イノベーションの新たな視点:国家の経済発展の歴史から考える「リープフロッグ」
この論文は、2019年度に三井業際研「環インド洋経済圏ビジネス研究委員会」に参画した際に、執筆したものである。歴史的観点から国家単位の発展の要因を考察し、都市化と段階的な産業構造の変化により経済成長したパターンと、一足飛びに経済成長を果たすイノベーションの可能性を論じた。
image by Drona7, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
(1)はじめに
ここで述べる視点の多くは、ジャレド・ダイヤモンド&ジェイムズ・A・ロビンソン編著『歴史は実験できるのか -自然実験が解き明かす人類史』を参考にした。
(2)イスパニョーラ島の明と暗
カリブ海にあるイスパニョーラ島は、北海道よりひと回り小さい面積76,480km²の島で、東側が高級リゾート地として有名なドミニカ共和国、西側は貧困率80%の最貧国であるハイチ共和国で構成されている。
ハイチ(左側)とドミニカ共和国(右側)
(出典) Haiti-Dominican Republic / UNEP Reportより
18世紀、フランス植民地時代のハイチは、林業やサトウキビ・コーヒー栽培で潤い、世界で最も豊かで生産的な地域とも呼ばれていた。ところが2013年のハイチの一人当たりのGDPは820ドルであり、これは世界平均の10%にも満たないレベルになってしまった。上記の写真は国境を境に左側がハイチ、右側がドミニカを示しており、ハイチ側は長年に渡る乱伐で山は禿山だらけになってしまっており、そのため保水力がなく、ハリケーンが通過すると大規模な洪水が起こり、貧困の悪循環に拍車をかけている。
一つの島を分かつ二つの国は、地理的に自然環境要因の差はそれほど大きくないにも関わらず、これほどまで経済発展の結果が異なるのはなぜだろうか。
かつて、ハイチはフランス植民地、ドミニカはスペインの植民地であり、19世紀初頭の独立後はどちらも独裁者による統治が続いた。
ハイチは1697年にフランス領となり、アフリカから連れてきた黒人奴隷労働による砂糖プランテーションがフランス経済を支えるほどであった。フランスの貨物船は、奴隷を連れてきた後の船に多くの木材を乗せて帰るため、積極的に森林は伐採されたのである。ドミニカ側の東部はスペインの支配下にあったが、森林の伐採は節度を保ち、奴隷の割合は全人口の15%程度であり、ほとんどの国民はスペイン語を話していた。一方、ハイチ側は、17世紀に奴隷の割合が全人口の85%を占めるようになり、フランス領であったにも関わらず、今日でもハイチの全人口の90%は言語的に他の地域から独立しているハイチクレオール語しか話せない。
1930年から1961年までドミニカで独裁者として君臨したトルヒーヨの経済政策は、牛肉・セメント・チョコレート・葉巻・コーヒー・塩・砂糖・木材などの輸出産業を育て、森林の伐採を厳格に管理し、航空会社・銀行・カジノ・ホテル・保険会社・海運会社・織物工場を立ち上げ所有した。一見、国の繁栄を目指す優れた指導者のように思えるが、実態は私腹を肥やすための手段として「収奪的制度」を政治および経済に敷いた中でドミニカは経済発展を遂げたのである。
一方、1957年から1971年に死亡するまでハイチの大統領に君臨したフランソワ・デュヴァリエもまた独裁者だった。デュヴァリエは、経済の開発や輸出産業や伐採事業の育成などには目もくれず、森林破壊を放置し、国際社会からの援助金を着服し、企業からリベートや賄賂をうけとり、政敵に対しては秘密警察による粛正と追放を行った。このような国政にあって、高等教育を受けた知識人はハイチ国内から脱出して姿を消してしまった。
デュヴァリエもトルヒーヨ同様独裁者として”収奪的”ではあったが、目の前にあるものを無計画に奪うのか、国の長期的利益を生む制度を適用して持続的に奪うのか、権力者の個人的な資質によって大きな違いがあった。独裁政権下であってもドミニカのように経済発展は可能であることが分かる。
(3)経済成長を支える土台となる公共財
