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サランドバディ 序章

わたしたちの眠りの中、霧の立ち込めるその先に、ひっそり息づく世界がある。
この夢の世界は、『サランドバディ』といい、上質の深い眠りの中から訪れることができるのだが、その能力をもつ人たちは『眠り師』と呼ばれる。

緑の多いサランドバディは、東西に流れる水嵩も幅もたっぷりとあるおだやかな『ヌー川』によって大きく北の地域と南の地域にわかれる。
ヌー川の北側にひろがる『グリーンスタイケン』は、いくつもの小さな丘が連なる田園地帯で、丘の斜面につくられた畑のほかには、小学校が一つと、小さな商店、あとは民家がぽつりぽつりとあるばかりだ。
南側の『ネイズライフェン』地区は、比較的平坦で、歩いて一時間もあればまわりきれるくらいの円形水路があり、そのまわりに石畳の横丁や小路でつながる町がつくられている。人口三百人ほどのサランドバディだが、ほとんどの人がこの町に暮し、小さな商いを営んでいる。
グリーンスタイケンを北から南に流れる『ポンヌ川』は、小川といってもいいくらいの流れで、緑のグラデーションの丘のあいだを蛇行している様子はそのまま絵になる美しさである。ポンヌ川はやがてヌー川と合流し町の円形水路へと流れ込む。その水はさらに南へ、虹色の砂のひろがる[サルカル浜]から遠浅の海へと出ていくのだ。

そうしたサランドバディの特徴は、冬の代わりに太陽の昇らない『夜』の季節があることと、その時期にふたつの月が昇る『ダブルムーン』である。
季節は春、夏、秋と過ぎ、夜の季節が訪れると、空に昇った満月はふたつにわかれ、西の空と南の空に浮かぶ。ダブルムーンの光を受けて町の円形水路は金色の輪のようにきらめきつづける。その水路に囲まれた島は『月の輪広場』と呼ばれ、ダブルムーンのあいだ収穫祭が開催され、サランドバディは一年のうちでいちばん賑やかな季節を迎えるのだ。
やがて、ふたつの月のどちらかが薄くなって消えていき、春になれば本物の月だけが残る。その月が西と南どちらの空に残るかは年によって変わり、毎年ダブルムーンがはじまると、その残り方を予想して賭け合う者たちもいる。
サランドバディの一年はそのように移っていくのだが、夜の季節が近づいてくると、人々は皆なんとなくうきうきしてくる。それは、単に収穫祭がおこなわれるということだけでなく、いまは絶えてしまった遥か昔の幻想的な祭り、ミルク色の空に浮かびながら音楽やダンスを楽しんでいた記憶が、人々のどこかに残っているからなのかもしれない。

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空を舞うカイエたち

かつて、サランドバディの北側、グリーンスタイケンの丘には、『カイエ』と呼ばれる人たちの職人集落があった。カイエは、「浮遊する者」という意味で、彼らは人間でありながら空を優雅に飛ぶことができたのである。
秋が過ぎ、夜の季節を迎えると、太陽は昇らず、月の沈まないダブルムーンとなる。この時期、人々は月の光の中で一年の無事を祝い、そして作物の出来やそれぞれの活動を祝う収穫祭を開いてきた。これはいまもおこなわれているが、当時の収穫祭は『カイエの祭り』と呼ばれ、ふだんは職人のカイエたちが、この時期ばかりは祭りの中心となり、競って空を舞った。それだけでなく、カイエたちは魔法も使ったのである。その魔法は人々を幸せにして祭りを大いに盛りあげたのだ。

