これは友人のBさんから聞いた話だ。
彼女が通った高校にある噂があった。

『雪の降る日に屋上に行ってはいけない。
明日に飛ばされてしまうから。
明日に飛ばされて、昨日に帰ることはもうできない。』

多くの生徒、少なくともクラスメイトはこの噂を知っていたはずだとBさんはいう。
ただ、そもそも屋上に行くための扉の鍵は締まっているし、大雪の日であれば休んでも大目に見てもらえるくらいには緩い学校だった。
そして、Bさんが通っていたときには特に何事も起こっていない・・・ということになっている。
「どうしてもある人のことで話が合わないんです。クラスにいたはずの子のことを私以外、誰も覚えていないんです」
当時の友人と連絡を取ることもあるが、やはりいまだに話が合わないらしく、今では噂のことも誰も憶えていないのだという。

話はBさんが高校三年生の頃に遡る。
Bさんの両親はいわゆる転勤族で、Bさんは高校最終年という微妙な時期を新しい環境で迎えることに不安ばかりだったという。
だが、予想に反して、クラスメイトとは気が合い、学校に馴染むのにはそれほどの時間はかからなかった。
そのクラスに“Mくん”がいた。
いわゆるクラスのお調子者で、声やリアクションが大きく、とにかく目立つタイプだった。
彼の大きな話し声はBさんの耳にも自然と聞こえてきたのだという。
そして冒頭の噂話は彼が言っていたものだった。Bさんはほかのクラスメイトも「なんなんだろうね。それ~」のような感じでワイワイと話したことを覚えていた。
Mくんは雪が降ったら、一度挑戦してみるのだと息まいていた。
一日くらいなら飛ばされてみたい、どんな体験ができるのか興味がある、というMくんの言い分は分からなくもなかったが、随分と子供じみたことを言うと少し呆れてしまったそうだ。
それに明日に行って昨日に戻れないのは、あまりにも当たり前ではないかとも。

しかし奇しくも二学期最後の日に、雪が降った。
Mくんは朝からとても楽しそうだった。
噂を確かめるつもりなのだということがBさんにも分かった。
その日、偶然Bさんは学校に残った。すでに東京の大学への推薦を決めていたため、ちょっとした手続きがあったのだ。
Mくんとは帰りがけに昇降口でばったりと会った。
あぁ、屋上に行くつもりなのかと思い当って聞くとMくんは笑顔でうなづき「良かったら一緒に来ない?」と誘ってきた。
思い返せばそのときのMくんの目は真剣だったとBさんは言う。
しかしBさんは変なことを聞くものだ、と思うだけでキッパリと断ったらしい。
その返事にMくんは「普通はそうだよね」と笑い、同時になんというか「へにょっ」といった感じの泣きそうなどうしようもなさそうな、今まで見たことのない表情を浮かべた。
いつも明るいMくんでもこんな顔をすることがあるのかとBさんは思ったが、特にそれ以上Mくんが誘ってくる様子もなかったのでさっさと帰宅することにした。
後ろから、しょうがないかー、といつもの明るい調子でMくんの声が聞こえた。
Bさんは鍵もないのにどうするつもりなのかと思ったが、先生とも仲の良いMくんのことだから何か方法があるのかなと思い直した。

三学期になると三年生は受験に合わせて自由登校になった。
Bさんはすでに推薦で大学を決めていたが、だからと言って、わざわざ高校に行きたいとも思っていなかったし、新生活に合わせて準備するものもあった。
忙しい時間はあっという間に過ぎて、気が付けば卒業式を迎えた。
クラスメイト全員と会えるのも最後だとBさんは高校に向かった。何人かはすでに土地を離れていたが、基本的にみんな卒業式には参加することになっていた。
しかし、その卒業式にMさんの姿はなく、だがクラスメイトの誰一人としてそのことを気にしている様子がなかった。
何か事情があるのかもしれない。そう思って式が終わるまでBさんは誰にも聞かずにいた。

卒業式は滞りなく終わり、同級生たちもみな思い思いに散っていった。
Bさんも数人の友人と帰りがけに食事をする約束になっていた。
ファミレスに入りとりあえず温かい飲み物を注文して、ホッと一息ついた。
そこで隣にいた友人にMさんのことを聞こうとして――、会話が噛み合わなくなってしまった。
Mさんのことを誰も覚えていなかった。
Bさんも最初は自分をからかっているのかと思い笑って応じていた。
しかし、だんだんとみんなが真面目に言っているのだということに気が付いていった。
BさんがMさんの特徴や思い出などを言えば言うほど、周りの友人たちは気味悪がり、しかし一通り話していく中で、ある友人がBさんにこう言った。
「そのMさんっていう人、屋上に行ったの?」
そうだというBさんにその友人は「私は本当にそのMさんという人のことを知らない。でももしBさんがMさんと会ったのだというなら信じる。だけど、そのMさんはきっと最初からいない人だと思う」と言った。
さらに「私たちの土地にはたしかにそんな言葉はある。でも意味合いも内容も全然違うのよ」とも。

『雪の降る日に登っちゃいけない。
雪の下に連れていかれる。
深く深くに連れられて決して二度とは見つからない。』

「これはもともと“雪山に”って意味よ。雪の日に山に登って滑落すると谷底に落ちてしまう。昔の山道は細かったから。だから雪の日に山には登るなってそういう意味の戒めで子供たちに伝えていたらしいの。屋上に上るでもないし、明日に行くっていう意味でもないのよ」
そしてさらに友人は続けた。
「もう一つ、私たちの地方の風習にね。“雪投げ”っていうものがあるの」
それは谷底に子供を模した人形を投げる儀式だった。
昔は実際に谷底に落ちた人もいて、その中には子供やいまでいう高校生くらいの子供いた。
そういうとき、その子たちは神に欲されたのだ、次の子が落ちるまで、神のそばに仕えるのだと土地の人は考えたのだという。
「だから、次の子が呼ばれて誰かが落ちたりしないように、代わりに人形を数年おきに谷底に投げたんだって。もちろん今は行われていない。私も偶然おばあちゃんから聞いたことがあるだけ。そのおばあちゃんにしても、今は道ができたし落ちる子なんかいないから、終わった儀式なんだって言ってた」
困惑するBさんに友人は「ともかくその話はあまりしない方がいいと思う」と言った。
「わからないけど、なんとなく似ているところがある気がする。そのMくんはBさんを屋上に誘ったのよね?」
そして友人は口をつぐんだ。それから先を言うつもりはないようだったが、言われなくてもBさんも気づいていた。Bさんが代わりとして選ばれていたかもしれない可能性に。

Bさんは最後にこう私に語った。
「あの時の友人とは今でも連絡を取り合っているし、いい思い出もあるけれど、もう二度とその土地に住みたいとは思いません。私には何が真実なのか分からないんですから。
だからひょっとしてMくんが言っていたことが本当で、でもMくんが思ったよりも恐ろしいことが起こっていたのかもしれないし、それを周りの子たちが知っていて、私に隠しているのかもしれない」
そんなの実際は分からないじゃないですか。そう、困り顔で笑った。
少なくともMくんは無理やりBさんを連れて行こうとはしなかった。
だからBさんは今でも、Mくんのことを悪くは思えないのだと言い、しかし雪が降る土地には二度と住まないだろう、とも言った。


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