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松葉舎は7周年を迎えました|松葉舎つれづれ|2024年1月9日

松葉舎は本日でちょうど7周年を迎えました。

7年前のこの日、2017年1月9日に開催した開塾記念講座では、武術研究家の甲野善紀先生、私塾「数樂の風」主宰の藤野貴之先生、物理学者の小林晋平・東京学芸大学准教授、フラワーアーティストの塚田有一・里香夫妻、ログズ株式会社の武田悠太さん、大建基礎株式会社の大門千彌さん、そのうちcafeの浅井琢也さん、あさくさ鍼灸整骨院の末野秀実さん、そして親友の森田真生くんに小石祐介・ミキ夫妻、恩人の伊藤康彦さんに中田由佳里さんなど、多くの方に見守られながら「サンゴ礁に心は宿るのか?」という問いを立てていったことを、温かな気持ちで思いだします(聴講してくださった丸山隆一さんが、当時の様子を重ね描き日記にしたためてくださっています)。

在野の学び舎として創立されたこの小さな私塾をなんとか守り続けてこれたのは、上述の皆さまをはじめ、陰に陽に応援してくださった皆さま、そして何より、社会的な価値の定まっていない松葉舎にそれでも価値を見出して入塾してきてくださった塾生の皆さまのおかげです。字義どおりの意味で、有り難く思っております。

この7年という短い期間にも疫病が流行り、戦争が勃発し、そして現在、日本は震災に直面しています。松葉舎もその都度の時代の流れに応答しながらここまでやってきましたが、そのような中で松葉舎の軸を確かめるべく折りに触れて立ち返っていたのが、開塾の挨拶としてホームページに掲載した下記の文章でした。すこし長くなりますがここに改めて引用しておきたいと思います。

解剖学者の養老孟司さんが、何かを学ぶということは死ぬということですからね、と述べていたけれど、それは本当のことだ。

身体に宿る知性、環境に広がる心、意識の起源、Life as it could be。あるいは相対性理論や量子論、不完全性定理に不確定性原理。学問の世界には、人生をまっすぐに生きているだけでは夢想だにできない問いや考えが、ごろごろと転がっている。こうした非自明な思考、力強い問掛けに触れて戦慄を覚えたとき、それまでの自分に形を与えていた常識はぐらつき、かつて存在していた自分はそこからいなくなってしまう。それはいっぺん死んで、新しい自分の姿を生き直すという経験に他ならない。

学びの場所とはまず何よりも、こうした自分独りでは夢にも見ない思想、それが故に、ともすれば一度もそれに触れることのないまま人生を往きかねない思想に、ふと出会える場所でなくてはならない。

それにしても、こうした夢想もできないはずの世界、たとえば相対性理論の世界をはじめに夢想し得たのは、一体誰だったのだろうか。ときどきふと、そんなことを考える。もちろんそれは、誰もが知っているように、かのアインシュタインによって生みだされたものに違いない。しかもアインシュタインは、研究資金を大学に頼ることもなく、特許庁へのお勤めと家庭教師の収入とで賄っていたというのだから、まさに相対性理論はアインシュタインの独創による賜物であったと、一先ずは言えるだろう。

しかし本当のことを言うと、それはアインシュタインただ独りの精神によって生み落とされたものではなかったのかもしれない。アインシュタインは、彼のもとに集った家庭教師の生徒達とともに、ポアンカレやマッハなど当時最高の知性をもった学者らの書物を輪読するオリンピア・アカデミーを主宰していた。そうして、そこでの読書や談議を通じてこそ彼らは、それまでの身に纏っていた常識をひとつひとつ脱ぎ捨てて、相対性理論という新しい常識の衣を織り上げていくことができたのである。オリンピア・アカデミーは、ただ先生から生徒へと知識が受けわたされる教育の場所ではなく、そこで先生と生徒とが一緒になって、新しい常識、新しい世界、そうして新しい自分を立ち上げていく、まさに学問の現場として存在していたのだ。

アインシュタインの頭脳をめぐる孤立した情報の流れではなく、アインシュタインと生徒達、彼らの頭骨を突きぬけて行き交う融通無碍な流れのうちにこそ、相対性理論は渦を巻いて現れた。そもそも学問というものは、孤独な精神のうちにではなく、一人一人の精神を超えて広がる大きな心の場所においてこそ、その実を豊かに育んでゆくものなのだろう。不思議を想う心ひとつとってみても、それは人から人へとこともなげに伝染していく。そして遂には、ひとりひとりの精神を包みこんで広がる、ひとつの大きな不思議の心となる。こうした大きな心に支えられてこそ私たちは、自分独りでは想えない不思議を想い、感じられない美しさを感じ、考えられない物事を考えることができるのである。

この度開塾する私塾・松葉舎が、こうした大きな心の立ち上がる場所となることを願う。

松葉舎ホームページ開塾挨拶 江本伸悟

それまでの自分に形を与えていた常識を脱ぎ捨て、新しい自分の姿を生き直せる場所。自分独りでは思えない不思議を想い、感じられない美しさを感じ、考えられない物事を考えられる、そんな大きな心の立ちあがる場所。塾生に恵まれたおかげで、ここに述べたことが大言壮語にならないような形で松葉舎という場所を育んでこれたように思っています。主宰者であるぼく自身も塾生の探求に影響を受けて新たな自分を掘り起こしてきました。また今では、松葉舎というこの場所が何よりもぼく自身にとって掛け替えのない思考の場になっています。

今年の抱負をいくつか。

当時は、まだ一歩を踏み出す前で、抽象的にしか語ることのできなかった学問のかたちを、これまでの松葉舎での活動を踏まえて、今ならもう少しだけ具体的に語ることができるようになってきたと感じています。学問や教育に関して松葉舎での実践を通じて考えてきたことを、少しずつ書き起こしていきたいと思っています。

また松葉舎は、以前の記事(自分のことばとからだで考える言葉と学問への重し)に書いたように、自分の人生に根ざした学問、制作、探求にとり組める場所として創設した面があります。そのためにぼくは、大学で専攻していた科学という学問の樹から下りて、松葉舎では民藝だったりダンスだったりファッションだったり、一見科学には縁のない文化的なテーマに取り組んできました。そのような意味でこの7年間は科学から遠ざかっていたのですが、それは科学を捨てるためではなく、むしろ科学を自分の人生に根付かせるためだったと思っています。今年はこうして耕してきた土壌のうえに、あらためて科学の種を蒔きはじめたいと思っています。

もうひとつ。一昨年はじめた松葉舎ゼミに加えて、今年は塾生と一緒に、それぞれの塾生の探求テーマにちなんだイベントや研究会を開催していきたいと思います。

今年も、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


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