空に浮かぶカイエたちの手には小さな麻の袋が握られている。その中には砂粒のような細かな金平糖が入っているのだ。地上の人々は、バスケットや帽子を持ち、あるいはエプロンのすそを持って待ち構える。
彼らの準備が整うと、カイエたちはつぎつぎと金平糖を空からまくのだが、それは魔法によってパンやチーズや砂糖菓子に変わりながら、ゆっくりと落ちていくのだ。人々は手にした帽子や何やらでそれを受けとめ、地面に落ちたら魔法は解けてしまうため、大人も子どもも大騒ぎでハムやチーズの塊を集めてまわるのだ。
ダブルムーンのあいだ、月の輪広場ではそれらのご馳走でパーティが開かれた。ご馳走がなくなればまたカイエが空から金平糖をまくという具合で、パーティはつづくのだ。
音楽を担当するカイエは空中に浮かびながら太鼓を叩き、フィドルやリュートを弾く。それらの楽器も魔法のかかった箒やフライパンで、ふだんフィドルなど弾くことができない者でも自由に演奏することができたのだから楽しくてしかたない。その音楽に合わせて地上では皆が輪になって歌い踊り、やがて興が乗ってくるとカイエとともに踊りの輪は空に浮かんでいった。 

カイエが空を舞うのには、『カイエの泉』が大きく関わっていた。泉といっても水が湧いているわけではなく、赤みを帯びたガラス質の石が敷き詰められた小さな円形の舞台である。泉の石は水面のようになめらかで、やわらかな光を放っている。カイエの泉を囲むように茂るジュニパーの樹々が風に揺れると、その影を映して赤い石の光もさざ波のように揺れた。カイエたちはその泉によって力を蓄え、魔法の技を磨いていたのである。

やがてふたつ昇っていた月の片方が消えてひとつだけになると、太陽が顔を出し、また人々の日常が戻ってくる。空を舞い魔法を使っていたカイエたちもまたいつもの職人に戻っていった。
カイエの丘にある職人たちの集落では、朝早くから煙が立ちのぼり、木槌の音や機織りの音、親方のかけ声やおかみさんたちの笑い声、子どもの泣き声などが聞こえて賑やかだった。 

カイエの家の煙突にはゴンドラやマツカサ、あるいはリュートのレリーフが描かれていた。ゴンドラは円形水路に浮かべる小舟を作る舟大工の家、マツカサは家具職人の家で、リュートは楽器職人の家、というようにそれぞれの職業を表すしるしとなっているのだ。とくに春から秋のあいだ、日が落ちて暗くなると、煙突はホタルの発する光のように、やわらかな光を放ち、それぞれの絵がきらめき、のどかなグリーンスタイケンの風景をより幻想的に見せていた。

あるとき、そうした平和そのもののグリーンスタイケンに事件が起こった。外国の『数珠玉騎士団』が、偶然知り合った眠り師からサランドバディのことを聞きカイエの美しい煙突の存在を知ると、眠り師を騙してサランドバディに入り込んだのだ。ダブルムーンが終わったばかりの月のない夜のことだった。
何も知らない眠り師は、夜の旅のコンダクターとなってサランドバディの入口を開けたのだが、同時に、騎士団長の号令がかかり、近くで待機していた一団が一斉になだれ込んでいった。
彼らの目的はグリーンスタイケンの丘に建つカイエの煙突。数珠玉騎士団にとっては莫大な財宝に映ったことだろう。それらは探すまでもなく、暗闇に美しい光を放っていたので、騎士団は迷うことなくまっすぐカイエたちの住む丘へと進み、光の煙突を力まかせに倒していった。その騒ぎに驚き、飛び起きたカイエたちは、目の前でなされている見知らぬ兵士らの破壊行為を見て事の次第を察したのだった。衝撃で屋根や壁までが壊される家もあり、命からがら逃げ出すカイエもいた。

祖先から受け継がれてきた工房のしるし、職人の誇りである煙突は美しいがゆえにつぎつぎと倒されていった。数珠玉騎士団はカイエやほかのことには目もくれず、その煙突の輝きに目の色を変えている。しかしいくら美しく輝いているとはいえ、倒れてしまった煙突ではなんの役にも立たずカイエにとってはもうなんの値打ちもなくなってしまった。
それほどまでに欲しければ持っていくがいいと、からだを張ってまでこの愚かなやつらと戦う意味などないと判断したカイエたちは、万が一にも捕まることがないよう、カラスに姿を変えると、闇にまぎれ様子を窺った。

