福島のこと むかし通った常磐道と原子力災害伝承館
ちょっと昔の話から始まる
2011年の大震災後 正確に何年だか覚えてないのだけど
その頃のはほぼ毎年行っていた岩手県陸前高田でのツールド三陸の撮影が終わり
いつもは東北自動車道で往復をしてる道程を
(ちょっと遠回りだが 車線数も多く、SAも多いので走っていて楽)
常磐道が全線復旧したとニュースで聞き
特に深い思いもなく
帰りの道 午後のちょっと遅めの時間 仙台から海側の高速道路に車を向けた
*ツールド三陸、東日本大震災の前から大会はあったが
がんばっぺし を合言葉に震災被害地を巡る 全国に募集をかけた自転車大会
当時の常磐道は一車線の対面通行が長く
全線開通しているとはいえ 走っている車は少ない
天気は雨は降ってはいないのだけど
数キロ先はなんとなくぼやけているどんより霞がかかったような風景
まだ夕方には早い時間だったが ずーっと暗めのコントラストの低い
81Cフィルター(アンバー)をかけた 逢魔が時が続くような時間が過ぎていく
大きなトラックやダンプをところどころにある追い越し車線で抜いていく単調なドライブ
福島を抜けるときには夜になっていた
Vapor Drawingsかなにかを聞いていた気もする
福島をドライブする車外の風景は一言で言えばストレンジな風景だった
生活している人の気配はなく 窓が暗い家
道路の街灯がポツンポツンと光っている
放棄された田畑が数多く見え
雑草は手入れをしないとこんなに伸びるんだ
インターチェンジ出口はいくつかあるのだけど
果たして降りてもいいのだろうか…
ここに住んでいた人の許可はいらないのだろうか
僕には降りれない
降りたらハイウェイには戻れる気がしない
全体がうっすらくらい中 放射線測定値を表示している道路脇の赤い数字だけが現実を表している気がする
そう まるで
太陽が暗くなった 金環日食の世界 異次元の世界に迷い込んだようだった
それまで 仕事ではない 個人的な写真のテーマというか 表現を
それまであまり突き詰めて考えたことは正直なかった
良く見えてなかった と言ったほうが良いかもしれない
そこで見たものがとても大きい
2024年8月最後の日 僕にとって何年かぶりのツールド三陸
コロナの影響で”大会”がどこも壊滅的になっていたが
忘れない人たちがしっかり守っていた
僕からお願いした撮影の手伝いを陸前高田に向かって常磐道を走る
夜中に横浜を出発
途中で仮眠をして ならはICには朝に到着
降りれなかったICにやっと10年かけて降りた
暑く コロコロと変わる天気
昔 高速で通過した景色を確認したいのもあった
ちょうど通勤時間帯にもなっていたせいか 道は車も多く
コンビニも満車に近い
車外を見ていただけでは 原発の周りを囲うごっつい鉄柵以外は大災害中の所をはしっているとも思わない
原発そばの海岸の駐車場では原発方面を見ていたが良くわからない
東京電力廃炉資料館 を見学しようと向かうが
まだ時間が早く 一時間以上待たないといけない
気持ちと風景がなんとなくうまく噛み合わない
開館までの時間待ち中に資料館のファンシーな建物をみていたら
子供がいない街をどこかにいきたくなってしまい
街を流したあと 少し遠くにあるもう一つの資料館とも言える
東日本大震災・原子力災害伝承館へ向かう
原子力災害伝承館にて
博物館、美術館、なんとか館でよくある
スクリーンに素敵なイメージ動画で始まるようなムービで見せるコーナが苦手だ
無理やり動画の時間軸にはめられ ときにはあざとい動画を見せつけさせられる
伝承館に入ってすぐの巨大なスクリーンでプロローグを見せられたときに
正直なところここもか と思ってしまった
ループを上がって上の階へ
上の展示場ではスクリーンがいっぱいある
苦手な動画は軽く流して とちょっと思っていたら
引き込まれる
作り物でない 実際の当時のニュース映像などが 時間軸で再現してる
それとリンクしてあるかのように展示してあるモノが語ってくる
どうしてこうなった がきちんと突きつけてある
展示もブレずに事故前の過去、事故、現在 と追い
建屋爆発のあとの物流
避難
残された生き物と人
いろいろな視線で2011年の福島を見ている
そして最後は未来に向かって顔を向けている
ここは行った方が良い
広島の修学旅行のように いや 若い子だけでなく
都会生活者 政治家 年金受給者
これから先をつくる人も つくってきた人も
それに
あまりふさわしくない感想だが この展示を作った人はかなりの手練れだ(うまい)
それを見に行く とだけどもいいと思う
特別展示のパネル写真展で
新聞記者の方々の撮影した写真展示をしていた
その中の有名な一枚
石巻で自衛隊の方が救出した赤ん坊を抱いて笑顔の写真
(著作権があるので引用はしないけど)
写真に写っていた赤ん坊のその後の成長写真があった
赤ん坊から 元気よく走ってる七五三写真
そして今の写真
大きくなっている 成長している
赤ちゃんから少年になっている
セシウム137の半減期は30年
プルトニウム239は2万4000年
だ
世界的にみても事故を起こしていない原発でも廃炉はうまく行っていないのが多いらしい
だからといって眼を背けないでしっかり国レベルで研究、開発、対策をするべきだろう
それが福島の方々をはじめ 関わった人たちへの僕達の責務だろう
裏金でコソコソする政治家の給料には使ってほしくないが
そのための税金ならしっかり払おう
働いている人や研究者たちを応援しよう
子供、孫、ひ孫たちが何かを発明してくれるかもしれない
単なるおめでたい希望論ではない
だって自転車が発明されてたったの200年
飛行機が飛んでからまだ120年しかたっていないのだから
僕らは今を生きているのだから