これは私が友人Aから聞いた話。
ある日、大学時代の遊び仲間と久しぶりに会って飲もうということになった。
卒業してもたびたび会っていたが、この時は各々の事情でなかなか集まることができていなかった。久しぶりに会うと代り映えのない日常の近況報告でも、これが意外に時間がかかった。
一通り話し終える頃にはみなほどほどには飲んでいて、話は自然と学生時代のことになっていった。
そうこう話していく中で、ふと何か怖い話はなかったか、と私が友人たちに聞いた。
私は大学在学中に決まったサークルには入らないで過ごしていたのであまり詳しくなかったが、仲間の多くは何某かのサークルに入っていて、そういえば部活棟に何か噂話があったことを思い出したからだ。
当時はあまり突っこんで聞くのも悪いかなと思ったので触れなかったが、卒業した今なら聞いてもいいだろうと水を向けた。
すると、仲間のうちでAが「あぁ、その話か」と言いながらビールジョッキをテーブルに置いて、煙草に火をつけた。
「まあ、あまりオチのある話ではないんだけど」と前置きして、「それでもいいなら、話してやるよ。」と語り始めた。
Aの話はこんな内容だった。
同級生にYという学生がいた。
ひょろっとしているというよりも少し細すぎてむしろげっそりというほうが近いかも知れない。
雰囲気は言ってみれば.人畜無害を地でいっているような男子学生で、不思議と周りの人に好かれた。
目立たないが根暗ではなく、人当たりはよかった記憶がある。
Yはいわゆる苦学生で、いつもお金がなかった。
学食でバッタリ会った時に、会話の流れで「なあ、お前のたまの贅沢って何?」と何気なく聞くと、少し考えてから「牛丼かな」と返ってくるような。
思わず、「いやいや、よく食ってるものじゃなくて贅沢品」と言い直すと、今度は「牛丼の特盛に卵」と真顔で言っていた。
私が通っていた大学には、年に何人かは同じようにお金のない学生がいた。
その中から、だいたい漫研とか映研などの文化系のサークルに多かったが、部室で寝泊まりする学生が必ず出てくる。
どの部室にも代々の卒業生が残していった家具や家電があって、生活に使うようなものはだいたい一通りあった。
ソファベッドやテレビ、電子レンジ、部室によっては旧型とはいえネット環境が整ったパソコンもあった。
しかも水道代、光熱費はタダで、運よく優しい先輩がいればなんやかんやと差し入れてくれるから食べ物にも困らない。
難点としては当時部室棟が建て替え中のため、大きなプレハブ小屋のような作りなっていた。夏は暑く、冬は寒いが、エアコンは完備されているのでどうにかならないことはなかった。
サークルとしても、掃除や雑用を押し付ける後輩は必要だったから、必修科目が多く、バイトのかけもちがつらい1年や2年のメンバーの中で真面目そうな学生を見つけては歴代の部長が声をかけていたらしい。
大学側も事情は百も承知で、そもそも大学全体を見渡せば、ほぼ毎日、どこかで誰かが徹夜作業していたので、何か騒動でも起こさない限りは「学生の自主性を尊重する」などと言って放任していた。
Yが部室に住み込んだのも当然の流れだった。
1年の間は何事もなかった。もともとが住居用ではないから壁は薄く、当初は隣の部屋の音などが聞こえたりして困ったようだったが、住めば都というか、慣れてしまえば大したことではなかったようだ。
それは2年生になって後期授業が始まりだした秋の頃の話だという。
最初に聞こえたのは”ぴちょん”という雨漏りのような音だった。
今更の説明になるが、その大学は何と言えばいいのか、小高い丘と言うか、ちょっと背の低いような山と接しているような場所にある。
風で揺れる木の葉の音みたいなものは、しょっちゅう聞こえていたけれど、雨の音はともかく、水の音はあまり聞き覚えのあるものではなかった。
どこかで雨漏りか漏水でも起こっているのかなと思い、部室に泊まっていたYはその音がどこからするのか確かめることにした。
Yは部室を出ると左側に進んでいった。
大学の部室棟は、言ってみれば江戸時代の長屋に構造が近かった。
一階建ての建物で、部屋がいくつもいくつも薄い壁で仕切られて連なっており、全体を上から見ると細長いコの字型になっている。
Y がいた部室は、コの字で言えば上の線の左端、ちょうど入り口の辺りにあった。
音はまっすぐ進んだ一番奥、直角に折り返すあたりから聞こえていた。
そこは写真部だった。
現像に使う暗室があったはずで、ひょっとして蛇口の閉め忘れでもしたのかなとYは覗きに行くことにした。
部室棟といっても距離にしてみればせいぜいのところ50 mかぐらいのもの、だから、歩いてもそれほど多くの時間はかからない。
Yは実際、写真部の部室にはすぐに着いたと言う。
暗室につながるドアの鍵が壊れていることを知っていたYは、ドアノブをひねって部屋の中を覗いてみた。
が、一切水の音などはしなかった。思い返せば、扉を開けると同時に水の音がピタリと消えてしまっていたという。
一応、暗室を通って写真部の部室の中も覗いたが、別段変わった様子はなく、床が水で濡れているということもなかった。
何か聞き間違いでもしたのかと首をひねりながらYは写真部の部室のドアを閉めた。
さて、戻って朝まで寝ようか、とYは思ったが、ここであることに気がついた。
さっきも言ったように部室棟の入り口までにそれほどの距離はない。
いつもなら夜だと言っても、入口から薄く明かりが入ってきていた。
ところがその日は戻るべき部室までの道がほぼ真っ暗になっていたのだ。
もちろんただの一本道ではあるし、携帯電話も持ってきてはいたから道を照らすことぐらいはできる。歩き慣れた廊下ではあるし、特に問題はないはずだった。
なんだか薄気味悪くなりながら、Yはそそくさと戻ることにした。
ところが今度はいくら進んでも部室につかない。
特に気味が悪いのは廊下の光景が記憶にあるものばかりであるということだった。たしかに自分はいつもの廊下を歩いて、いつも泊っている部室に向かおうとしているはずだ。間違いなくに帰ろうとしているはずだ。
しかし、実際はいつまでたっても部室にはつかない。
いつのまにか携帯の電波は圏外になっていた。
時間を確かめようと表示を見るも、時間の表示も見るたび見るたびに数字が違っていてあてにならない。
自分は一体いまどこにいる、自分は一体いまいつにいる?そもそもここは自分が知っている世界なのか?
