見出し画像

さきほどのこと -先生と私

 さきほどオープンチャットへ記述したんですけどね、担当を超え授業料を超えて、求められる役割を超えて必要以上に熱心にいろいろと教えてくれる先生は絶滅危惧種なんですよね。これは親や老人、妻や夫と同じで愛情を注いでいるから必要以上にアレコレ言ってくるわけで、都会人や忙しい人ほど愛情を注ぐ余力はありません。そんな中で愛情を注ぎたいほど通常を超越し私たち大人に成し遂げれなかったことを為せるような、魅力ある逸材なわけです。また仮に性悪説が存在するのであれば、どうでもいい人間にほどせめて笑顔の仮面で頷いていればいいだけで何ら意識を向けないのがふつうです。

 なぜか?愛情を以て関わってもそれが理解されなければ、当人のみならず周囲からすら敵対意識を持たれるからです。それは誰しも解っていることでしょう。つまり"出る杭は打たれる"から出ないようにする。もちろんそっと見守るだけの"愛情のカタチ"もあるでしょう。

 長文でありかつ手紙媒体ともなると手書きでありますから、何度も書き損じながら休日に休まず空いた時間に手間暇かけ、文体を構想してから一字一字考えてきれいに読みやすく書くわけです。やはり電話やメールなどは手軽に瞬時に思ったことを伝えてしまうので、感情的になりやすく伝えたいことが逸れてしまう。
 数ある生徒のうちからそれほどエネルギーを込めて一人の生徒のために書ける先生がいるなんてのは、生きた化石と言いますか、教師の鑑であると同時に日本の国宝なんですよね。

 その先生はストーカー気質であるとか異常である(50年前までならともかくいま現代では通常でないからこれは真っ当だ)とかまぁ色々憶測を言われてしまうわけですが、私どもは当人たちを何ら知らずその生徒、つまり発議者の文面情報だけを観てアリーナの客席からアレコレ述べているに過ぎません。
 それでまあ発議者は同情としての後押しがほしいのか他の人の意見を聞きたいのか、といえば後者であるのです。人生相談や恋愛相談などはすべてどちらかです。

『GTO』の主人公である鬼塚栄吉は、PTAとか他教師に誤解されながらも愛情以て筋を通したことを思い出すわけです。





 先生は怒っているのではなく悲しんでいるのです。「この子は将来大物になる。しかし学が優秀なだけでなく人としても立派であれ」という願い、いや直観がそう先生のウチに囁いているのでしょう。先生は多くの人を教えることから目が肥えます。そんな先生の熱さに火傷しそうになりますが、それで流るる涙ほど美しいものはないでしょう。

 さてまあこの解釈が事実であるかどうかにせよ、そう捉えた方が美しい物語に書き換え、美しいままパッケージングできるとおもいませんか。このとらえ方を性善説(≠楽観)といいます。


 親友は生涯一人二人出逢えたら幸せというように、歳離れてもそんな人が身近にいるほど心強いと思いますがね。
 それでまあ余談を言えば、私を含みこの発議に反応し記述する人たちからうかがえる優しさは、平和の証だなあと美しく感じませんか。


17:30~
1200字

22:20 一文加筆

いいなと思ったら応援しよう!