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社交不安障がい者が旅をする。#32
バスはマレー半島の南端に近づこうとしていた。
車窓から見えた国境の街「Johor Bahru」 の発展ぶりに、やっぱりマレーシアってすごいなと思ってしまうのだった。
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バスに揺られること4時間。
ついにシンガポールに入った。
入国の手続きを進めるため、イミグレーションに並んで順番を待つ。
目の前に入国審査官の姿はなく、自動改札にパスポートと指紋をスキャンするだけで入国できるようだ。
日本でも同じようなシステムがあったが、他の国では見なかったシステムに物珍しさを感じてしまう。
待っていると、隣の列の女性をスタッフのおばさんがサポートをしていた。
おばさんは、女性の見た目から最初は中国語で話しかけたが、彼女が英語で答えたのに対してすぐに英語に切り替えた。
彼女以外にも、この場にいる人は皆、英語と中国語が話せるようだ。
無事に入国し、再びバスに乗り込む。
車窓を眺めながらしばらく走ると、バスは降車予定の停留所に到着した。
降りたバスターミナルは、商業施設と直結しているようだ。
雨も降っていて身動きも取りづらいので、少し見て回ることにした。
歩き回ってみてまず驚いたのは、この国の物価の高さだ。
シンガポールの物価が高いのは知っていたが、それでも数時間前にいたマレーシアとの落差が僕にショックを与えた。
そして、よく見かけるのは北東アジア人っぽい顔立ちの人たちだった。
ヒジャブを被った女性も見かけるが、非常に少数だ。
彼らの会話を聞いていると、中国語を話していることが分かる。
お店の看板なども多くは中国語、それに添えるように英語でも表記されていた。
一通り見て回って満足した後、バス停に向かった。
待っていると、見知らぬおじさんが道を聞いてきた。
彼はいかにも中国人といった風貌だったが、最初は英語で話しかけてきた。
「对不起,我也不清楚这个地方。(すみません、僕もここには詳しくないんです。)」
僕が中国語で答えると、彼はそれを理解したらしく立ち去っていった。
バス停の情報は、すべて英語で表記されていた。
時刻表が書かれており、次便の到着予想時刻も電光掲示板に表示されている。
「ここまでの国で時刻表見たの初めてだな」
周りにいた人たちの会話も、中国語、英語、それ以外の言語と様々だ。
バスに乗って、この国の実態をなんとなく理解した気がした。
公共の場での情報は、英語で表記されている。
周りにいる人たちは非常に多様で、中国語を話している声が聞こえてくることもあれば、英語やその他の言語が聞こえてくる。
「この国の人、スペック高っ。。。」
物価が高いということは、国として発展しているということだ。
この国が周辺諸国と比べても発展しているのはなぜか、その理由が垣間見えた気がした。
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宿に着いてからシンガポールやマレーシアのお国事情が気になってググっていた。
「1400年代頃に海運の要衝として栄えた」
「19世紀に中国やインドからやって来た移民が、現在の社会様式につながっている」
「マレー系、中国系、インド系とその他民族による多民族・多文化共生国家」
「シンガポールは1965年に、マレーシアから分離独立した」
確かにマレーシアの「Look East Policy」なんかは、学校の社会科の授業中にで習った。
ただの付け焼き刃だった知識が、実際にこの目で見ることで、一気に肌感覚として理解できた。
大した知識も復習せぬままマレーシアを回ってしまって勿体無いことをしたなと思いながら、マレー半島に位置する多文化共生国家の生い立ちに夢中になってしまった。
中国系の人は中国系同士、インド系の人はインド系同士固まっていることが多いように見えるが、いざとなれば英語で民族の壁を越えて会話している。
日本ではあまり見られないその光景に、「違い」を乗り越え同じ人間として手を取り合っているような感じがして、尊い気持ちになった。
「なんかやばい国に来たな。。。」
ここまでに訪れた国全てが、ユニークで非常に面白かった。
だがここには圧倒的な多様性があり、僕の琴線を刺激する文化がありそうな予感がした。