社交不安障がい者が旅をする。#46
Malang滞在2日目。
メインディッシュのハイキングは終わってしまった。
他にこの街でやりたいことは、特にない。
だが、ずっと屋内にいるのは性に合わないので、あてどなく街を彷徨うことにした。
少し歩くとマラン駅が見えてきた。
思ったよりも綺麗な駅で、駅構内にはいくつかお店も入っている。
「マレーシア語とインドネシア語は大体同じらしいけど、微妙に違うんだよな」
気になったのは、2つの国の言語の違いだった。
どちらの言葉でも、ありがとうは「Terima kasih」で同じ。
どちらの国も旅する中で、基本的な挨拶とかは全く同じなんじゃないかと思った。
ここの建物上部には大きく「STASIUN MALANG」と書かれている。
「stasiun」とはインドネシア語で「駅」なのだろう。
しかし、マレーシア語では「stesen」だった。
マレーシア語でトイレは「tandas」と言って英語と全くつながりがなさそうだが、インドネシア語では「toilet」で英語と同じ。
英語で出口を意味する「exit」は、どちらの言語も「KELUAR」だった。
街中で見かける公共表示の共通点や微妙な違いに、なんでなんだろうと興味は尽きない。
そういうのを見つけることこそが、海外旅の真の面白さの一つであると確信する。
小さなこの街に3日も滞在する必要はなかったかもしれない。
でも、余白があるからこそ新しい発見があり、それが旅や人生を面白くする気がした。
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さらに歩いていくと、カラフルな建物で埋め尽くされた村があった。
ホステルのフロントのお姉さんから教えてもらっていたが、ここがこの街の観光地の一つである村のようだ。
中の様子を見てみようと足を踏み入れると、村の住民らしきおじさんが話しかけてきた。
中に入るにはチケットが必要らしい。
50円くらいだったので、払って入ってみることにした。
村に入ると子供たちが遊んでいたり、おばさんたちが井戸端会議のようなことをしているのが目に入った。
狭い通路の両端には、人が住むための家が立ち並んでいる。
その家々の中からは人々の生活音や、テレビの音などが聞こえてきた。
「なんか物珍しいってだけで部外者が入っていってて申し訳ないな」
入り組んだ狭い道を歩きながらそう思った。
無邪気に遊ぶ子供たちは、元気に挨拶をしてくれる。
観光客が来ることに慣れているようだ。
でも僕には、余所者が誰かの住んでいるところにズカズカ踏み入っているようで気まずさを感じた。
結局数分散策して村を出ることにした。
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歩いていると雨が降り出してしまった。
通りの屋根伝いに進むと、一際大きな建物を発見した。
雨宿りを兼ねて入ってみることにした。
道路を渡って入ったのは、地元のスーパーだった。
2階まで商品が並んでいて、それなりの規模感だ。
腹も減っていたので、少しばかり摘むものを買って入り口で雨宿りを続けた。
スーパーの入り口付近では、駐車場に出入りする車の整備をしているおじさんがいた。
ぼんやりと様子を見ていると、彼は包装された小さなスナックを食べはじめた。
そして、空になった包装紙をさも当たり前かのようにその場に捨てた。
それを見て、経済がどうとかよりもこの国の人々の意識はまだ発展途上なんだなと思った。
いや、経済的に恵まれているかどうかは関係ない。
シンガポールにいた時も観光地から離れたホステル付近では、道の隅っこにゴミが散らかっていた。
そんな街の景観を見て、やっぱり僕はモヤモヤしてしまう。
だって、誰も汚くて不衛生なところで暮らしたくないはずだ。
衛生的でないことによって蔓延する感染症もある。
それに、街は僕たちだけのものではない。
どの国のどの地域にあったって、大前提として地球のものだ。
そんな地球を我が物顔で汚し、環境を破壊する行為に憤りを覚える。
じゃあ、街にゴミ箱をたくさん置けばいいかと言われると、それでは根本的な解決にはならない気もする。
それは、処理してくれる誰かがいて初めて機能する。
やはり、自分が出したものは自分で責任を持って処理すべきだと思う。
そうやって他者に配慮ができるからこそ、僕たちはお互いに支え合って生きていける気がする。
自分だけならいいだろう。
みんなそう考える。
でも、「悪い意味で自己中心的な態度」でいて、誰かを大切にできるはずがない。
環境に配慮することは、自分と他者を思いやって幸せに生きることなのだから。