イギリス帝国によるインドの植民地支配は200年近く続き、その間インドの異なった地域にイギリスの異なった地税徴収制度が導入されている。1950年代はじめにはこれらの地税徴収制度は廃止されたにもかかわらず、この制度の歴史の違いが原因となって、地域ごとの経済発展に大きな違いを引き起こしている。経済発展が大きく遅れているのは、地主が徴税する制度(ザミンダーリーまたはマルグザーリー)を導入した地域であることが統計的に分かっている。
大地主である地域のエリート階級は、自分たちの権力が損なわれる事態を恐れ、選挙投票率と識字率を低く抑えることに腐心した。識字率が高くなれば賢くなった国民は正しい判断ができるようになるし、そうなれば選挙で有益な候補者へと投票してしまうと考えていたのだ。
インドでは、公共財の提供は州政府の管轄であることが法律で定められているので、限られた地域の状況や歴史が与える政治経済への圧力は非常に大きく、未来の経済成長を支える土台となる公共財への影響も大きくなる。地理や人口、制度導入時期の差などさまざまな因子があるなかでも、過去の地税徴収制度の違いが現在の地域の公共財の普及率にもっとも大きく寄与している。
実際、道路や学校、電気などの公共財の普及は、選挙投票率と識字率と相関があり、インドの中でも大地主に支配されてきた歴史を持つ地域は、公共財の普及率が低いのである。
経済成長の土台となる公共財の普及を妨げる原因は、インドの例では植民地時代の地税徴収制度に端を発する地主による封建制度だと言えるが、国や地域によってその原因は様々である。ただ、資源や資本の再配分が円滑に行われなければ、公共財への投資は増加しないと言える。
次にアフリカの奴隷貿易が経済発展にどのような影響を与えたか考察していく。
15世紀から18世紀の間に1200万人以上の奴隷がアフリカ大陸から連れ去れていて、その多くは戦争や襲撃の際に捕獲されていた。奴隷調達のために反目し合う共同体同士の襲撃や戦争の際に連れ去られて、かつては同盟を結成したり、取引を行ったり何らかの結びつきがあった村同士がさらに敵対する事態を引き起こした。また、共同体の中に対立があると、知人友人親戚家族によって排除のために拉致され、奴隷として売り飛ばされた。この時、奴隷は一種の”貨幣”として、共同体同士の抗争で使う武器を購入するため、ヨーロッパ人と取引されたのである。
奴隷を巡る抗争が発生すると政治は不安定になり、かつての統治形態は崩壊していく。奴隷を売り飛ばした襲撃者が小さな集団を結成し、集団内のメンバーから認められた人物が支配者や軍事指導者として組織に君臨する。自己の利益のために独裁体制を敷いた小さな集団が増えたために大きな共同体の編成が妨げられ、今日のアフリカは民族ごとにきわめて細分化されてしまったと考えられている。
このような民族の多様性は、経済発展を妨げてしまうことが様々な研究から分かっている。民族が多様な社会は、政府がなんらかの公共財を提供しようとしても、素直に受けいれない可能性が高い。
学校、衛生設備、インフラの価値認識にギャップが生じて意志決定が先送りになり、十分に供給されないことが起こる。民族的多様性が高いほど、教育やインフラや金融の発展レベルは低く、政治は不安定になることがわかっている。
つまり、民族的多様性が高ければ意見が対立して合意形成が難しくなり、民主主義を重んじれば重んじるほど公共財の普及は遅れることになる。
(4)フロンティア発展の三段階
オックスフォード大学歴史学部のジェイムズ・ベルッチ教授は、オーストラリアや南アフリカを含む7ヶ国26事例の研究により、開拓地あるいは植民地の爆発的成長には三段階あるとしている。フロンティアが大都市にまで発展するには二世紀ほどの時間を要するのが普通だが、たとえば1830年には住民が100人程度だったシカゴが90年後には人口270万人の巨大都市へと変貌したのは、ブーム、バースト、移出救済の三段階のプロセスを繰り返したことによるのである。
①ブーム(にわか景気)
10年間で人口が倍増し、資本と商品が大量に流入し流出を大きく上回っている期間。商業市場が発達し、流動性が高い。人、モノ、カネ、情報やスキルが関連する大都市から流れ込むことが原動力となってブームは軌道に乗る。輸送関連のインフラの整備や居住関連の企業の増加がブームを支える。また、激増する人口を賄うだけの食料供給が必要になるため、地域の自給自足を越えた需要を満たすだけの食料の流通機能が求められる。
