そのプールで泳いでいけない
第二土曜日に校内のプールで泳いではいけない。
ある高校の水泳部にはそういう、なんとも不思議なルールがあった。
県下では中堅より上くらい、過去には全国大会に出た選手を輩出したこともある高校だから、当然部活動にも精力的に取り組んでいる。
しかし、頑なに第二土曜日だけは校内のプールで部活動をしようとはしない。
それにはこういった理由があった。
昔この高校は男子校だった。
それが生徒減少の時代の流れに合わせて共学になったのは、それでもかなり昔のことだったらしい。
ただ、当初、同じ教室で授業を行うようなことはせずに、校舎も分けていたらしい。
そしてプールに近い校舎は女子生徒のほうにあてがわれた。
外階段からプールを覗ける構造になっていたため、男子生徒をそこに配置することを心配する意見があったからだ。
そして、この外階段からプールをよく眺めていた少女がいた。
美術部に所属していた大人しい少女だったという。
少女はもともと体弱く、運動をすることを医者に禁じられていた。
高校は私学だったので、勉学では優秀だった少女の事情を考慮することは比較的容易だった。
この美術部の少女がある水泳部のエースと恋仲だったのだという。
それも女子水泳部の。
これがいわゆる思春期の一時的なものだったのか、それとも真剣な交際だったのかは誰にも分からない。
少なくともそのとき、少女にとっては真剣な恋だっただろうことは後々のことを思うと疑う余地はないと思う。
二人の仲は公然のこととして受け止められていた。
奥ゆかしい二人の交際は、傍目にはとても仲のいい友人同士にしか見えなかったし、体の弱い少女が水泳部のエースに憧れている、そのくらいに周りは捉えていた。
当時の水泳部はエースの少女に牽引されて今よりも強く、全国大会に歩を進めることはほぼ確実視されていた。
だから、外階段から少女がプールを眺めていても、誰も咎めなかったし、奇異な目で見ることもなかった。
少女もまた部活動中に恋人に話しかけるようなことはせずに、黙々と絵をかいていたらしい。
彼女のスケッチブックがどのような絵で埋まっていたかは想像に難しくはない。
しかし、この恋はいい結末を迎えることはできなかった。
彼女の恋人、つまり水泳部のエースだった少女が突然プールでおぼれ死んでしまったのだ。
それも少女の見ているその前で。
それは第二土曜のことだった。
当時は今のように週休二日制などなかったし、土曜は半日で終わるから、部活動をするにはもってこいの日だったのだ。
天気は晴れ。季節は初夏のことらしく、大会を目指して水泳部の部員たちは練習に励んでいた。
恋人が溺れたのはプールのちょうど中央の辺りだったらしい。
前触れも何もなく、普段通りに泳いでいた少女が不意に水の中に沈んだ。
最初は状況が誰にもわからなかった。
いきなり素潜りを始めたようにしか見えなかったからだ。
しかし1分経ち、2分経っても少女は浮かんでこず、おかしいと思った他の部員たちが潜ってたしかめたときにはすでに少女は身動き一つしていなかったらしい。
原因はまったくの不明だった。
様々な憶測が飛んだが、彼女の体から薬物などは発見されなかったし、彼女が溺れた時、周りには誰もいなかった。少なくとも彼女を沈められるような近くには。
その後、恋人の死を目の当たりにした少女は気を病んでしまったらしい。もともと体が弱かったことも災いしてか、快方に向かっていた持病が悪化して、彼女を追うように亡くなってしまったのだそうだ。
異変が起こり出したのはその少女の死から間もなくのことだった。
エースの少女が亡くなった第二土曜日に校内のプールで練習をしていると
「違う、違う、違う、お前じゃない、お前はいなくなれ...」
そんな声が聞こえるようになったらしい。それも泳いでいるさなかに。
プールで泳いでいるときは水面でバシャバシャと音を立てているか、それとも潜っているかなわけだから、どちらにしても音がクリアに聞こえるはずがない。
しかし、その声はまったく平坦に同じ調子で延々と繰り返される。
実害はなかった。溺れる者がでるわけでもなければ、事故も起こらない。
だが、練習のたびにそんなことがあっては部員たちのモチベーションはどんどんと下がって行ってしまう。
中には退部を申し出る者もいたらしい。
お祓いなども行われたらしいのだが、効果は一向になく、結局、そのときの顧問は第二土曜日以外にはその現象が起きないことをたしかめて、以後、『休養日』と位置付けて一切の部活動を行わなくなった。
不可思議にも校内の授業で使われる際にはその声は聞こえない。
なのでこの噂は当事者になった生徒たち以外には伝えられず箝口令がしかれ、今では学校の関係者にだけ、代々伝えられているらしい。
私は静かにPCを閉じた。この話を投稿したのはある後日談があるからだった。
そしてこの話を投稿することである人に気が付いて欲しいという思いがあったからだ。
おそらくきっと彼女は見つけることだろう。
私は彼女からの連絡を待った。