目には見えない力が勝利を後押しする―。あらためて実感した試合
「いけるんじゃない」
「勝てるよ、絶対勝てる」
今年の高校野球、東東京大会の決勝。私は取材で大田スタジアム(写真)に来ていた。試合は9回裏に帝京高校が追いつき、延長戦へ。インターバルの間に用を足そうと席を外すと、トイレから通路まで響く、威勢のいい声が聞こえてきた。声の主は帝京高の応援席にいた3年生たちだった。
その声を聞いた瞬間、私も(帝京が勝つのでは)と予感めいたものが走った。彼らの声がチームの一体感を示していたからだ。
よく勝因の1つとして「スタンドとベンチの一体感」が挙げられる。私も「スタンドにいたメンバー外の選手とグラウンドの選手が一体になっていた」などと書くことがあるが、正直に明かすと、本当のところはどうなのだろう…と思っている。スタンドの選手、特に最後の夏にメンバーに入れなかった3年生は、果たして混じりけのない気持ちで応援ができるのだろうかと。
俺だってグラウンドに立ちたかった。
レギュラーのあいつより、俺の方が絶対に上手いのに…
そう思うのが当たり前である。子供の頃から甲子園を夢見て、真剣に野球に取り組んできた。そのゴールがスタンドという現実は、なかなか受け入れ難い。
名門・帝京高野球部の門を叩くような選手は特にそうだろう。彼らの多くは子供の頃からエースで四番。中学では名を馳せていた選手ばかり。そのくらいの実力でなければ、帝京高の中に入って勝負はできない。野球に対する思いの丈も大きければ、プライドもあるはずだ。
それなのに最後の夏にレギュラーはおろか、ベンチからも外れてしまった。そんな自分に対して忸怩(じくじ)たる思いも持っているだろう。
しかし、トイレから聞こえてきた声には、そうした自分への葛藤(かっとう)を乗り越えたすがすがしさがあった。チームへの愛情があった。
今年は甲子園大会が中止になり、各地方大会は代替大会・独自大会という形になった。春の大会もなかった3年生に配慮し、ほとんどのところが毎試合登録メンバーを変更できるように、つまり1人でも多くの3年生が1度はベンチに入れるようにしたが、東京都大会もこの特別ルールを適用。前田三男監督は初戦の2回戦で全ての3年生をベンチに入れ、全員を出場させた。
もしかしたら、そのことでプレーヤーとしての踏ん切りがつけられたところもあったのだろう。
試合は延長11回、「ベンチを外れた3年生の思いも背負って打席に入った」という新垣熙博(きはく、3年)のサヨナラ打で決着。帝京高が9年ぶりの優勝を果たした。
まさにスタンドとグラウンドの思いが一体になってつかんだ勝利―。”トイレの声”を耳にした私にはそう思えた。
言うまでもなく、試合の雌雄を分けるのはグラウンドの選手であり、選手たちの技術である。この試合もそうだ。スタンドの選手たちが勝利の後押しをした、と言ったところで、それは目には見えない。
だが、アマチュア野球では、名監督と呼ばれている人は、たいていこう口にする。
「私生活をきちんとするとか、みんなで使っているところを常に掃除するとか、そうしたプレーとは全く関係ないと思えるようなことが、実は大きく関係するのです」
スタンドにいた選手の思いの度合いがどうあれ、新垣君はサヨナラ打を打っただろう。
それでも私は確信している。目には見えない力が勝利を後押ししたと。
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