平井慎一郎

無料学習支援塾「きょうえい塾」をやってます。 楽しくない勉強を楽しくやる研究をしていま…

平井慎一郎

無料学習支援塾「きょうえい塾」をやってます。 楽しくない勉強を楽しくやる研究をしています。 みんなで楽しく生きたいです。 23歳です。 好きな食べ物はご飯です。 https://www.youtube.com/@ShinichiroHiraiKYOUEIZYUKU

最近の記事

0円教育物語⑱ 「勉強にはお金がかかる」という幻想。

86「0円教育」は「勉強にはお金がかかる」という幻想に向かっている  「0円教育」は「お金をかけて勉強すること」と対峙するものではない。「お金をかけて勉強ができる」ということも素晴らしいことである。その選択をする人がいること、またその環境を提供する方々がいることに何ら問題はない。「必要であるから」そこにお金を絡めてのビジネスが成立するのであろうと、思われる。  「0円教育」の向かう先は「勉強にはお金がかかる」という幻想である。幻想に向かっている。おそらく「それ」は幻想ではない

    • 0円教育物語⑰ 自分で決めて、自分で広げる。自分の視点を大切に。

      81「できるライン」は自分で決めればいい  「勉強ができる」とは曖昧な概念である。なんの基準もなく、なんの定義もない、実に「個人的なもの」である。「その人がどの程度やりたいか」によって定まるものである。つまり「私は勉強ができます!」と人に伝える必要など、まったくないのである。というのも、「個人的なもの」である以上、「自分で決めればいい」のである。「自分で決めて」いいのである。「このぐらい頑張りたい!」と自分で決めて、「それ」に向かってやればいい。誰かに「頭がいい」と認められる

      • 0円教育物語⑯ 「人」こそが資源。「人」こそが基盤。

        76「0円教育圏」を具体的にしてみる①  「0円教育圏」を具体的に考えてみたい。どのように「0円教育圏」をつくるのか。  先にも述べたが、これをつくるためには、「もうすでにできあがっている」ということを認識しなくてはならない。もうすでにできあがっている「0円で勉強ができる空間」を自分なりの視点で発見していくことが、「つくる」ということである。そして、僕の目線からの「0円教育圏」と、誰かの目線からの「0円教育圏」はおそらく違うものになる。ここで具体的にできるのは、「僕の目線」か

        • 0円教育物語⑮ 0円教育圏を作りたい。

          71「0円教育圏」を作りたい  子どもたちの「流れ」を止めないために。  僕は「0円教育圏」を作りたい。「0円教育圏」が必要だと思っている。「0円」であれば、誰もが平等に、自由に、楽しく、愉快に、勉強ができるのではないか、と考えている。  僕は「みんなで勉強をしよう!」というつもりはまったくない。「勉強」の力をそこまで信じているわけでもない。むしろ「勉強なんて」という意識が強い。「あなたがやりたければやればいいし、やりたくなければやらなければいい」と考えている人間である。「皆

        0円教育物語⑱ 「勉強にはお金がかかる」という幻想。

          0円教育物語⑭ 楽しさは永遠なり。

          66「目標をもつ」という楽しさ  「目標をもつこと」は楽しいのである。「目標に向かうこと」は楽しいのである。  「目標」ができると、「やるべきこと」が明確になり、行動が具体的になる。行き場所が決まっていない旅行よりも、行き場所が決まっている旅行の方が、「具体的にどうやって楽しむか」を考えられるだろうと思われるが、それと同義である。「具体的にする」とは「楽しい」に近づいていくものである。「ぼんやり」していると、「楽しみ方」も鮮明になってこない。  つまり、目標をもつことで「生き

