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社交不安障がい者が旅をする。#30

無料で観覧できるという博物館に行ってみる。
館内に入ると、スタッフの女性に案内されるままスマホからフォームを入力し、ロッカーに荷物を置いた。

1階に上がると、テクノロジー分野に関する展示がされていた。
マレーシアでのインターネットの利用率や、キャッシュレス決済の歴史などが学べた。

「ATMって、1968年に発明されたんだ」

現地通貨を引き出す際に使っているATM。
それがなければ、クレジットカードを使った海外キャッシングもできなかった。
クレジットカードが発明されたのも、同じように僕たちの暮らしを便利にした。
まだインターネットもない時代に発明されていたという事実は、物心ついた時からネットがあった僕には現実離れしたものに思えてしまった。

展示自体も面白かったが、同じくらい興味深かったのは、現地の学生たちがここを訪れていたことだった。

制服を着た少年少女たちは、展示などには目もくれず友達と元気にはしゃいでいる。
そんな彼らが話しているのは中国語のようだった。
確かに、女子生徒はヒジャブを被っていないし、みんな中国人っぽい顔立ちをしている。
この学生たちは、中華系学校の生徒なのだろう。

そんな彼らを見て、色々な文化が混ざり合った国だからこそ多様性を重視した教育があり、子どもたちはのびのびと学んでいるんだろうなと感じた。

日本は基本的に日本人の国なので、日本語だけ話せれば生きていけるだろう。
でもこの国は違う。
街を歩けば中東系の顔立ちの人やインド系の顔立ちの人、やや褐色な東南アジア系の人、北東アジア系の人など、色んな人を見かける。
日本がまだ及んでいない、圧倒的な多様性が感じられた。

色んなバックグラウンドを持つ人と繋がる為には、一つの言語だけでは不十分だ。
日本で教育を受けたけれど僕のルーツは中国にあるし、国籍は変わっても中国が好きな自分がいる。
家族の一部はアメリカにいて彼らは最早アメリカ人。

それに、世界には数えきれないほどの言語が存在する。
世界中の色んな人と繋がるためにも、英語や中国語、その他の言語ももっと習得したいと願っていた。
だからこそ、刺激的な環境で生きる彼らが眩しく見えた。

もう一つ興味深かったのは、中国系の女性はヒジャブを被っていないことだった。
イスラム教徒であることを示唆しているのは、それらしい顔立ちをした人だけだ。

特定の宗教持たない僕には、信仰というものがどう言った感覚なのかは分からない。
だけど、ムスリムの彼ら彼女らもそんなに深く考えていないのかもしれないと思った。

「親がムスリムだったから、子も自然とその宗教を受け継ぐ感じなのかもな」

親からすれば、子にも同じ宗教を信仰してほしいと思うだろう。
そんな環境で育てば、子供にとってもその宗教が当たり前になっていく。
ヒジャブを被らない方が違和感を感じてしまう。
その宗教の根本の意味を考えることもあるかもしれないが、それ以上にそうすることが「普通」になっているように思えた。

考え方や習慣の違いを基にした対立が起きているのは悲しいことだが、人々の間で当たり前になった「共同幻想」を変えるのは簡単ではない。
それに、信仰には確かに意義があるようにも思う。
人が生きていくには、拠り所が必要だからだ。
会社員時代、人生の拠り所を失って、何のために生きてるんだろうと苦しんだ経験から、そう言える。
神を信仰することは、その人にとっての心の拠り所になり得る。

カンボジアで出会ったインドの彼女も、僕が日本人は特定の宗教を持たないと言って驚いた理由が分かる気がする。
彼女も、人生の苦しみに直面した時は宗教に縋ることで、それを乗り越えられるのだと理解していたのかもしれない。

博物館は見どころ満載だった。
こんなに無料で見れていいのかな、最初に預けたdeposit 寄付してもいいくらいだと思いながら、その場を後にした。

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近くの駅から電車に乗った。
次に行こうと思っていたのは、クアラルンプールの観光スポットとして有名なBatu Caveだ。
しばらく電車に乗っているとその場所に到着した。

駅を出て案内に従って歩いていくと、大量の鳩と猿がいた。
周囲ではバナナや乾パンみたいなのを売っている。
恐らく野生の鳩や猿たちに餌付けして楽しむ為だろう。

さらに歩いていくと、お目当ての洞窟が見えてきた。
巨大な像と洞窟に続く七色の階段がきれいだ。
だけど、洞窟に入ろうと階段を登り始めると、遠目で見ただけでは分からないこの場所の実態が浮き彫りになった。

辺りはペットボトルやビニール袋、お菓子の袋などのゴミが散乱している。
まだ中身があるものなどを猿たちが弄んで、被害をより深刻にしているようだった。

それを見て、何だか嫌な気持ちになってしまう。

猿たちは悪くない。
問題は、自分勝手にモノを持ち込んだ人間たちだ。
それに、野生の鳩や猿に餌付けして遊ぶのも、自然界を必死に生きている彼らへの侮辱に思えた。

その辺に転がっているスーパーの袋やお菓子の袋をゴミ箱に持って行っても、人が入らないようになっている場所までゴミが落ちていたりする。
売店近くのゴミ箱を猿が荒らして、それを追い払ったり掃除したりしているスタッフの人が気の毒になってしまう。

そんな僕も、買ったカットマンゴーを食べようとすると当然猿に飛び蹴りされて、苛立ちを覚える始末だった。

洞窟の見学自体は面白かったが、この場に長居する気にもならず、帰りの電車に乗り込んだ。

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