数珠玉騎士団が運ぶ楽器や帽子、マツカサの絵の輝く煙突は、明るい光のパレードとなって暗闇の中をずんずんと進み、光の隊列はサランドバディからあちら側の世界へと帰っていった。そして、最後のゴンドラが発する光が見えなくなると、あとには静寂と暗闇だけが残ったのだ。

つぎの朝、事件を聞いた町の住人たちもグリーンスタイケンに集まっていた。ミュールク小学校の創設者の息子で、町の世話役でもあるカスター・ミュールク・チチホフも髪があちこちはねた起き抜けの格好で駆けつけた。父親に劣らずグリーンスタイケンの景色を愛していた彼は、惨状を目にして声もない。ただ、カイエや近くの住人たちの無事を確認すると、不幸中の幸いだと言って涙をぬぐった。やがてカスター・ミュールク・チチホフは、町の世話役の顔をとり戻し、被害に遭ったカイエたちのために出来る限りのことをしようと請け合って帰っていった。町の人たちも協力して炊き出しを行い、壊れた家の中から家財を運び出す手伝いをした。

その後、カイエの泉に集まったカイエたちは、それぞれがふわりふわりと空中に浮かび、はたから見ればまるでのんきな一団のようである。だが、そこに集まっただれもが皆、心の中ではこれからの行く末を案じていたのだ。
まず、長老のサリー・モルク翁がもっともらしい意見を述べた。彼はマツカサのレリーフの描かれていた家具職人の隠居で、店は娘のガーネット夫妻が継いでいた。
「残念なことだが、わしらカイエの存在が、このような事件を誘引したことは否めない。平和なサランドバディのためにも今後は町の人たちと変わりなく、できれば魔法も封印して生きていくのがいいだろう。カスターも言っていたが、ネイズライフェンには空き家もあるし、新たに家も建てられている。みんなで新しい町に移ったらどうだろうな」
真っ先に反対したのは、まだ若く祭りが大好きな楽器職人のフリート・タルトだ。
「んなこと言ったって、ターゲットになったあの煙突は大昔、おれたちの祖先が作ったのを守ってきただけだろ。いや、もちろん、誇りはもってたけどな。それに、いまみたいに空に浮くことや祭りで魔法を使うことは町の人たちのためにも何かと役立ってきたわけだし、なんてったって事件の原因になった煙突がないんだから、いまさらここでカイエの生き方を変える意味なんてないんじゃないか」と言った。
そこにいたほとんどが高く浮きあがり、若いフリートの意見を支持した。するとこんどは長老の娘のガーネットが口を開いた。
「そうね、あたしもフリートの言うとおりだとは思うわ。ただ、現実問題としてどうなのかしら。仕事場も住まいも壊されてしまった以上、このままでは暮らせないわ。それにあたしたちの魔法なんてたかが知れてるから家を建て直すなんてとても無理よ。ところが町では最近建物も増えはじめていて、あたしたちが入るだけの余裕もある。現にカスターは、みんなで移ってくればいいじゃないかと言ってくれてるのよ。ただ、町で暮らすとなればあたしたちがふだんから使ってきたちょっとした魔法だけど、これも新たなトラブルにもなりかねないわ。だから町へ移るのなら、いままで平穏に過ごしてきたサランドバディを乱す要因となりそうなものは控えた方がいいと思うのよ。少なくともしばらくは」

たしかにガーネットの言うとおりだった。カイエの家は全壊や半壊したところがほとんどで、このままでは住むこともかなわない。彼女の言うようにカイエの魔法などたかが知れているから家を建て直すことなど論外だ。そうなると彼女の現実的な意見に、そこにいた多くが納得して高く浮きあがった。
「そうだな。まあ、店の再建も考えないとならないし、現実を見たら仕方ないか」と、フリートは彼らのいちばん上まで舞いあがって賛成の意思を表明した。
そうしてみんなの意見が一致して、グリーンスタイケンにいたカイエたちはヌー川を渡り、南のネイズライフェンへと移っていった。むろん、彼らのちょっとした魔法は、町の人には気づかれない程度には使われていたようだが。

やがて長い年月のあいだに、カイエが暮らしていた丘にはいくつかの白い石の廃墟が残るだけになってしまった。そしてダブルムーンの季節は幾度もやってきたものの、収穫祭にカイエが空を舞うこともなく、わくわくする魔法も使われず、いまに至るまで少し物足りない祭りがつづいているのだ。