          0円教育物語⑭ 楽しさは永遠なり。

          0円教育物語⑬ 目標とは自分ごと。楽しいことも、自分ごと。友だち0人、自分ごと。

          61目標があると面白い  少しだけ、僕の話をしてみたい。  振り返ってみると、僕は「目標」に救われてきている。救われた、救われている、どちらも当てはまる。「目標」のおかげで毎日を楽しく過ごせてきた記憶があり、今も楽しめている感があり、おそらくこれからもそうだろうなと、感じている。  というのも、僕は友だちなど、ほとんどいない。当時の付き合いで仲の良かった人は何人かいたものの、今も胸を張って「友だちだ」と言える人は皆無である。基本的には一人でずっといる。高校、大学と一人で過ごす

          0円教育物語⑬ 目標とは自分ごと。楽しいことも、自分ごと。友だち0人、自分ごと。

          0円教育物語⑫ 学力格差が招く元気の喪失、元気の復活。

          56「学力格差」を考える  「学力格差」について考えてみたい。  「学力格差」はいろいろな理由で生まれると考えられる。まず挙げられるのは、「能力の差」である。50m走を走ってみると、皆タイムが違って、速い子もいれば遅い子もいるといったような「格差」である。身長が高い子がいれば、身長が低い子もいる、という「格差」である。それが「格差」なのかはわからないが、ひとつの「差」であることは間違いない。それと似た「差」が「勉強」において生じでも、おかしなことではない。一般的に、このような

          0円教育物語⑫ 学力格差が招く元気の喪失、元気の復活。

          0円教育物語⑪ 一人の勉強、一人で勉強、楽しい勉強、楽しむ勉強。

          51僕の順序  「当たり前でないことを当たり前にする勉強」をもう少し具体的にしてみたい。  先ほどの「社会」の続きでいうと、まず、学校で配られるようなワークや、インターネットから問題を引っ張ってきて、ひとまずやってみる。当然、全然できない。間違えたとこと、わからなかったところはチェックをしておいてもう一回やり直す。またやり直して、もう一回。全部しっかりと「その問題は」答えられるようになるまで、繰り返す。同じ単元の問題を何回か繰り返してやって、また同じ単元の別の問題もやってみる

          0円教育物語⑪ 一人の勉強、一人で勉強、楽しい勉強、楽しむ勉強。

          0円教育物語⑩ 学習支援とは、停滞防止。

          46支援を行う大人たち  「支援を行う大人」としては、僕はまだ「研修生」である。かなり年齢層は高めな、基本的には60~70歳の方々や、退職をされただろう方々を中心に、保護者の方々も少し加わって行われている。もしかしたら「仕事がなくなって、暇になったから」という理由で参加をされているのかもしれないが、空いた時間の使い方としては、見習うべきところが多いように、僕は感じる。そして僕は、学習支援に携わろうとするその「心意気」に「気持ちの良さ」を感じた。  僕たちがそのような「気持ちの

          0円教育物語⑩ 学習支援とは、停滞防止。

          0円教育物語⑨ 勉強という贅沢、勉強ができないという無問題感。

          41「やりたくても」できない子ども  僕は誰が勉強をやろうとも、やらずとも、どちらでもいいと思っている。さほど「やるべき」とも思えず、だからと言って「やらなくていい」と言うつもりもなく、すごく突き放すような言い方にはなるが、「あなたの好きにしてください」ということでしかない。少なくとも「誰かが」勉強をしてもしなくても、僕にはまったく関係ない。  もし、この「私は勉強なんかやりたくないから、やりません」と主張できる子どもがいるのなら、それは「贅沢な主張」だろう。「勉強をやりたく

          0円教育物語⑨ 勉強という贅沢、勉強ができないという無問題感。

          0円教育物語⑧ 匿名化に向かうしんどい学び

          36点数を取ったから勝者、点数を取れなかったから敗者ではない  勉強を「テストの点数」だけで片付けてしまうことも、「テストの点数の高低」だけで片付けてしまうことも、「勉強」の筋からはやや逸れている。勉強を「他人と競争するもの」と捉えることが、「勉強」では、無くしている。「勉強」は誰のためにやるのかといえば、他ならぬ「自分」のためであり、「誰かのために勉強をする」という人が存在するとしたら、「その人」はいったい「どこから」勉強を始めているのだろう。考えられることとしては、「その

