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渋谷の歴史 vol.11「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツのクラブハウス跡地にある樹木」

前回の記事はこちら

代々木公園内に257号室以外に何かワシントンハイツの痕跡はないかと探してみた。管理事務所の方にも聞いたがほぼ無いとのことだった。石垣などもあるがこれも後から作られたものだそうだ。

クラブハウス跡地を探してみた


1948年にワシントン・ハイツが完成。それからアメリカ兵とその家族の普通の生活が始まった。幼稚園、小学校が開校し、映画館では最新映画が上映され、カミサリーではアメリカから輸入された食品が大量に販売されていた。小さな街があった。そして当初テレビも無い時代だったため「兵士に良質の娯楽を提供」するためにクラブハウスでは夜な夜なダンスパーティーやコンサートが行われていた。それがこのクラブハウス、いわばライブハウスである。

トップ画像は当時のクラブハウス内部の写真である。ここで日本の名だたる名ミュージシャンが夜な夜な演奏していた。約80年前の内装とは思えないほどもかっこいい。

5本の檜

もちろん当時のクラブハウスは残っていない。クラブハウスの写真はデペンデントハウスに残っているが、その写真に写っている5本の檜がそのまの場所にまだ残っていることがわかった。
これが唯一、残された257号室と共に証明できるワシントン・ハイツの「証し」だと思う。

O_Club_row_of_trees_63_2010

当時ワシントンハイツにお住まいの方だと思われる方が2010年頃?に現地で撮影したものである。
デペンデントハウスに掲載された写真と当時の居住者が記憶を頼りに検証した写真だ。下の写真がデペンデントハウスに掲載された写真、上の写真が検証された写真である。
この5本の檜がまだあるか確認してみた。自分で作った地図を頼りに検証してみたら、まだ元気に存在していた。幹はかなりの太さになっていた。

拡大してみた

1948年頃
2010年頃
2024年7月末の現在の様子。左の潅木はなくなっていたが、5本の檜はまだまだ元気であった。

さらにワシントンハイツの写真を検索しているとフロリダ大学に当時の都内の写真を閲覧できるアーカイブがあり、クラブハウスと思われる写真を発見した。

washington heights内にあったクラブハウス付近の写真。 The Oliver L. Austin Photographic Collection at Florida State University から

フロリダ大学のアーカイブにオリバー・オースティン氏が撮影した戦後の東京と日本各地の風景を集めたアーカイブが凄い。この写真だけオリジナルの写真は左右が逆に現像されているため(車のナンバーで判明)こちらは左右反転して掲載した。反転してみると上に掲載した5本並んだ檜や中央部に見える太い樹木も見える。こちらで日本のミュージシャンが夜な夜な演奏していたかと思うと感慨深い。


返還少し前の1963年頃?の航空写真

国土地理院のサイトの航空写真と地図が見られるサイトから転載。左側の樹木に囲まれた場所がクラブハウス。中央の楕円三角形の植栽帯の上部にこの5本の檜と思われる樹木が見える。

1962年東京都全住宅案内図帳 渋谷区版+現在の地図をあわせたもの。

クラブハウスに思いを馳せる
まさにこの場所にあったクラブハウス。ジャズの歴史を調べるとこのクラブハウスで演奏したという回想録を多く見かける。GHQからの要望で「良質な娯楽の提供のため」にクラブハウスへ出演するためのオーディションが行われた。今後、このクラブハウスではどんな方が出演していたかも調べていきたい。

ワシントンハイツの樹木は伐採されず都が買い取った


「代々木公園」という書籍がある。代々木公園を作った方達の回顧録的な貴重な本である。これを読めば代々木公園の成り立ちが全てわかる。その中の「森の設計と造成」の項に下記のような記載があった。

代々木公園 (東京公園文庫【27】) 相川貞晴, 布施六郎 1981年


「東京オリンピック終了後の昭和四十年、代々木公園建設予定地が大蔵省から東京都へ貸与されたが、この時の敷地内の植生状態は一般的な米軍キャンプの跡地の特徴をよく残したものであった。~(中略)~これらの既存樹木類は、昭和42年(1967年)3月に国から有償で(東京都に)払下げられている。」
ということで、日本の税金で整えられたワシントンハイツの住居はオリンピック選手村として使用された後に建築事務所として1軒だけ残されてその他は全て解体されたが、植樹された樹木は有償で東京都が買いとった。公園の設計によって一部の樹木は移植されたようだが、代々木練兵場時代、ワシントンハイツ時代からある樹木は伐採はされなかった。そして桜の木に関してはこうある。
「ワシントンハイツ時代に街路添いに植えられたサクラの並木は、すでに幹廻りも、80センチを越え、のびやかに広げた枝に咲き誇る花は敷地内でもとりわけすばらしいものであった。並木状に植えられているため自然形態の植栽に なじむか否かが懸念されたが、壮年期のサクラでもあり、後の植栽で配植の不自然さはカバーできるとの判断から、あえて無理な移植は行わなかった。」
「ちなみに、代々木公園には、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラ、あわせて920本の桜がある。大きなものは芝生広場にあるワシントンハイツ時代からのソメイヨシノで、大きく広がって芝生へ垂れさがった枝振りは他を圧している。」

こちらが中央広場の南西側にある「芝生に垂れ下がった枝振り」のワシントンハイツ時代からあると思われる桜の巨木

桜の園の桜は移植されたようだが、代々木公園の芝生広場のまわりには現在も桜の巨木が何本もあり、地面すれすれまで大きく広がって垂れ下がって現存している。この本が書かれたのが昭和55年(1980年)なので、それから40年以上経過しているが、春にはきれいな花をまだ咲かせており、公園内の管理が行き届いている証拠である。

参考文献
代々木公園 (東京公園文庫【27】) 相川貞晴, 布施六郎 1981年
・東京都全住宅案内図帳 渋谷区(西部) 昭和37年改訂版 1962年 住宅協会地図部
・渋谷の記憶 写真で見る今と昔 渋谷区教育委員会
・デペンデントハウス : 連合軍家族用住宅集区 1948年

参考サイト
https://www.flickr.com/photos/narimasu99/
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