば苦を選択した方がいい。苦は手放せばいいだけで、楽を維持したり手放すことは困難だ。歳を重ねてゆくと、身体面から無茶がきかなくなる。苦とは重力に抗い立ち上がることである。楽とは重力に従い横になることである。
周囲と違うことはその個人において苦であり、苦でなければ日常と変わることなく、未知の発見なく、何ら還元されない。問題を回避し続けると大きな災いが顕れることになり、常に問題を受け入れていくと災いは小さなものとなる。
苦の数おおき者ほどその内包は大きくなり、人の痛み、モノの深みがわかる人となる。経験の総体というもので、原石が宝石たらんとするためには、今の自分より上のものによって磨かねば宝石となりえない。その苦にたいして、幸せや愉しみのこころを未来においてでも付与するなら尚更よい。疲れたら止めればいいだけのことなのだから。