正義の剣
2021年12月30日
自転車で少し北方面へ走って行く。サイクリングだ。東方面に行くことはよくあるが、北方面へ行くことは少ない。久しぶりに見る景色。景色というより有様、様相、地形、というか図を見ている感じ。次々とアップデートされた街並み。それが冬の空気と合わさって、人びとのエゴの醜さを、寒さ、という体感で表しているように思えてくる。特に駅前を通る時は、人の量が多いのでぶつからないように気をつけなければならない。横断歩道を渡ろうと必死の形相で走っているお婆さん、そんな人に限って僕は目が合ってしまう。意地悪そうな顔をしたお婆さんだった。スクランブル交差点という名の中にあるスクランブル、すなわち緊急発進、をしたのだろうかお婆さん。それとも緊急発進をしたかったのか。
「ブルーレット置くだけ」という商品がある。トイレのタンクに置いているだけで、便器の汚れを防ぐための薄い塗膜を便器表面に張り巡らせる。そういう品物。一人暮らしをしていた頃に使っていたことがある。「ブルーレット置くだけ」の中身の液体が無くなったが、新しい物に取り替えるのが面倒だから放ったらかしにしていた。当然「ブルーレット置くだけ」の中身は空っぽになっている。それはもう「ブルーレット置くだけ」ではなく「ブルーレット置いてるだけ」になってしまった。
そのような話をしていたら
「俺は反対だ!」と言うケイスケ。彼は怒っている様子だった。僕は何のことか分からず、は?と心の中で思う。何を急に怒り出すのか。いや、怒ってる訳では無いのかも知れない。僕は黙って彼の口から出るであろう次の言葉を待った。が、彼から出てくるセリフは、「俺はそういうのは反対だ!」と同じことを繰り返す。何なんだ。僕は自分のことを穏やかな性格だと思っているが、ハッキリとさせないとイライラするタチなのだ。だから尋ねるのだった、彼が怒りを露わにする理由を。しかし僕の口から発されたのはこれだった。
「は?」
何と答えようかと考えた挙句に出てきたセリフがこれだった。自分の語彙のなさに閉口する。そして僕は失敗したことに気づいた。こういう場合は「何が?何に反対なの?」と優しく訊くべきだったのだろう。しかも僕が発した「は?」はあまりにも稚拙というか、聞かれようによっては喧嘩を売っているように聞こえたかも知れない。いや、ケイスケの言い方にムカついてイライラして発した答えが「は?」だったのだろうと、今思い返せばそうなのだろうと思う。
「俺は反対だ!洗剤の使い過ぎは環境に悪い!」とケイスケは言った。いやいや、「ブルーレット置くだけ」は、常に便器に薄い塗膜を張っておくことで、いざトイレ掃除の時には洗剤を使わないでも表面を擦るだけで良いというものなのだ。化学物質使用量を少量に抑えてトイレ掃除が出来るのだ、知らんけど。僕はそんな風に「ブルーレット置くだけ」を弁護したかったがしなかった。いや、出来なかった。ケイスケの正義感がもたらす表情に圧倒されたのだ。
そもそも何が正義なのか。ケイスケは日頃からこういったような社会問題、環境問題に関して、「正義」という剣を向けて来る。その剣で何を刺したり突いたりする気なのだろう。
僕たちはいつの間にか連絡を取らなくなった。そして僕は悪の道へと邁進した。キャバクラやホステスのいるようなラウンジで女の子とイチャイチャしたり、綺麗な女性がいるスナックに入り浸ったりするようになった。こんな僕の姿をケイスケが見たらどう思うだろう、どんな表情をするのだろう、どんな言葉を掛けて来るのだろう。