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春の章 

はじまりは終わりへつづく宇宙らせんのぐるぐるまわり

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哲学者のライシェルさんと子どもたち

自然の絨毯の上に置かれたスプリングのきかないソファに腰かけ、生命力そのものといった子どもたちにカイエの話を語っているのは、哲学者のライシェルさんだ。
ライシェルさんは年期のいった黒い頭巾をかぶり、白いものが混じった頬髭をはやした小柄な老人で、ミュールク小学校の丘をくだった雑木林の中に、板きれやトタン板でつくった隠れ家にひとり暮らしている。ライシェルさんの住まいには出入り口としてのドアもなく、すき間だらけで雑木林にみごとに溶け込んでいる。                          

いまでは常連となった子どもたち、ジギーとイージュン、ティムの仲良し三人組が最初ここを訪れたとき、ライシェルさんは留守だった。彼らはその居心地のいい空間がまさか人の住まいとも思わず、すぐにここを秘密基地にしようということになり、あたりを見てまわっていた。
「ねえねえ、ちょっとここ見てよ、カゴとか毛布まで置いてあるよ、すごいね」とイージュンがふり向くと、そこにライシェルさんが立っていた。イージュンは息をのんだ。見るとジギーは壊れたソファに座ったまま、ティムは蜂蜜の瓶を両手に持ったまま、ライシェルさんの出現に驚いて動けずにいた。ライシェルさんが彼らをじろりと見て言った。
「あんたたちはわしのうちで何をやってる」
「あの、あたしたち、その、ここがあなたのうちだなんて知らなかったんです」とようやくイージュンが答えた。
「勝手に入ってくるんじゃない。ちゃんとドアをノックしてから入りなさい」 
と、ライシェルさんは静かに言ってティムから蜂蜜の瓶を取りあげた。
「……ごめんなさい」
子どもたちは謝ったものの、しかしそう言われてもノックすべきドアも見あたらない。三人がとまどっていると、それを察したライシェルさんが言った。
「いいかい、見えるものだけがすべてではないんだ。わしらには想像力というものがあるだろう。ここはわしがあれこれ考えたり想像する場所なんだ。まあ、これでも住まいということだな。たしかに、わしの見ている世界と、あんたたちに見えている世界は少しちがうかもしれんがな、そこはほれ、お互いの想像力でカバーできるはずさ」と言ってライシェルさんはにっこり微笑んだ。              

いまでは彼らも想像上のドアの前に立ち、ノックして、「どうぞ」というライシェルさんの声を聞いてから入るようになった。三人にとっては格好の秘密基地となるはずだったのだが、彼らにはすでに秘密基地と呼んでいるジュニパーの森がある。それに、ライシェルさんの話はちょっとむつかしくてわからないこともあるものの、彼らの話をちゃんと聞いて一緒に考えてもくれるから、彼らにとっては、もうひとつの秘密基地を手に入れたといえるかもしれない。それで三人は何かというとライシェルさんを訪ねるようになったのである。     

 つい先週赴任してきたドナック・ストーケル先生の授業で、彼らはグループ研究のテーマを「カイエ」にした。ドナック・ストーケル先生は、眠り師であり、いままでにサランドバディへは何度も訪れている。彼女は妖精学が専門だが、サランドバディに移り住んだのはカイエの研究をはじめるためだ。だから彼らが研究テーマをカイエに選んだのは、自らハードルをあげてしまったようなものなのだが、子どもたちはドナック先生の研究はまだはじまったばかりだし、先生より先に何かすごい発見ができるかもしれないと考えたからなのである。それでこの日はライシェルさんにカイエについての話を聞きに来たというわけだ。           