          0円教育物語⑧ 匿名化に向かうしんどい学び

          0円教育物語⑦ 勝つも負けるも全部自分。自分以外は関係ないよ。

          31人生の勝ち組とは  勉強を「人生の勝ち組になるため」の心意気で頑張ろうとする方々も、一定数いらっしゃるだろうと思われる。僕の経験上、基本的に勉強は「競争」である。「その問題が分かるのか分からないのか」、「そのテストで何点を取ったのか」、「どちらが高い点数であったのか」、「どこの高校に受かったのか」、「どこの大学に進学したのか」、このような「競争」が繰り広げられる。  勉強によって、競争が行われるのは、悪いことではない。もしかしたら、「そんな競争」があるからこそ、勉強を頑張

          0円教育物語⑦ 勝つも負けるも全部自分。自分以外は関係ないよ。

          0円教育物語⑥ 実は、学校こそ素晴らしい。

          26「学校」という存在  「学校」について考えてみたい。学校は、小、中、高と公立の学校であれば、基本的には「0円」で教育が成り立っている。授業料は一般的にはなく、これといった入学金もない。もちろん教材費にお金がかかったり、交通費にお金がかかったり、部活動にお金がかかったり、制服買うのにお金がかかったりしてしまうので、それを「0円」と呼ぶことには多少の無理があるだろうと、思われ、必要経費は別途かかるとして、「大枠0円」となっているのが「学校」、特に公立の学校だろう。  それをす

          0円教育物語⑥ 実は、学校こそ素晴らしい。

          0円教育物語⑤ 勉強と経済とその突破

          21経済的事情が左右する学習空間  きょうえい塾は無料である。「無料」とは奇妙である。奇妙ではあるが、無料である。どうか、お許しをいただきたい。  「無料」ではあるが、必ずしも、経済的に困難な子だけを対象にしているわけではない。学習面の困りごとを抱えている子は、皆が対象である。特に「経済的事情」のみを考慮しての「0円」ではない。おそらく、学習面の困りごとには様々なものがあるだろうという、思いである。  ただ、ここでは「経済的事情が学習空間を左右する」ということを考えてみたい。

          0円教育物語⑤ 勉強と経済とその突破

          0円教育物語④ みんな違ってみんないい。楽しみ方も、違っていい。

          16具体的に「自分のこと」に集中してみる  勉強において、具体的に、「自分のことに集中する」とは。  人がもつ能力はそれぞれ違う。好きな食べ物が、嫌いな食べ物が、人と違うことと同じである。「能力の上下」の範囲は超えて、「違う」のである。この際、「上か下か」は問題ではない。  それぞれの能力が「違う」のであれば、「みんな一緒に」というわけにはいかない。違う能力から出発するそれぞれの勉強において、みんなやることが、やるべきことが、やるといいことが違ってくる。  自分にとっては得意

          0円教育物語④ みんな違ってみんないい。楽しみ方も、違っていい。

          0円教育物語③ 楽しくないことを楽しいことと解釈してみる。

          11受験に落ちても「やってきた時間」はなくならない  もう少し「受験に落ちる」ということを想定してみたい。受験をすれば、受かる可能性も、落ちる可能性も、「つきもの」である。  「受験に落ちる」とは、「全部が台無しになること」なのだろうか。「ダメなやつ」と認定されることなのだろうか。  それは「それぞれの感じ方」だとしても、「受験に向かう過程がなくなることはない」と言える。無駄のように見えるものも、「無駄だったのかもしれない」と思えるということは、何かしらの痕跡を感じるからであ

          0円教育物語③ 楽しくないことを楽しいことと解釈してみる。