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建設小話 小規模経営者というもの



ある監督が言っていた。
「よく子方の職人さんは親方の元から独立したがるけど、親会社が同じなら仕事の取り合いになってしまって稼ぎは減るし、人手不足になるからお互い苦しくなるけどどうしてなんだろうね。」
「それなら一つの会社にして新人を雇って育てる方が、組織が大きくなって稼げるのになあ。」

まったく同意見だ。
一人で生活をするにせよ、仕事をするにせよ、一人では限界がある。親元から離れて一人暮らしなんてすると、一家でみればその分、租税公課や水道光熱費が上乗せとなる。自由のためにするのであれば自由意志に基づき自律すべきだ。


 会社員であればともかく、請負となると確定申告や決算書を作れば解る通り、稼いだ収益を使い切るのではなく節制貯金して経費を捻出し事業安定ないし拡大に使う投資金とすることが会社の基本である。売上の波が上下することは建設でなくとも全業界同じことだ。会社員でさえボーナスに大きく影響している。


 銀行の融資を受けることは経営拡大のためなら中長期経営戦略の一環として用いるべき一手だが、運転資金のためなら必ず後々痛い目にあう。何より、困ったときは借りたらいいという自責なき他責思考の輪廻に陥る。それを繰り返すほどそれが当たり前、常態となる。

 労働者の最下層であるアルバイトは安定性に乏しく最低時給程度で社会保障もないから社会における弱者であり、責任はすべて使用者に還る。これは法をみればわかる通り、資本主義の労働原理だ。経営者が儲かるのはアクセルを緩めるにせよ積み上げ続けるものがあるからであり、他責に移り始めると未来はいっさい他人任せの赤字経営に転じる。ため息はその兆候である。

 明治、大正を受け継いだ昭和の価値観はまごうことなき確たる真価があるが、それは平成、令和とてそれぞれ同じである。なので昭和100年とするのではなく、昭和の老練な志士にはぜひとも腹を壊さぬ程度に新時代をブレンドしていただきたい。しないことには幽霊や死に体である。



閉話休題

 昭和80年頃まではパソコンや携帯といった情報媒体がなかったので我流でよかった。それら機器が多くの人に普及したことにより、知識はいつでもどこにでも溢れ世界は加速した。
 現代日本人は智が身近にあるからこそ、仁義か礼かに人は依る。


私が道とともにあれば、上方に明かりなき道のようなものがある。
私が徳とともにあれば、徳はみえず、上方に道、下方に仁がある。
私が仁とともにあれば、仁はみえず、上方に徳、下方に義がある。
私が義とともにあれば、義はみえず、上方に仁、下方に礼がある。
私が礼とともにあれば、礼はみえず、上方に義、下方に智がある。
私が智とともにあれば、智はみえず、上方に礼、下方に信がある。
私が信とともにあれば、信はみえず、上方に智、下方に昬がある。
私が昬とともにあれば、昬はみえず、上方に信、下方に忠がある。
私が忠とともにあれば、忠はみえず、上方に昬、下方に争がある。


上方に流るるは火の如し、下方に流るるは水の如し
これらは本来すべて明かりなき道の先に現れてくるものである。
文字や情報が既にあるから獲得していると錯覚する。人類が獲得しているのであって、個人が獲得しているものではない。
ゆえに人は自らの獲得したもの、内在しているものの内からでしか理解することはできいない。

私が仁を覗くとき、また同時に仁に覗かれている。


寄り道が過ぎたが、この監督の言いたいことを解説してみよう。


図1

親方目線であれば

  1. 親会社から親方へ入ってくるお金は300万円である。

  2. 親方が子方にいくら払うかは(合法で不満無き限り)自由である。

  3. つまり支払額の上限があるから、経営資金として福利厚生や新人募集の経費に割り当て、子方と共に同じ目標へ向けて一致団結するべきだ。

この例えを具体化してみよう。

親方は300万円のうち小方への支払いに100万円、
親方の諸経費や生活費150万円を差し引けば50万円となる。

その50万円を生活や娯楽やボーナスにあてるのではなく、経営に係わる資金として、せめて経営戦略がないうちは社交に出て交際費にあてたり内部留保による資本金に回すべきではないか。


小方が一人親方として独立する場合

図2
  1. それぞれの親方へは150万円ずつである。

  2. 150万円から生活費や経費を差し引くと0万円である。

  3. よって内部留保に回すには節約以外なく苦しくなる。



これは家計簿をつけることと同じであり、また経営なき組織である。
すべて自力でするのであれば何ら問題は生じない。


それに追い打ちとして、建設業界の平均年齢は他業界より高く、人口も少ない。そんな中、雨風に打たれて労働環境や労働条件が悪いとなると若者が来るなんて正気の沙汰ではない。来るのは神様仏様の類か修行僧ぐらいだろう。


さてこれらの経営者目線での解決策として、積算と見積りがある。

  • 積算とは緻密な設計であり、現場労働者一人工(8時間労働)の金額により、各種作業を数値化し単価を決定するものだ。設計や監督も基準がある。

  • 見積りとは、積算に会社経費を上乗せするものだ。そうしないと親会社は存続しえず、現場労働者の手間賃から差し引くことになってしまう。

 これらは国交省や建設業団体発行資料で開示されている周知の事実であり、建設業法や請負法からも読み解ける。参考にされたい。

 また、社員化ができているところは従業員が多いほど、助成金や補助金を利用すると大幅な経費削減が可能となる。


 よく経営者は請負子方の単価を大幅に引き上げるが、最優先すべきは社員化など基盤構築に向けた福利厚生の充実と意思統一であり、上記に挙げた設計や法や行政手続きができる事務方の採用である。
 労働者がいる分、その妻子や親族、友人などを雇用することができる。雇用に回すお金がなければ、すべて自らでしなければならない。


苦しいから知恵を働かせ、節約したり試行錯誤する。

もし苦しんでいるならば、よく働いているだろう
もし苦しんでいるならば、またよく勉強しているだろう
然るによく働いていないか、勉強していないかである
故にいずれにせよ苦しんでいないのだ

さてこれを反転すると、次のようになる。

愉しいから知恵を働かせ、節約したり試行錯誤する。

もし愉しんでいるならば、よく働いているだろう
もし愉しんでいるならば、またよく勉強しているだろう
然るによく働いていないか、勉強していないかである
故にいずれにせよ愉しんでいないのだ

生きるとはなんだろうね。

まあなんにせよ、身体やこころや精神を壊さぬようご自愛いただきたい。


本項と同じく建設業界問題について記したもの


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