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#01. 目に見える成果、厚生労働大臣賞

「来年の3月10日、スケジュールを空けておいてもらえますか?」

2016年の年末に1本のメールが入った。

数か月前にたまたま封書で送られてきた、公益財団法人「日本生産性本部」からのダイレクトメールを読んで応募した賞についてである。「詳しくはまだ言えませんが、いずれかの賞に入っています。とりあえず、その日を空けておいてください」とのことだった。

飛び上がるほど嬉しかった……。さっそく、各部門のマネージャーたちにメールでその旨を伝えた。もとより、この賞をいただくことが目標ではなかったが、ようやく自分の存在価値が認められたような気がした。

翌年の3月3日、正式に厚生労働省が主催する「働きやすく生産性の高い組織・職場表彰」の最優秀にあたる厚生労働省大臣賞を受賞したのとの連絡が入った。今度は、社員全員に連絡した。

気づくと涙が頬を濡らしている……。悔しさで涙が溢れてきたことは何度もあったが、嬉しくて涙を流すのは人生で初めてのような気がする。すぐに、私の仲間たちでもある社員たちからから、「よかったねー」「嬉しい」と、お祝いと歓喜の返信が届いた。嬉しくて、嬉しくて、従兄弟たちにもLINEで連絡するほど嬉しかった。

第一次は書類審査。過去3年の財務諸表や、社員の労働時間数など勤怠に関わるすべてのデータ、加えてこれまでの取り組み内容および、私自身の経営に関する哲学を、A4サイズ4枚にまとめて提出した。二次審査では「現場」が評価される。実際に、大学の先生らが我々の工場を見学し、社長である私も彼らのインタビューを受けた。

二次審査後の手応えはかなりあった。マネーや効率が最優先となっている巷のビジネスの現場とは、まったく違う独自の思想で組織を運営し、数字としても結果を出していた自負があったからである。


審査員の先生は終始、笑顔だった。一緒にヒアリングを受けた社員と「何か賞をもらえるかもしれないね」と話したことを覚えている。

2017年3月10日、朝8時から地元の新聞数社の記者たちから取材を受けていた。その日の受賞についてではなく、新棟「KARUTA」の竣工式のことである。KARUTAの建設については後で話すが、KARUTAとは、社員およびお客さまたちとのコミュニケーションスペースとして計画した建物の名称だ。

ほんとうに偶然だったが、厚労省の授賞式とKARUTAの竣工式が重なってしまったのだ。何か月も前から企画していた朝9時からの竣工式は、関係者が多いこともあって変更できなかった。だからといって、霞が関で行われる授賞式に私がいないのもおかしな話しである。

しかたなく、朝一に新聞社の取材の時間を変更し、竣工式に出席したあと、大急ぎで名古屋駅に向かい、新幹線とタクシーを乗り継いで、霞が関に駆けつけた。

ランチを食べながら、表彰式後のパネルディスカッションの打ち合わせを行うほどの忙しさだった。一日だけだが、芸能人の生活を体験したような気分になった。「盆と正月が一緒に来ました!」と表彰式でスピーチをしたことをいまでも鮮明に覚えている。

式典後には、朝から私に同行してくれた広報の担当者に、KITTE丸の内で3,000円もするイチゴパフェをごちそうした。いま思えば、もっと奮発して豪勢なディナーにしてもよかったと思う。

ちなみに、この日のパネルディスカッションでは、私のもち時間である10分を大幅にオーバーしてしまう大失態をおかしてしまうのだが、このことについては、あとで失敗談として、まとめて話すことにしよう。

とはいえ、2017年3月10日は、間違いなく私の人生で忘れることのできない一日となった。

東京新橋の第一ホテルの部屋に戻った私は、

「僕でも、ここに泊まっていいのだよね」

とつぶやいていた。
ここは、東京に出張する際にはかならず利用していた、父親のお気に入りのホテルだ。この日の夜、まだダメだ、社長に相応しくない、そんな罪悪感から、ようやく解放された気がした。

あれから数年が経ち、そのあいだも当然のようにいろいろな大変さを重ねてきた。

「あれがあったから、いまがある」

すべての出来事がそう思える。失敗というより迷走状態だった。人間、うまくいった話より、ダメだった話のほうがおもしろい。

また、「人生はカラフル」だ。

カラフルだからこそ、おもしろいし、生きる意味がある。私にとって、真っ黒な期間であった10年間を、いま、あなたにありのまま話してみたいと思う。なかなか自分を認められずにいた私は、長いあいだ精神を病んでいたこともあった。

けれども、その期間がなければ、いまの私の器、そして一緒に働く仲間との関係性はないだろうし、困難に直面したときに前に向かう気持ちの支えにもならなかっただろう。

というわけで、これから私の生いたち、そして、後継者として空回りしていた、暗かった時代にタイムスリップする。しばらくの間、おつき合いいただきたい。

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