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命令になってくるとモラハラ


夫を理解したいとASD理解を深めていた私。
ASDというだけで嫌と短絡的に考えたくなかった。

なぜなら、障がい者差別になってしまうと思ったから。

悶々と葛藤して消耗していたが、更に私は気づいた。
特性うんぬんではなく、夫はただのモラハラ加害者で、私はただのモラハラ被害者だということを。

どんな家庭も色んな夫婦の意見の相違はあるだろう。
でも、互いの意見を話し合いで、色々と折り合いをつけていっているのではないだろうか。

でも、私の夫は違う。
話し合いの余地を与えてくれない。

夫は初めから、私の考えや感情などには興味がなく、聞く耳を持っていないのだ、、、と今更ながら気づいてしまった。

特性だからではない。

人間性、社会性、倫理観、対人マナー、、、それらが欠如している。

人権意識もない。

想像力もない。

一番は自分の無価値観や生きづらさからくるストレスを、立場の弱い私にだけにむけているということ。

家庭外の、、、例えば自治会の集まりなどを見ていると周りの人に対して腰が低くすぎるほど腰を低くして関わっている。


僕何も攻撃しませんよ。だから攻撃しないでねと不安でいっぱいなんだろうなって私には伝わってくる。

自信がない人って気づいた。


自分より立場が上の人へのお伺いの立てようは天下一品。過剰に適応しようとしている。

一方、私がミスでもしようものなら、ここぞとばかりに攻撃してくる。
接し方の差がめちゃくちゃ激しい。

そして私にだけは自分の考えが一番正しいと主張する。
自己中な行動に私が巻き込まれているだけだな。

いうこと聞かないお前が悪いというスタンス。
代替え案を提示するけど頑なに拒む。
聞こうとしない。
話し合おうとしない。


カウンセラーさんに
命令になってくるとモラハラと教わった。

牛タン事件で、「家に帰ってこないでください」はまさにモラハラらしい。


カッとなっていいすぎてしまったにせよ、私の家なのに追い出すなど、人権侵害も甚だしい。


今、夫と話さないのは必要な距離感。
後ろめたく思わなくてもいいとも言われた。

話さないようになってからも、心の片隅でずっと後ろめたさがあったが、その苦しさがようやく溶けていった。


新しいカウンセラーさんと客観的に冷静に振り返った。

カウンセラーさんは、動けないところにも一緒にいてくれる感じ。ホッとする。焦らなくていい。

カウンセラーさんと一緒に見つけた知恵を一緒に循環したいとも思う。

牛タン事件の時、「もう画塾は送りません」と夫はいったのに、今日は、「画塾送れるで」と言ってきた。

かましてきたダブルバインドを静かにかわす。

きっと、こうした言葉に惑わされて、今までなぁなぁにきてしまった。

優しくなった夫を信じて画塾の送り迎えをお願いする。でもまた感情爆発した際に、送り迎えの事を餌に私を責めるだろう。

こういうことの繰り返し。
本人はモラハラに気づいていないので、モラハラは永遠に終わらない♾️

きっと私が心を配りあれこれやったとしても、この循環は繰り返される。逆にこれが悪いんだろうな。

エネルギーを消耗するだけで、私の心は大事にされない。

傷つきが積み重なるだけ。

そしてこの悪循環は共依存というんだね。

無意識だったな。
これが共依存というのかー。
魔法にかかってたみたい。


ようやく子どものためになんとか家庭を維持しないといけないという私の社会規範が崩壊した。

離婚すると、このNOTEに度々か書いたけど、まだどこか心の奥底で躊躇する気持ちがあった。

でも、限りある命をこんなことの繰り返しのために費やしたくない。

苦悩に満ちた日々を終わらせたい。

愛などない家庭に未来などない。

葛藤し尽くしたが解決しないとわかったのなら、次のフェーズにいこう。

昨夜は自分で自分を抱きしめて、たくさんいたわった。

大丈夫。私ならできる。

この怒りを味方につけよう。
怒りは次に進むエネルギーにもなる。


牛タン事件①

牛タン事件②

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