母の日を前に思う、母の手料理
昔から感じたことは口にしてしまうタイプだった。その行動が良い時もあれば悪い時もある。
15歳で寮生活がスタートした為、母の味というのは年に1、2回帰省するタイミングでしか味わうことはない。
今現在も自分で作る料理、作ってもらう料理、外食でも美味しいと感じた料理にはつい言葉にして「美味しい」と言ってしまう。
逆に言えば、美味しくない料理は無言の無表情になってしまうという分かりやすさはパートナーをどれだけ困らせただろうか。
中学生のとき、両親が共働きをしていたので、自分が晩御飯担当をしていた。レシピとお金は母が紙に書いておいてくれたので、それを見ながらスーパーに食材を買いに行き、料理を作って1人で食べて、親が帰ってくる前にサッカーの練習に出かけていた。
その為か、親や兄がどんな風に自分の料理を食べていたか一度として見ることは無かったしサッカーで疲れて帰宅した自分は直ぐに寝てしまい聞くという考えまで至らなかった。
ある土曜日、サッカーも無く家族全員で晩御飯を久しぶりに食べる機会があった。母と一緒に手巻き寿司とサラダを作りながら母はこんなことを言ってきた。
「あなたが作ってくれた料理ね、お父さん凄く嬉しそうに毎回食べてたのよ。ありがとうね。」
親父がそんな風に思ってたなんて全く知らなかったし、母がそんな風に言ってくれたのがまた嬉しかった。
1人で食べる時間が多くなったり、作ってもらうことが当たり前になると、毎回作ってくれている人への感謝は言葉にすることが少なくなる。
それが長く続けば、感謝も批判も無く無関心へと変わっていく。
作っているにも関わらず、その料理を批判されることに嫌悪感を抱く人もいるかも知れない。母が作ってくれた酢の物に対して、
「ちょっと酸っぱすぎる気がするかなぁ。」
「味噌汁、濃い気がするけど、お父さんにはこのくらいがちょうどいいのかな。」
とか、味が変わったこと、変えたことなどに気付くとどこか嬉しそうだった。
何気ない変化だけど、気付いてくれることが嬉しいのは誰でも一緒だと思うし、言わないより言った方が会話のきっかけにもなる。
大学を卒業してから帰省するのは年に1,2回しかないが、仕送りは毎月続けている。微々たるものだが、それが会話のきっかけになり、近況報告をお互いにする一つになるからだ。
今年も来月あたりに帰省できればと思っているが、果たして自分の舌は母の味を覚えているだろうか。親父もきっと一緒に飲みに行くのを楽しみしているんじゃないかな。
いつ「二度と会えなくなる」か分からないからこそ、ちゃんと会えるときには、自分の気持ちを言葉にしようと思う。
偉大な母に今年も感謝を込めて今年も花とプレゼントが無事に届きますように。
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