「ところで、数珠玉騎士団が持ち去ったカイエの煙突だけどな」
ライシェルさんは近所のチドニさんが届けてくれたさや豆のすじをとる手を動かしながら言った。
「サランドバディを出て時間が経つうちに、ただの重たい石に変わってしまったんだ。つまり、やつらはいらぬ苦労をしたってわけだな」
それを聞いてイージュンが言った。
「いい気味だね。だけどそのあと数珠玉騎士団はどうなったの?」
「やつらは屈辱的なこの事態に怒り心頭、つぎの作戦を開始しようとした」
「やっぱりね」
「ああ。それでこんどはサランドバディごと乗っ取ることにしたんだ。ところが、道案内にした眠り師は倒れた石の下敷きになって死んでしまったという。そうなるとやつらはサランドバディに入ることはできないし、またはじめから仕切り直しだ。だが、どこにいるかもわからない眠り師をまた見つけだすのも容易なことじゃないな。それで、サランドバディの乗っ取り計画はあきらめるしかなかったんだ。だいたい奪ってきてもまたがらくたに変わっちゃたまらないだろう。それよりもやつらには目の前に片づけなきゃならない問題があったしな」
「煙突だね」とティム。
「そのとおり。自分たちの愚行がばれては後世の恥となると考えて、ただの石の山となった煙突の残骸は三日三晩を費やして片づけ、悪事の記録もきれいさっぱり抹殺したんだそうだ。もちろん、騎士団の中で、サランドバディという言葉は絶対に禁句だ。おかげでサランドバディはやつらの世界ではすっかり無いものとなった。それでわしらはいまもこうして平和に暮らしているというわけだな」
「ふーん、それじゃあ町に移ったカイエたちはどうなったの?」と、ジギーが聞いた。
「彼らは職人としてほかの住人と同じように暮らすことにした。つまりカイエの生き方を封印したんだな」
「フーイン?」
 封印の意味を知らない三人が同時に訊ねた。ライシェルさんは子どもだからといって話し方を変えたりはしない。
「そうだ。ダブルムーンの祭りで金平糖をまいて食べ物にする魔法も、空の上で楽器を演奏することも、カイエとしてやってきた特別なことはみんなやめてしまったんだ。魔法を使うことや、空を飛んだりして、外から来た眠り師の目にでも触れて、また同じようなことが起こるとも限らないと考えたんだな。それだけ数珠玉騎士団の襲撃は彼らにとってショックだったんだろう。ともかく、カイエにはサランドバディの平和のほうが大切だったということだな」
「ふーん、でもライシェルさんはなんでそんなに昔のことを知ってるの?」
「いいところに気づいたなイージュン。じつはな、驚くことにもうひとり眠り師がいたんだ」
「もうひとり?」
「ああ。それは数珠玉騎士団のひとりだった」
「まじで?」ジギーとティムが驚いて大声をあげた。
「そんな、数珠玉騎士団が眠り師じゃおしまいだよ」とイージュン。
「やっぱりサランドバディは乗っ取られちゃったの?」とティム。
「いや、その眠り師はな、騎士団にはいたけれど、光る煙突なんかより、ずっとサランドバディの景色のほうが好きだったのさ。むしろサランドバディを守ろうとしたんだよ。結果的にはうまくいかなかったがな。しかし、死んだという眠り師もそのときに死んじゃいない。騎士団のその彼が襲撃のどさくさに眠り師を隠して、表向きは死んだことにしたんだ。そのあとふたりともサランドバディで暮らして、月の輪広場の地下墓地に眠っているよ」
イージュンがますます不思議そうにライシェルさんを見た。
「わしは眠り師だったその騎士団の男の日記を読んでカイエのことを知ったんだよ。それがサルカル図書館にある」
「ほんと? ライシェルさんがいま言ってたことが書いてあるの?」
「ああ、もっと詳しくな」
「わあ、じゃあ明日、学校の帰りに行ってみようよ」とティム。
「うん、行こう行こう」
「だけど、いまはもうカイエは飛べないんでしょ。つまんないな」とイージュンが言った。
「わしはたまに夜になると飛んでるのを見ることもあるよ。ただし、本人は眠っているあいだに飛んでるから、じぶんが飛べるなんて思ってもいない者がほとんどだろうけどな。そういうあんたたちだってカイエかもしれんからな」