②バースト(破綻、恐慌)
競争の激化、行き過ぎた成長、生産性の悪化がおき、倒産や恐慌がおきて成長率が大きく落ち込む。バーストの局面は2年から10年の間継続した後、以前よりも地味だが安定的な新しいシステムが登場する”移出救済”の段階に進む。
③移出救済(export rescue)
過去の遺産から新たに効率的な社会経済が創造される。大規模化、水平統合、垂直統合が進み、主要産物を大量に供給・輸出できるようになり、都市化が加速し、そこでさらに文化や知識の集積により効率があがる。
オーストラリアを例にあげれば、1828年から42年が一度目のブームが起こり、のちにイギリスへ羊毛を輸出し始めている。
その後のブームでも同様に小麦、肉を順次輸出していくようになるが、量の不安定さや品質問題、輸送コストなどが課題としてもちあがり、バーストを迎える。これらの課題に対して、食品包装工場や加工工場が登場し、等級付けや品質管理が徹底された。また大量の綿や羊毛は圧縮プレス技術の発展により輸送コスト削減に寄与し、最初の肉の冷蔵輸送は車両からはじまり、やがて船に冷蔵室を設けることができたため、イギリスへマトンやラムが運ばれていった。
ここで示したフロンティア発展の三段階は、フロンティア内部の成長力学である。どのフロンティアも鉄道・道路建設など社会インフラの供給が需要に追いつくとブームが生まれ、供給が需要を大幅に上回るとバーストに至っている。
移出救済の段階では、地域外への移出を増やすためには距離の克服が前提条件となる。
このようなフロンティアの発展プロセスは、フロンティアへの移民の人種や導入された制度や時期が異なっても大きな違いは見られない一方で、都市の発達、輸送関連インフラ、木材消費量などの傾向が似通っているのである。
ブームおよび移出救済に見られる人口集中、いわゆる都市化は一人当たり所得と相関関係がある。
これは集約の力により需要のばらつきが小さくなるため供給が安定し、輸送・貯蔵・生産などサプライチェーンの効率化が可能となるだけではない。都市研究者として著名なルイス・マンフォードが著書『都市の文化』において「文化的貯蔵、伝播と交流、創造的付加の機能――これこそ都市のもっとも本質的な機能であろう」と述べているように、都市化は知識や技能の集約も進め、新たな創造の場になることで生産性が劇的に向上するからである。
これを可能にするには、住民に財産権を確実に提供し、新規参入や社会的流動性を促す制度が公平に適用されなければならない。
流動性が低い都市の例として、かつてのドイツがあげられる。
19世紀の中頃までドイツの都市部では主な職業のほぼ全てがギルドによって支配され、よそ者の参入を大きく拒んでいたため、新しい技術の採用が著しく制限された。ラインラント、ケルンやアーヘンでは新しい繊維機械の導入がギルドによって妨害され大きく遅れた。また、多くの都市が何世代にもわたって一握りの一族に支配され、彼らは富を蓄積し続けたが、その代償として、優れた能力や技術をもつ人材の参入が阻まれた。
ギルド、封建制度、階級制度、法制度が収奪的差別的専断的であれば、流動性や職業の選択を制約し、資源の効果的な配分を妨げる。その結果、間接的にも直接的にもイノベーションを妨害し、衰退を招いていく。
(5)イノベーションは貿易と等価
経済を成功に導く主な決定要因は、経済の制度と社会の政策だとアダム・スミスは指摘している。
自由市場での自発的交換とその結果としての分業が繁栄にとっての鍵である。この交換と分業による経済活動は、人と人はもちろん、国と国でも成り立つ概念であり、特に交換は「貿易」と呼ばれている。
米国のシェールガス開発を例に、貿易と技術革新(イノベーション)の関係について考えてみる。
従来は経済的に掘削が困難と考えられていた地下2,000メートルより深くに位置するシェール層の開発が2006年以降進められた。米国の『シェール革命』と呼ばれ、3大テクノロジーである「水圧粉砕」「マイクロサイズミック」「水平坑井」が安価な掘削を可能にした。
