死にたがりの男が語る心境

世の中は僕から見たら腐っている、異常なまでにネガティブな要素を含む言葉を排除したり享受したり。 他人の力を自分のものだと信じきってる馬鹿どもにわからせてやりたい。

死にたがりの男が語る心境

世の中は僕から見たら腐っている、異常なまでにネガティブな要素を含む言葉を排除したり享受したり。 他人の力を自分のものだと信じきってる馬鹿どもにわからせてやりたい。

最近の記事

    • 人殺しの準備時間

      私たちは日々、糧を得るために働く必要に迫られている。 それを仕事と呼ぶだろう、それは人殺しの準備時間かもしれないと思う時がよくあるのだ。 例えば、医師は医療ミスをすれば業務上過失致死などの罪を背負うことになるだろう。 バスやトラックの運転手は人を轢き殺すことや衝突による死者を出すことになる可能性を多く秘めている。 生きる為には人を殺すかもしれないことを承知の上で働かなければいけないことがあるということではないだろうか? 日々、生きるということはそういう面もあるというのが

      • ジレンマ

        他からの影響を多大に受ける人間は自分と呼ぶものが親からの遺伝であったり友人の影響であったりする。 私は、外見などに自信を持つことはない、それはどう足掻こうが他人からのものであるからだ。 しかしながら私は自分と呼べるものがどこにあるのかを知らないのだ、勉学に励み、他からの賞賛を得ようがそれは他人からの恩恵でしかないと思うのだ。 Aさんは優秀で眉目秀麗だったとする、AさんがBさんであることはなく、BさんがAさんとは非対称の存在であったとしてもそれは相対的なものであり絶対的な

        • 人類衰退のキーワードは 頭が良い

          頭が良いと言えばハーバード大卒であったり日本人で言えばオックスフォードや東大などがよく目にしたり聞いたりする大学名であり、頭が良い人が行く大学だという認識があるのではないだろうか。 つまり、人々の頭の良さの指標は学力であると言えるだろう。 特に日本の大学はペーパーテストに依存しているのでその影響は大きい。 では人間が豊かに生きるために貢献した人達はどうであったかを考えてみるとしよう。 蒸気機関や電気、エネルギーは人間が生きる上で欠かせない大切な発明であり発見である。 それ

          どれだけ残そうとしても無駄である

          記憶や物 残す人はいつまで残したいのであろうか 子を残す人は何故なのだろう いつかは必ず形を失うというのに 人間とは全く理解できないものであることは理解できそうだ

          どれだけ残そうとしても無駄である

          オリンピックの狂気

          狂っているというのは客観的なものであるから 私が狂っているというときは狂っている側からすれば 私の方が狂っているかもしれない 数の力が正しさになるということだ 今回身に染みて理解したのは、幻想は捨てるべきであるということ なにが幻想なのかを考える 人は人という種を自らを犠牲にしてまでは守らないということだ 自分以外は人という形をしたなにかであると 一度自らを死の危険に晒す存在を許せばもはや自殺したのと変わりがないと私は思う 声を大にして言う すでに日本国民は死んだと

          休日の存在意義

          休日とは仕事がない日である それを楽しみにするのは何かしたいことがあるからだ 休むこと 遊ぶこと 何かをすること 特別なにもなくても休日を欲するのは仕事が嫌だからだと思うのだ つまり仕事とは生きる上で必要であるという前提であれば生きることで嫌なことが生まれているから死ぬというのは合理的であると言えるだろう まさしく私はその合理的を追求している最中である

          死亡宣告を受けて

          私は死亡宣告を受けている 余命宣告といっても差し支えはないだろう 私は死ぬことを知っている  それは特別なことではないだろう 毎日それを考えることも特別ではないだろう 私は私を産んだ存在に殺されるのだ そんなことを知っておきながら生きている私は誰よりも狂っている

          癒しとは

          記憶も音も過去に好きだった全ても 今ではもう私を癒すことはできなくなった いや、彼らには最初から癒す力などなかったのではないだろうか 私がそう思っていただけなのではないだろうか 私は今、真剣に癒しを探している 探すということは ある ということをわかっているということではないだろうか あるかもしれない、あるにちがいないと そしてそれは多分、自覚しているのだと思う 出し惜しみをしているに違いない サディズムを自身に感じつつも自己愛は止むことはない 癒しとはいじめを含ん

          誓い

          私は私と同じ形をした生き物に対して行動のみで評価を下す。

          発現

          生は終わりであるが死は永遠に終わらない夢である。 であるから、毎日のように夢を見ることはその準備段階なのです。

          同額の金で私を作るがいい。

          生涯賃金で私を作ってみなさい。

          同額の金で私を作るがいい。

          考えが苦しい源

          馬鹿な私は思考を放棄しよう。 さようなら馬鹿な私。

          限界が近づいている

          限界とは自分が決めるんだろうか、それとも肉体が決めるのだろうか。 もし前者なら限界が来る時はすぐ近くに来ている。

          幻想に囚われて

          人間であれば、人間らしさ、人間として。 幾らかの言葉の中に人間とはといった使われ方がされますが果たして答えはあるのでしょうか? 人間であればそのようなことはしない、そんなことをするのは人間ではないからだ。 人間とは何でしょう? 言われたことを守ることでしょうか? 人間として 社会人として 親として 友人として この〜としてという使われ方にはどんな意味が込められているのでしょうか? 人でなしと言われる行為は何でしょうか? 人を殺す、親殺し、子殺し、あとは不倫でしょうか

          発生条件を見てみれば

          人間もその他の生物も発生条件をもって生まれている。 虫が湧く原因も発生条件によるものだ。 つまり人間において犯罪が起こる理由というのにも発生条件があるはずだと考える。 自死についても同じだと考える。 悩むということが人間にとっての悪い事象を生むのではないだろうか。 盲目的に言われたことを守れば良いとされる、善悪の判断も楽になるだろう。 しかし、違うんじゃないかという懐疑心や猜疑心が悩みを生み自らを苦しめるのではないだろうか。 発生条件を調べずに、正さずに放置しても

          発生条件を見てみれば