ある村の記憶(朗読:絢河岸 苺 様)

私が成人するまで住んでいたのはいわゆる、都会の田舎だった。
生活の一通りは近所で十分に揃い、東京が近いのが便利。
ただそれだけのところだった。
そこを離れて二十余年経つが、遠くに引っ越しわけでもない。
今でもたまに通りがかるが相変わらずあまり開けてはいない。
子どもの頃はそれがさらに顕著で、近所に養鶏場や小さな果物畑がところどころあり、最寄りの駅からは水田が見えた。

小学校低学年のころ、私は今よりも少し活動的で、そして探検好きだった。
もっとも子どものできる探検だから大したことはない。
家からそう遠くまでは行くことはなく、たっぷり時間をかけて歩き、へとへとでやっと見つけた公園も、実は遠回りしていただけで家のすぐ近くにあったりしていた。

あれはたしか夏休みの夕方のことだった。
私は一番暑い時を避けて家を出た。
暑いと言っても日中で30℃を超えることは稀で、熱中症なんて言葉とも無縁だった。
私は通っていた小学校近くの駄菓子屋に向かっていたが、その道すがらに古くて大きな家が何軒もある場所があった。
土地の地主一族が住んでいて、門から覗くと、庭の中に大きな木があったり置物や小池あったりで、ちょっと他の家と違うなという雰囲気を感じることができた。

そのとき、家と家との壁沿いに細い道があることに気が付いた。
何故ちょっと寄り道をしようと思ったのか。
子どもの気まぐれか、それとも何か感じるものがあったのか。
いつもなら気にも留めずに通り過ぎるはずが少し行ってみようという気になったのだ。
道を壁沿いに歩いて真っすぐ行き、突き当りを一度右に曲がると急に土地が開け、その奥に竹林があった。
竹林は奥の奥、果たしてどこまで続くか分からなかったが、その手前、竹林の入り口辺りに家があるのが見えた。
小さな家が平屋ばかりで五、六軒。
各家の庭先に長椅子が置かれ、大人が五、六人ほど夕涼みをしていた。
近くに私と年の近い子どもたちも数人いた。
みな浴衣のようなものを着ていて、近くにお祭りでもあるのかな?と思ったことを憶えている。
大人たちは私を見て一様に驚きの表情を浮かべ、子どもたちは少し離れたところでは興味ありげに私を見た。
大人たちは何か小さい声で互いに話し始めた。
「坊や、何処から来たんだい?」その中の一人、ほっそりとして少し背の高い中年男性が長椅子に腰かけたまま私に話しかけてきた。
穏やかな顔をし、近づくと手に持った団扇で私を扇いでくれた。
私が「あっち」とだけ言って、今来た方向を指差すと、男性はにこりと笑い、隣の女性に「問題ない。うっかりにだけ気を付けてくれ」とそう言った。
男性の言葉に頷くと女性は私を手招きし男性の隣へと私を座らせた。
「のどかわいてない?」その言葉に私が頷くと「これしかないけど」と言って、サイダーの瓶を渡してきた。
「少しぬるいけど、これは大丈夫だから」
何か引っかかるものはあったが、私はお礼を言って口をつけた。
炭酸が苦手だった私にはぬるいほうがかえって飲みやすかった。
男性が子どもたちに「向こうで遊んでいなさい」というと子どもたちはさらに竹林の奥へと走っていった。
子どもたちが走り去ると、そこにいた大人たちが独りまた独りと、私に近づいて話しかけてきた。
一度に来なかったのはおそらく私を怖がらせないためだったのだろうか。みな表情は優しかった。

