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プロローグ

「もう、社長を降りる」

何度この言葉を嫁さんにつぶやいただろうか。
いつも、きまってこう返される。

「やめてどうするの?」
「そうだなぁ、コンビニでアルバイトでもするかな?」

時は2010年ごろ。気張って、家族のほかには誰にも弱音を吐かなかった。けれども、頭の中は、目の前の現実から逃げだしたい、笑顔が絶えなかったころに戻りたい、そんな思いでいっぱいだった。

インドネシアの視察で、大型観光バスの座席から、軽トラの荷台に乗った何人もの労働者たちを見た。「ああ、できれば彼らと替わりたいな」と心の中でつぶやいた。よけいなことは考えずに、毎日生きることだけに追われる日々に憧れた。本当のことは何もわからないが、彼らの心には苦しみがないように感じられた。

それほど、私は追い詰められていたのだ。 

後継社長という職。自分で決めた道といわれればそれまでだが、そもそもそう決めざるをえなかった。いや、決めるように仕向けられていたというのが正しいかもしれない。

決められたレールを走るのは、他人からは簡単に見えることもある。しかし、それが自分の得意とすること、やりたいと思う道と違うと感じた瞬間に、人生はとても辛いものになってしまう。私の魂は、たしかに「これじゃない!」と叫んでいた。

人生には、思うようにならないことはいくらでもある。「ルールのないスポーツはない」のと同じように、多かれ少なかれ、そこには何らかの制約があるものだ。だからこそ、その制約の中で、自らの魂に沿ってどのように生きていくのかが、人生というジャーニーの醍醐味であると、最近は思うようになった。

2017年に厚生労働省から表彰を受けて以来、「株式会社河合電器製作所」の知名度は一気に上がった。その後、たびたび、講演になどにも呼ばれるようになり、多くの人たちが会社見学に来るようになった。

初めは、どのように自分たちの組織が変化し、一緒に働く仲間たちの笑顔が増えてきたのか、他社の人たちにうまく伝えることができなかった。

弊社に話しを聞きにくる人たちは、誰もが「成功の鍵」を求めていた。しかしながら、当時は、そもそもその鍵が何であったかを、私たち自身がまるで理解できていなかったのだ。

自分たちの取り組みを、できるだけわかりやすく伝えようと努力はしたものの、おそらく、遠方から足を運んでくれた多くの人を失望させたように思う。

けれども、その後、講演や会社見学でくり返し弊社について話していくうちに、ようやく、自分たちがなぜうまく変わっていけたのかを整理することができた。同時に、私自身も、かつての追い込まれた状況から少しずつ解放されるようになった。

私と同じように、先代の功績を前にして、足がすくんでいる人は少なくないと思う。年上の社員から嘲笑を浴びているんじゃないか、値踏みされているんじゃないかと、妄想が止まらないあなたのために、心を込めてこの本を書いている。

私の経験に基づくさまざまな気づきが、少しでも多くの若手後継者たち、これから会社を継ぐ予定となっている人たちに勇気を与えられたら幸いである。

これまでの体験と供に、そのときどきで抱いたリアルな感情も添えようと思う。人によって千差万別の人生においては、型どおりのノウハウはまるで役に立たない。私が試してきたことをそのままなぞっても、思いどおり結果はたぶん得られないだろう。

しかしながら、私に起こったことを自らの人生に変換し、無地のキャンパスに絵を描くように自由に発想し、試してみることによって、きっとこれからの人生を豊かにできると私は信じている。

2020年 吉日
佐久真一

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