バスが来ない (朗読:かすみみたま様)
当初は家に帰りたいという意味で言っているのだと、友人や施設の人たちは思っていた。
入所する人の多くがバスか自家用車で最初訪れる。
老人の場合はバスに乗ってだったから、同じバスに乗れば帰れると信じているのだとみんな思ったのだ。
それから、来る日も来る日も「バスはまだか?バスはまだか?」と老人は言い続けた。
「赤いバスはまだか?赤いバスに乗りたいんだ」そう繰り返した。
ある職員の一人が見かねて段ボールで小さなバス停らしきおもちゃを作った。
子どもが作るようなものと大差ないできだったらしいが、案外こういったものでも効果はある。
「ね、おじいちゃん。バスが来ないでしょ。だから待っているしかないのよ」と優しく語りかけると、男性は途端におとなしくなった。
かわりに老人は日がな一日そのバス停を眺めて過ごすようになった。
おもちゃに向かって「赤いバスは来ないのか?」と小さな声で言い続けて。
入所してから半年くらい経ったころ男性は亡くなった。
年齢的に大往生といっても差支えはない亡くなり方だったらしく、その臨終の場に友人もたまたま居合わせた。
老人は眠るように息を引き取ったのだというが、最後に何か言おうとしていたのを友人は見逃さなかった。
「はっきりと聞こえなかったけれど、きっと『バスがきた』だったんじゃないかな」と友人は言った。
老人がこれでやっと家に帰えれるのだと、少しホッとしたのだという。
亡くなったということで、退去にともなう私物の整理を行うことになった。
そのとき友人は段ボールでできたバス停のおもちゃを家族に差し出した。
「おじいさんの棺にこのおもちゃを入れてあげてはどうでしょうか」といい、
「ずっと赤いバスで帰りたがってましたから」と伝えた。
娘さんは「有難うございます」と受け取りながらもちょっと怪訝な顔をした。
「赤いバスってなんのことでしょう?」
言われて友人は気が付いた。
別の街から来るバスが赤かっただけで、老人が住む町から来るバスは青かったのだ。
入所していた部屋は道路と反対。窓からも赤いバスを見る機会もなかったはずだ。
老人が本当は何を待っていたのか。なんで気が付かなかったのだろうと友人は今更思ったが、そのときにはもう知るすべもなかった。
友人は今でも半分嬉しそうで半分悲しそうな、そんな老人の最後の顔をときどき思い出してしまうらしい。