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社交不安障がい者が旅をする。#33

僕たちが生きる上で、「何かに所属している」という感覚は重要だ。
何かの集団の一員であることは、僕たちの心に安心感と充足感をもたらす。

家族、学校や会社、同じ趣味や近い価値観の人たちが集まったコミュニティ、地域社会…
このような所属の単位の中で最も大きなものは、民族や国家だろう。

どんな文化を持っているか。
どんな言語を話すか。
それは、その人にとってのアイデンティティになり得る。
だから、自分が所属する民族や国家といった集団は、その人にとって重要な意味を持つ。

民族間、国家間の争いや戦争は絶えない。
だが、簡単に「みんなで仲良くすればいいじゃん」と言ってしまうのは横暴なのだろう。

国民の支持を失いつつある独裁者が、他国を「敵」を作り出すことで、国内の結束を高め支持を回復させようとしたりする。
外部の敵に対して内部で団結する。
それは、人間が「所属感」という感覚を持つからこそ起きる現象だ。

もし、地球外生命体が地球を侵略してきたら、人間は内輪のいざこざなんかよりも、みんなで団結して戦う道を選ぶだろう。
地球外に「敵」がいれば、僕たち人間が属するコミュニティの最大単位は「地球」という認識になるのかもしれない。

「敵」という考え方は、僕たちが自分の身を守りたいという「恐怖」の感情に帰結する。
だけど、人間にはもう一つ重要な感情を持つ。
それは「愛」だ。

僕たちはなぜ、誰かを愛するんだろう。
人間にはなぜ、愛という感覚が与えられたんだろう。

僕には、人間は根源的に誰かと・何かと繋がっていたいという感覚が眠っているからだと思われる。
Onenessを感じることを願っているからだと思われる。
所属感も結局は、誰か・何かと繋がっていたいという欲求に起因する。

僕たちは既に1つだ。
この「地球」に生きる物として、他の生きとし生けるものといつでも運命を共にしている。
その事実を頭ではなく身体で理解した時、人間は本当の幸せを手にできるのだろう。

見た目、体格、考え方も話す言葉も違う。
だけど、そんな違いを乗り越えた先に、僕たちはOnenessを実感できるのかもしれない。

中華系、インド系、マレー系、それ以外の出自を持つ人々。
多民族・多文化共生社会では、自分とは異なるアイデンティティを持つ人を受け入れ、共に生きる努力をしてきた。
それができる人間に、僕は可能性を感じる。

それだから僕は、そんな社会を実現しようとするこの国に、うまく言い表せない尊さと感激を覚えるのだろう。

Marina Eastの遊歩道を歩きながら、そんなことを考えていた。

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マレー半島の最南端にやってきた。
ここはシンガポールの観光地として有名だ。
観光客が喜びそうな、目を見張るような建物やアトラクションが満載だった。

だが、僕にとってここは観光客が多すぎた。
泊まっているホステル付近のような、地元感が感じられない。
僕が一番面白いと思った多文化共生社会の「空気感」が、観光地に来ると薄れてしまっていた。

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夜、ホステルで相部屋になっているマレーシアから来た中華系のおっちゃんと街をぶらぶらしていた。

前日、お互いこの宿に泊まるのは初日だった。
そう言ったこともあり、おっちゃんがコインランドリーで洗濯しに行くのに付き添ったりして仲良くなっていた。

華僑で中国語を話す彼は、英語などは話せないようだ。
マレーシア訛りのある彼の中国語は、小学生レベルの僕の中国語力で聞き取るのは中々に大変だった。

よくわかっていないまま、どこかに行こうとしているのは理解した上で付いて行く。
が、しばらく歩いてもおっちゃんが探している場所は見つからないらしい。
彼は、確かこの辺にあったんだよなというようなことを言っていたが、結局諦めて引き返すことにした。

帰り道、僕たちは道すがらにある中華系のスイーツ屋に立ち寄った。
彼は中国語でゼリーはあるかと店員さんに聞き、それを注文した。
そして僕にも奢ってくれた。
おっちゃんは、出てきた中華風のゼリーをペロリと食べきった。

そんなおっちゃんを見て、彼のアイデンティティは中国につながっているのかなと感じる。
中国には一度も行ったことがないという彼が、どうも僕には奇妙に思われてしまった。

マレーシアでもシンガポールでも、中華系の人は中華系同士、インド系の人はインド系同士で固まっていることが多かった。
中華レストランでは中国系の人がほとんどだし、インド系レストランではインド系の人がほとんどだった。
自分と共通点がある人と仲良くなりやすいという心理も働いているのだろうが、中国やインドに住んでいなくても、彼らのアイデンティティは各々のルーツに根付いている気がした。

そういう僕も、自分のアイデンティティって何なんだろうと思うことがある。
日本国籍に変わっても、自分のルーツは中国にある。
今でも、好きな料理は?と聞かれたら「中華」と即答するし、出身を聞かれた時に「日本」と言うことに違和感を感じる。

どこかに、「自分はこの国に属する」という確信が欲しいのかもしれない。
今は中国人ではない。
「でも僕のルーツは中国にあるし」と、自分を日本人と認めたくない自分がいる。
日本生まれ日本育ちだし、大して中国語も喋れないくせに。

「ほんとは分かってる。
自分の居場所が欲しいだけだ。
日本に自分の居場所がなくて中国に逃げたって、何も変わらない。」

多様性と簡単に言ってしまうけれど、それを実践するのは簡単なことではない。
だからこそ、いろいろなバックグラウンドを持つ人が支え合って成り立っているマレーシアやシンガポールに、他の国とは少し違う面白さを感じていた。

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