OKUCHIBA

”奥”深さと”億”の価値
OKUCHIBAが秘める
ポテンシャルは無限大

私は、横芝光町(旧光町)で生まれ、高校を卒業するまでこの地域で過ごしました。光中学校時代は野球部に所属し、匝瑳・旭・ 銚子・東金・ 横芝・その他近隣の学校とたくさん試合をし、他中学の野球部員との交流を持ちました。小学校の6年間はピアノを習い、中学校では音楽の時間にギターに触れ、成東高校入学と同時にベースを始めました。3年間バンド活動に明け暮れ、その後、成蹊大学に進学し、21歳でプロの音楽家としてのスタートを切ります。以来42年、ベーシストとして、自身のバンドを核としつつ、沢田研二さんや近藤真彦さんのバンドメンバーとして音楽活動を続けて参りました。

50代後半から「地元に恩返しがしたい」との思いが募り、愛すべき出身地を音楽で盛り上げて行きたいと思うようになりました。どのような形で活動したらいいのだろう、どこまでの地域を対象とすればいいのだろう、どの町からどの町までを括ったらいいのだろう、数年考えを巡らせました。その結果、出身地の横芝光町だけではなく馴染みのある東総地区(銚子市・旭市・匝瑳市・横芝光町・多古町・ 芝山町)全体を盛り上げたい、との思いに至り、地元の友人たちと地域の市外局番である0479を団体名とする「0479クラブ」を立ち上げました。こうして2021年、千葉県東総文化会館を皮切りに、東総地区内での音楽祭が始まりました。

春・秋、年に2回コンサートを続けていると、高校時代を過ごした成東や東金がある山武地区とも縁が深いことに気付きました。成田や香取にも多くの友人がいました。0479だけでは括れないのかもしれない、そう感じた日から「東総・山武・成田・香取」四つの地域をひとつとして考えられないだろうか、この四つの地域をまとめて表す言葉はないだろうか、と考え始め適切な呼称をずっと模索していました。

そして、今年の夏、ふと思い付きました。「奥千葉」はどうだろうか。

「県の南、房総も千葉県の奥では?」という声があがるかもしれません。千葉県南部は「南房総」あるいは「奥房総」と呼ばれています。「房」の字は安房の国があった県の南部でしか使われません。

そこで、同じ千葉県の奥である南房総(奥房総)と区別して千葉県の北東部を「奥千葉」とするのはどうか、と考えた訳です。”奥”が付く奥会津、奥飛騨、奥出雲、奥能登、奥多摩等をイメージしてみると、これらの地域には秘境感が滲みます。千葉県の北東部には、秘境と呼ばれるようなところはありません。青い空と美しい田園が広がっているだけです。

しかし、千葉県にやってくる人にとっては、東総・山武・成田・香取はどう考えても”奥”です。奥が秘境である必要はなく、空が広がる田園や里山でも何の問題はないのです。千葉県は全国で一番、山林面積の比率が少ない県です。中でも県の北東部は平野が多く、高い山や建物はありません。だから、空の面積が広い。一面の空に覆われた地域なのです。

もしかしたら、成田の方の中には「国際空港を擁する成田が奥千葉とはけしからん」という方もいらっしゃるかも知れません。しかし、成田空港の周りの素晴らしい田舎っぷりを見ると、やはり”奥”だとしか言いようがないのです。「日本の玄関・奥千葉の玄関」と胸を張っていただきたいのです。

この地域は農業、漁業、畜産業が盛んで、県内どころか、国内でも有数の”食どころ”です。太平洋からの新鮮な空気を体内に巡らし、地域で採れた米・野菜・魚・肉を食べて暮らしています。気候にも恵まれた住みやすい地域なのです。

「奥千葉」には、他の奥地とはちょっと違う明るさや爽やかさがあります。OKUCHIBAにするとさらに輝きが増します。OKUCHIBAが地域を照らす魔法の言葉として、この地域で暮らしている皆さまに受け入れていただけたら、みんなでOKUCHIBAを誇れたら、こんなに素晴らしいことはありません。

OKUCHIBAは、市外局番0475(山武)、0476(成田)、0478(香取)、0479(東総)を中心とする地域です。今後は、東総・山武音楽祭を「OKUCHIBA MUSIC Fes.」と改めることに致しました。

引き続き“OKUCHIBA“で行われる音楽祭をよろしくお願い致します。

OKUCHIBA PROJECT代表
依知川伸一