Yは全身に冷や汗をかいた。
自分は一体なんでこんな目にあっているのだろうか。
だんだんとYはわけが分からなくなってきて、自分でも半狂乱になろうとしていることが分かった。
それでもそうなる自分をYは止めることができなかった。
心が押しつぶされそうな不安の中で、もはや自分でも何を言ってるかわからない叫び声をあげながらY はひたすら走った。
もう廊下を照らす事すらせずに、真っ暗な廊下をただひたすらにまっすぐ走り続けた。
.........一体どれほどの距離を走ったのか。
汗で着ているものはびしょびしょになり、喉もカラカラ。
もはやYは一歩も歩けなくなった。
Yはその場にへたり込み、自分はなんでこんなところで死ぬことになるんだろうと、もうそんなことを考えていたらしい。
なんで自分はこんな目にあわなくちゃならないんだろう。もう無理だ。俺はここで死ぬんだ。助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ。
涙が流れてきた。
そしてYはその場に倒れこみ、意識を手放そうとしていた。
その瞬間だった。
「おいお前なにしてんだそんなとこで」 突然、サークルの先輩Bの声が頭の上から聞こえた。
B 先輩は卒論の作成に手間取っていて、その頃、大学でよく寝泊まりしていた。
「なんだY。腹でも減ってるのか?」
B先輩はのんきな声でそう続けた。
「お前、なに食堂の前にへたりこんでるんだ。食いもんでも盗みに入ろうってのか」
状況を掴めないまま、Yは顔をあげた。
すると、目の前に見慣れた扉、学生食堂の入り口があった。
【本日の営業は終了しました】
時間外を示すいつもの札が目の前にぶら下がっている。
「どうしたんだよ、Y。」とB先輩。
「そこのコンピューター室でうつらうつらとしていたら、ドタバタドタバタドタバタと、随分とうるさい音を立てて誰かが来るから様子を見に来たんだ。そしたらお前が走ってくるじゃないか。どうしたっ!って大声で言っても反応はないし、しまいには学食のドアの前へたり込んで泣き出すし。何かあったのか?俺が聞ける話なら聞いてやるぞ?」
普段から面倒見のいい先輩Bの言葉に、わけがわからないなりに、どうやら自分は助かったらしいと思ったYは大きな声をあげて泣き崩れた。
「そのあと、B先輩に何があったのかをYが話したそうなんだけど」Aは新たに煙草に火をつける。どうでもいいが、少し煙たい。
「あの部室棟にそんな怪談や噂話はなかったんだよ。そもそもあの時期にプレハブになっていたのだって、ちょうど部室棟の建て替えの時期だったからで、曰くも何も、建物自体ができたばかりだ」
Aの言葉に私は頷いた。実際、授業中にも工事の音が響いて迷惑した覚えがあった。
「まあ、そのあとは特に何もなかったし、長々とかかった工事も俺らが3年になるころには終わって、みんな新しい部室棟に移っていった。仮の部室棟だったプレハブ小屋は壊しちまったし、結局、なんだったのかは誰にも分らずじまいだよ」
Aの言葉にまた私は頷いた。本当になんだったのか分からない話だった。
部室棟と学食がある通称”事務棟”とは繋がっていない。
大学にもよると思うが、普通、大学は同じ敷地に複数の建物があって、行ってみれば団地みたいな構図になっている。
仮に部室棟でYが何か怪異にあったとしても、学食に行くには一度外に出ないといけない。
わざわざ屋外に出て、もちろん一本道ではない、それどころか途中そこそこの階段もあるはずの道を走り抜けて学食の前でへたり込む。
むしろYが病気になったと言われたほうがまだ信じられる。
私には少しこの件で思い当たる他の噂話があったが、これは本当に噂の範疇であるし、それが事実だったところで今更なにがどうなるわけでもないだろう。
Yはその後、3年になるのを待って、当時付き合い始めていたHという後輩と同棲し始め、4年きっかりで大学を卒業した。
今はHと結婚して平穏な日々を過ごしているらしい。
卒業する頃も相変わらずひょろりとはしていたが、げっそりとはしておらず、頬が少しふっくらとしてきてはいたから、特に祟りなどはなかったのだろう。