シェールガスの生産が本格化していくことに伴い、米国の天然ガス輸入量は減少し国内価格も低下。原油生産量は、2017年に1000万バレルを超えた。2018年はロシアやサウジアラビアを抜いて世界最大の産油国になったとみられる。
この例から分かるように、国内で産出あるいは生産できないものを他国から貿易によって手に入れることと、イノベーションによって国内で手に入れることは等価であると言える。
(6)再び、イスパニョーラ島
輸出産業の振興および海運会社や航空会社といった物流インフラ整備、銀行や保険会社による資金調達機関の差によって、20世紀前半の数十年間でドミニカの経済はハイチを逆転したと言える。
もうひとつ重要なのは、植民地時代の宗主国とその後の独裁者による森林伐採の施策が国の貧富を決定したということである。
ハイチは、数百年に及ぶ乱伐で土壌の浸食が進行して肥沃度が減少し、建築材としての木材が不足し、川の堆積負荷が増加して川の流域を保護してくれるものがなくなり、水力発電の潜在能力が衰えた。木を伐採したことで雨雲の形成が抑制され、降水量が減少してしまった。
現在、全人口の3分の2が農業に従事しているが、規模が零細である上に灌漑設備等の農業インフラが不十分で天水に依存した伝統的農法に頼っており、過耕作、土地の荒廃なども影響して、農業生産性は低く、食料自給率は45%、米の自給率は30%未満である。
そのため、恒常的に食糧不足で、食料需要の大半を海外からの輸入と援助に大きく依存しているが、人口の約半数に相当する380万人は慢性的に栄養失調状態になっている。
自然環境要因の差はそれほど大きくないはずだったが、ハイチの経済政策が国の成長を阻害しただけでなく、同時に自然環境の生態系を破壊したことが時間的遅れを伴った因果となってもはや不可逆的とも思えるほどのダメージを受けてしまったのである。
奴隷貿易がアフリカに与えた影響として民族多様性が合意形成を困難にし、公共財の供給に支障がでたことを述べたが、その奴隷を受け入れたハイチも様々な国からの奴隷の割合が全人口の85%を占めるほど多様化してしまった。灌漑設備等の農業インフラの不足も、これが一因となっていると考えられる。
また、ハイチの全人口の90%は言語的に他の地域から独立しているハイチクレオール語しか話せないため、対外政策が変わったとしても実質的に他の地域との交流が困難で、自由貿易や技術移転や人材交流を妨げており、実質的に「鎖国」状態で人・モノ・カネ・情報の流動性に乏しいと言える。
(7)経済発展のポイント
ここまで、西洋の植民地支配を経ながら異なる発展の道を辿ったハイチとドミニカ共和国の事例などを見てきたが、これらの事例からは、国家あるいは地域の発展について、以下のような点がポイントになることが示唆されている。
①都市化の促進
a. 住居、食料の安定供給
b. 鉄道・道路・港湾など輸送インフラの充実
c. 電気、上下水道、学校など公共財の充実
②人・モノ・カネ・情報の流動性の確保
a. 新規参入に対する高い寛容度
b. 財産権の保証
c. イノベーションの創出
③合意形成の容易さ
a. 言語による障壁の排除
b. 宗教や文化、生活習慣の違いを乗り越える相互理解
④自然環境保全と経済成長の両立
a. 計画的な資源の管理
これまでの先進国は、都市化と段階的な産業構造の変化により経済成長を果たしてきたが、「リープフロッグ」と言われるように一足飛びに最新技術を導入することで、上記のポイントをクリアすることも可能になってきた。
たとえば、アフリカ中部のルワンダのジップライン社はドローンを使って病院に血液バックを30分以内で届けるサービスを展開している。また、ケニア発のスタートアップ企業エネザ・エデュケーション社はガラケーのSMSを使った従量制の学習サービスを展開している。
このように、距離の克服や公共財の提供にイノベーションを起こすことで、従来の経済発展のルートとスピードとは大きく異なる経済成長を実現する可能性も秘められている。
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