その6【紀行文へ戻そう……辿り着くまでが大変】
辿ったルートの概要を説明するならば、多くの者は「なぜに?」となるであろう。
使った道路は基本的に一般道である。
高速道路を使用すると、邪魔が入ったときに迂回できないから。
首都圏から関越道路沿いに北上し、途中で西へハンドルをきる。
左手にある御巣鷹山へ祈りを捧げつつ、富岡を通り、佐久をかすめて諏訪へ至る。
諏訪大社に詣でて北上、松本市から西進。飛騨高山へ至る(この辺りで既に深夜)。
静寂下の飛騨高山で、北へとハンドルをきる。山中の道を幾度も細かく道に迷いながらも富山市街地へ。コインパーキングに車を止めて、車中泊。
翌朝早朝に目覚め、富山湾岸へと車を進めて日の出を拝む。
海岸線に沿って西進。徐々に内陸へと入り、やがて石川県へ。石川から福井へ日本海沿いを進み、敦賀市で南下を開始する。
琵琶湖沿いを下り、三重県へ。
和歌山県に入ろうという所で車中泊。
移動三日目
早々に和歌山県に入る。
閑散としている、本当に珍しい状態の熊野那智に詣でる。
そのご導かれて、熊野の山道を右往左往。山道という林道。いくつかの集落を申し訳ない気持ち(ごめんなさい、県外ナンバーの軽自動車が通過します)で通り過ぎて、潮岬に立ち寄って。
そこから、ひたすらに大阪・兵庫を目指して、海沿いを走り続ける。道路に設置された電光掲示場、道の駅に置かれた立て看板に示されている県外ナンバー車両への排他的文言におののきながら、ひた走る(いやぁ、わかるんだよ。わかるんだ。その気持ちは。あの頃は本当に遊び場を奪われた連中が、わんさと大阪・兵庫から流入していたからさぁ。でも、その排他的文言に込められた怯えと怨嗟の圧が凄くてさぁ。本当に凄かったんだよ)。
ガソリンを和歌山で補給して、食料も和歌山のコンビニで買って、大阪と兵庫には駐車することなく、神戸淡路鳴門自動車道を経由して四国へ上陸。
徳島県に入って、コインパーキング車中泊。
四日目。
翌朝、快活クラブ(ネットカフェ)が営業していることを知る。徳島市入って立ち寄り、シャワーを浴びて、数時間だけ仮眠を取り出立。安価で体を洗えたことを感謝。
紀伊水道沿いに南下。室戸岬付近を通過。道々に見るお遍路さんの姿はほとんどない。まあ、よほどの因縁がなければこの時期に遍路はしないだろうと納得しつつ、車を運転。
高知市に入り、繁華街の片隅のコインパーキングで車中泊。
五日目。雨。
海岸に沿って時計回りに進む。
どうしても海の様子を確認しがちになる。
邪魔してくる気配の有無を確認する。
四国南岸付近は、中立地ながらも、こちらの勢力に好意的な土地なので宇和島付近まで安心して進める筈とわかりつつ、海の気配は気になる。
九州に近くなると、やはりナーバスになってくる。
愛媛県の佐田半島の途中で車中泊。
中央構造線の上。伊方原発の近く。甚大な地震が起きてもおかしない所。九州で発生した大規模火山噴火の火砕流に飲み込まれてもおかしない所。
そんな所で霧の中で意識をなくす。
眠りではなくて、意識の亡失。明らかに地固め、地均しの作業に駆り出された夜。
六日目。
晴天。
国道九四フェリーにて、大分へ。九州上陸。
臼杵を通過して国道一〇号線に入り、南下。延岡から高千穂へ。
高千穂を通過して幣立神宮へ到着。
神宮の奥の座へ行き、到着を報告。
幣立神宮自体は今回の件とは筋違いで無関係なのだが、私自身と深い因縁がある。そのため、九州を訪れた際には出来る限り挨拶に伺うことにしている。
その後、阿蘇をかすめて走り続けて、柳川入り。
はじめての宿泊となる。
あわせて、柳川在住の眷属へ連絡。慰労と感謝を改めて伝える。
この時の訪問では、眷属と直接に会うことはなかった。
眷属が本当に消耗の極みにあり、私と会った時に受ける余波には耐えられなかったろうし。
約一週間かけて、九州に上陸。
その間、体を洗えたのは一回。
本当に、新型コロナって嫌い。
まあ、その代わりに九州での作業は比較的に楽だったんですがね。
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