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【自己分析】人生の棚卸しをしてみる。①

ご覧いただきありがとうございます。

この記事はモチベーショングラフで自分史を振り返る、自分用の備忘録です。

長くなるので、前後編に分けたいと思います。

あなたの自己分析の参考にもなれば幸いです。


モチベーショングラフとは

幼少期から現在までのモチベーションの変化を、曲線のグラフで表します。

過去に起きた出来事とその時の感情を可視化し、感情の起伏を深掘りすることで、自分が大事にしていること(=価値観)が見えてきます。

自分の人生を振り返る

ということで、自分のモチベーショングラフを書いてみました。

時期を分けて振り返ってみます。

筆者のモチベーショングラフ。

誕生~保育園児時代

幼少期から場面緘黙という障害の片鱗はあったらしく、公園で遊んでいるときに他の子が近づいてくると、逃げるように距離をおいていたそう。

保育園に入ると、自分からトイレに行けずに漏らしてしまったり、運動会で周りの子たちは演技とかできるのに、僕は体が動かず何もできなかったり。その時はとにかく頭が真っ白で、大きな不安を感じていた気がします。

ほかに覚えていることは、父親の仕事の都合で一時期中国・上海で暮らしていたこと。
ホテルに泊まっていたんですが、ご飯の時間になるとワクワクしていた気がします。

小学生低学年時代

学校では話せなかったり、自分から教室に入れなかったり、宿題を自分から提出できなかったり、体育の授業で体を動かせなかったり。。。

学校に行くと全く自己表現ができなくなっていましたが、なんとか生活はできていました。
先生や友達のおかげだと思います。

家では場面緘黙の症状を、家族に理解してもらえなかったことが苦しかったことを覚えています。

色々怒られても、周りの子たちができることを自分はできないことに絶望していました。
この頃は、自分の人生にとって暗黒の時代だと思っています。

学校のない休日は、とにかく一日中家にいるのが苦痛でした。
毎週のように親にせがんで、ショッピングセンターに連れていってもらいました。
連れていってもらえない日は、とてつもない虚無感に襲われていたことを覚えています。

小学生高学年時代

学校で話せないことが、「場面緘黙」という病気が原因だということが分かり、少し周囲の理解が得られるようになりました。

スクールカウンセラーとカウンセリングもしました。
話せるまでにはなりませんでしたが、スモールステップで症状は改善していました。
特に、体が動かなくなる緘動症状は少なくなっていきました。

そして、学校の友達には本当に恵まれていました。
自分では何もできない僕に対して、「お世話係」のような役割を買って出てくれる子がいたり、積極的に関わってくれる子がいたり。
おかげで楽しく過ごせていました。

中学生時代

中学校への進学は、物心ついて初めて自分を取り巻く環境が大きく変化した出来事でした。

そのため、初めて母親と中学校に行った時は大きな不安を感じていたことを覚えています。

中学生になっても、周りの人たちには恵まれました。
保育園時代の友達と再開したり、小学生の時にも親しくしてくれた友達がいました。

相変わらず学校では話せなかったですが、友達と遊んだりしたい気持ちから、声を出す代わりに口から鳴き声みたいな音を出してコミュニケーションを取ろうとしていました。

中二になるとクラスの子で好きな人ができました。
相手の子も僕が気になっているという話を、間接的に聞いたことがきっかけでした。
学校では話せなかったのでそこから何か進展することはありませんでしたが、毎日ドキドキしながら過ごしていました。

また、中一の時にお古のPCを貰ったことがきっかけで、PCゲームにハマっていきました。

そして、中学時代でよく覚えているのが、家族で中国に帰省して親戚に会った時のこと。
滞在最終日、いとこの姉と離ればなれになるのが寂しくて、日本に帰りたくないと泣いていました。

自分の中で大きく感情が揺れた出来事だったので、今でも記憶に残っています。

高校生時代

高校生になると、授業で先生に当てられると少し声を出して答えられたり、黒板に板書をしたりできるようになっていました。
でも、友達と話せなかったり、体育の授業で体を動かせないのは変わらずでした。

この頃になると精神的にもある程度成長したからか、鳴き声みたいな音を出して友達と交流することもなくなりました。
高校に入ってから知り合った人たちも、みんないい人ばかりでしたが、自分から心を閉ざしていた感じだったと思います。

自分から輪に入れなくてあぶれてしまった感覚。
そんな、思うようにいかない現実から目をそらすべく、ゲームやアニメによりハマっていきました。

転機が訪れたのは、高三になった頃でした。
中二の時と似たようなシチュエーションでクラスに好きな人ができました。
そのおかげで、高三の一年間は、毎日学校に行くのが楽しみになるほどでした。
一日8時間にも及ぶ受験勉強を乗り越えられたのも、現実はまだ捨てたもんじゃないと思わせてくれた彼女の存在があったからかもしれません。

無事に受験を終え国公立大学に合格できましたが、この恋愛の行方はその後の自分の大きな後悔になりました。

というのも、一年間そんな状態で過ごしておきながら、結局自分から何もできなかったからです。

正直なところ、相手からなにかアクションがあることを期待している自分もいました。
というか期待しかしていませんでした。
その結果、何もなかったこととして、終わってしまいました。

卒業式後の最後のホームルーム。
それを終えた僕は、そそくさと学校を後にしてしまいました。

今更なにかを望むなんて押しつけがましいことはできません。
でも、ただ自分支えてくれた彼女とクラスメイトに、感謝の一言も言えなかったことを、後になって悔やんでいます。

文化祭の日。
体育館の隅っこで1人、バンドの出し物を見る僕。

ここまでの総括

高校時代まで振り返ってみて、僕という人間が何でできているのか、かなり分かった気がします。

  • 家でじっとしていられない → 自由に好奇心に従って生きたい

  • 日本とは違う文化に触れてワクワクした → 好奇心が満たされて幸せだった

  • 学校で周囲の人たちにものすごく助けられた → 僕自身も他者に思いやりを持って接したい

そんな価値観が見えてきました。
こういったことを大切にして生きるのが、僕らしい生き方だと思います。

次回は大学生~現在までを振り返ります。

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