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社交不安障がい者が旅をする。#39

ジャカルタで泊まったのは、一泊600円くらいの安宿だった。
昨日の夜、シャワーを浴びようとしたらお湯が出なかったことをフロントのおばちゃんに聞くと

「It’s broken.」

平然と、壊れてるから使えないと言われてしまった。
別に普通の水でも体は洗えるし、特に気にしなくてもいいかなとは思っていた。
だけど、おばちゃんの対応があまりにも平然としていて、自分はお湯が使えるという恵まれた環境にいたんだと言うことを思い知らされた。

世界には、お湯なんて使えず普通の水で体を洗っている国や地域だってある。
そもそも、その日の飲み水を何時間もかけて調達しに行っている人たちだっている。
しかも、そうして手に入れた水は、必ずしもきれいではない。

自分がどれだけ恵まれていたか。
そしてそれがあることを「当たり前」と思ってしまっていたか。
なくなって初めて気付かされる。
「あって当たり前」じゃない。
「そこにあってくれて、ありがとう」だ。

僕たちは、この地球上の限られた資源を共有している。
それは無限に使えるものではないのだから、いつだって感謝を忘れてはいけないはずだ。
この場所は、それを思い出させてくれた。

そう言う意味では、このボロくてコバエや蚊の集るホテルでの滞在も、価値のあるものな気がした。

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この国はヤバい。
街のカオスっぷりは今まで訪れた国の中でもトップクラスだ。

東南アジアを巡る中で、道路を走るバイクの多さでその国の発展具合を勝手に測っていた。
バイク地獄だったベトナムから北西のタイに向かうごとに、その数は落ち着いていった。
マレーシアに入るとそれほど見かけなくなり、シンガポールでは日本と同じくらいの数だった。
だが、ここに来てバイク地獄は再来した。

道の隅っこにはゴミが当たり前に散らかっていてハエまみれだし、側溝の水の汚さはえげつない。
ローカル感しかない小さな道を歩いていると、平然とガソリンを入れるための設備が置かれている。

「ガソスタって、事故が起きても耐えられるように他の施設よりも頑丈に作られてるらしいけど、ここ絶対そんな感じじゃないだろ。
事故でも起きたらこの辺り大惨事やん」

道路ではギターの先っぽにお金が入れるための缶をつけたギタリストが頼まれてもないのに演奏してたり、全身銀塗りのパフォーマーが交差点の真ん中で銅像みたくポーズをとってアピールしている。
それも、そんなことをしているのは1人や2人だけじゃない。

ショッピングセンターに入ればお客さんは全然いなくてシャッター街みたいだし、ゲームショップで売ってるゲーム機は2世代くらい前のものだ。

ちょっと頭がくらくらしてきた。
観光なんてする気は失せ、ただ街並みを見て回るだけでお腹いっぱいになってくるほどだった。
直前までマレーシアやシンガポールと、「規律」の存在する国にいたので、そこからの落差がひどすぎた。
いや、これまで恵まれた環境で生きてきた自分の基準がおかしかったのかもしれない。

どの国でもよく見かけた緑のGrabジャケットを着たおじさんたち。
彼らはライドシェアやフードデリバリーを主な収入源にしているのだろうか。
だとしたら、お世辞にも裕福なんて言えないのではないか。
でも、それが基準になっている人もいる。

僕たちの間には明らかに格差があって、その差を見ればみれほど複雑な気持ちになった。

リゾート地で有名なバリだとどうなんだろうと思いつつも、ジャカルタの混沌を身をもって教えられた。

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カオスに揉まれながらも、街を見て回る。
インドネシアは世界で最もイスラム教徒が多い国だと聞いていた。
街を歩くとヒジャブを被った女性は多いが、みんながみんなそうではなかった。

この場所で生きていくと言っても、インドネシア語はさっぱり分からないのでGoogle翻訳を使って意思疎通を試みる。
立ち寄ったコンビニやレストラン店員さんは、戸惑いながらも親切に対応してくれた。

思い返すと、この旅で翻訳アプリに頼ったのはこれが初めてだ。
街を回っていても外国人観光客らしき人たちの姿はあまり見られないし、ホテルのスタッフさんやレストランの店員さんもあまり英語を話せるようではなかった。
それでも現地人の中に1人紛れ込んだ外国人にも温かく接してくれる人たちと出会い、街の狂騒で疲れた心を落ち着かせた。

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