「ほんと?」
「ああ。だが、カイエでもそうじゃなくても同じことだな。空を飛ぶのは飛べない者から見たら特別かもしれないが、それだけが人の価値を決めるものでもないだろう」
「えー、それでもやっぱり、飛べたらいいなあ」とジギーが言った。
「ふむ、だったらカイエの泉の石を見つけることだな」
「ねえライシェルさん、ほんとにカイエの石はあると思う?」とティム。
「ああ。飛んでるカイエがいるってことは、カイエの石の力が働いてるということじゃないか? 石がなければカイエだってうまく空を飛ぶことができないはずだからね」
「そうか。じゃあジュニパーの森がカイエの泉だっていうのはほんとうなの? あたしたちストーケル先生からそう聞いたから探してみたけど何も見つからなかったんだよね」とイージュンが言った。
「ああ。わしもあの秘密基地はじっくり調べてみたけどな。何も見つからなかったな」
「えっ」三人はびっくりしてライシェルさんを見た。
ライシェルさんは、ジュニパーの森のことをわざわざ〝秘密基地〟と言ったのだ。
「秘密基地って、なんで?」とティムが戸惑いながら言うと、ライシェルさんが答えた。
「ふふ、なんであそこが秘密基地だって知ってるか? あのジュニパーの森はな、わしの子どものころも秘密基地だったのさ」
「えー、ライシェルさんもジュニパーの森で遊んだの?」
「そうとも、秘密基地でキャンプだってしたぞ。板やぼろきれなんかを使ってテントを張ったりしてね。まあ、いまの暮らしもたいして変わらないかな」
 イージュンはなんと答えていいかわからず言った。
「でも、その、秘密基地がほんとにカイエの泉なの?」
「ああ、眠り師が日記に図入りで書き残してるんだ。あそこに赤い石が敷かれていて、その上に立つとカイエはからだが軽くなって、空を飛ぶことができたってな」
「へえ。絵も残ってるんだね」
「そうさ、だが、彼らが町に移ってずいぶん経ってから、またカイエの祭りをはじめようって話になったんだが、カイエの泉に行ってみたら石はすっかり消えていたというわけだ」
「そっかあ、石があったらぼくたちだって空を飛んでるかもしれないのになあ」ティムはほんとうに残念そうだ。
「やっぱり町の図書館に行って、ほんものの眠り師の日記がどんなのか見てみなきゃ」とイージュン。
「うん。大昔の眠り師の日記なんて超お宝だよね」とジギー。
「そこにもしもヒントがあって、石を見つけられたら、カイエの祭りができるかな?」とティム。
「そうだな。そうなるとカイエたちの魔法も解禁になって、きっといまよりもっと賑やかな収穫祭になるだろうな」とライシェルさんが言った。 
「あたし、金平糖がどうやってお菓子やパンになるのか見てみたいな」とイージュン。
「ぼく、それやってみたいよ、金平糖を空からまくやつ」とジギーが言うと、ティムも、「ぼくはニンジンやカボチャを楽器に変えて演奏したいなあ」
「それなら、どうしたってカイエの石を見つけないとな」と、ライシェルさんが言うと、そうだそうだと三人はいてもたってもいられず立ちあがった。
「おいおい、あんたたち、図書館に行くのも石を探すのもいいがな、あんまり大騒ぎして迷惑かけるんじゃないぞ」
「はーい、ありがとうライシェルさん」
元気に答えた彼らは、入ってきたときとは比べ物にならないくらい素早くライシェルさんの家の隙間から外へ飛びだしていった。
「こらっ、ちゃんと出口から帰らんか」と言ったものの、彼らに聞こえたとは思えない。
「まったく、何度言えばわかるんだ。しかしまあ、どこも出口と言えば出口だな」
ライシェルさんは、いま暮らしているこの場所をもっと家らしくする方がいいのか、それともこのまま風通しよくしておくほうがいいかを考えてみることにした。鳥のように自由な魂を愛しているライシェルさんだから、結論はほぼ見えているが、結論ありきではなく、その過程こそが大事なのだとライシェルさんはいつも子どもたちに話しているので、じぶんでもじっくり考えてみようと思ったのだ。

ライシェルさん
ライシェルさん



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