大したことを話したわけではないと思う。
小学校に通っているというと、最近どんなことを習っているのだと聞かれた。
好きなものは何かと聞かれると私はその当時好きだったアニメや特撮番組の話をした。
みな興味深そうに私の話を聞いていた。もともとおしゃべり好きだった私はそんな反応が楽しくて色々なことを聞かれるままに答えたと思う。
時間にして長くても三十分程度、私がゆっくりサイダーを飲み終わったところで、最初に話しかけてきた男性が私の背に軽く触れた。
「さ、あまり長居をしていると、お母さんが心配するよ」
それがおしゃべり終了の合図になった。
周りの大人たちも「そうだね。そのほうがいいよ」といい、何人かが優しく私の頭を撫でた。
私は大人たちの優しさが嬉しくて、思わずに男性「また来てもいい?」と尋ねた。
男性はその言葉にちょっと困ったように目線だけ上を向き、そのあと私に目を合わせると、

「また来れたなら来てもいいよ」

とそう答えた。
私は無邪気にそれを快諾ととらえて頷いた。

私は椅子から降りた。と、男の子が一人、私の側に走り寄ってきた。
丸坊主で年は私よりも少し上だったと思う。
「これあげる」
そういって、自分が持っていたサツマイモを二つに割り、その小さいほうを渡そうとしてきた。
「ダメ!」
女性が慌てて男の子の手を掴んだ。
少し驚いた私は女性の顔を見上げ、続いて男の子のほうを見た。
男の子は少し悲しそうな目で女性を見上げていた。
「ハンカチを持っているかい?」男性が私に問いかけた。
私がポケットからハンカチを取り出すと男性はそっとそれを手に取り、男の子から小さなサツマイモを受け取った。
「家に帰ってから食べなさい」そういって私に少し丸まったハンカチ渡した。
私はサツマイモが苦手だった。ただせっかくの好意を断るのも悪いと子どもながらに思って、黙ってそれをポケットに入れた。

その瞬間だった。

「坊や、そこから戻っておいで」
私は後ろから声をかけられた。
振り向くと老婆がいた。
年はいくつくらいだろうか、おそらく60過ぎくらい、今よりも年寄りは年寄り然としていたから、いま見れば70過ぎくらいに見えるかもしれない。
「そこはヒト様の場所だ。誰も住んでないが、勝手をしてはいけないよ」
声色は優しかった。
私はその言葉に驚いて、慌てて周りを見回すと。
そこには誰もいなかった。
朽ちた家々がいくつもあり、勿論、人の住んでいる気配などはなかった。
さっき座っていた長椅子は見る影もなく崩れていて、空のサイダー瓶が地面に転がっていた。
「あら、お供えを飲んじまったのかい。ま、さっき置いたもんだから構わないけどさ」
老婆は苦笑した。
私が慌てて駆け寄ると、老婆は優しく私の頭を撫でた。
「ここはね、私のご先祖様が住んでいた場所なんだよ。この辺りも昔は小さな村がいくつもあってね……」
老婆はそこで言葉を切った。何かを知っているようだったが、それ以上を語る気もないようだった。
「もう来てはいけないよ。いたずらに来るようなところではないからね」
そう言い、ポケットから飴玉を取り出して一つくれた。
私はお礼を言うと飴玉をポケットにしまおうとして、先ほど受け取った小さな包みに気が付いた。
丸まったハンカチ。
私はそれを開こうとして、ふと、男性の言葉を思い出してポケットにまたしまった。

今でもそのときのハンカチは包まれたまま私の元にある。
あの後、帰宅した私はハンカチを一度開いた。
中身は石へと変わっていたが、その形は受け取ったときのサツマイモそっくりだった。
幼い私がこの石をかじったらまたあそこに行けたのかもしれない。
ただそれが望まれたこととは思えなかった。
あるいはあそこにいたのは幽霊などではなく、住む人のいなくなった村の記憶、幻影などではないかと考えたりもしている。
あの時点で築年数も分からないほどだったから、さすがにもう無いだろう。
しかし私は今でも夕暮れに細い道を通るとき、ちょっと緊張する。
この先がどこにつながるのかハッキリと信じることがいまだにできないのだ。


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