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その4【退職勧告、そして……】

 一昨年晩秋の頃だったか。
 私は各方面から退職勧告を受けました。
 まずは懇意にしていただいている、鍼灸の先生から「今年度いっぱいで退職しないと駄目ねぇ」と告げられました。
 続いて、娘からも。「厄除けの散財がかさんで借金しかない我が家だけれども、生活どうなるか不安しかないけれども、退職するしかないねぇ。最悪でも、一家離散して、各自、生活保護もらっていけば何とかなるでしょ」なんてことを言われて。
 関東住の眷属からも、退職すべき時期と告げられる。
 諏訪の神さんからも「後顧の憂いは無視してでも動く時期が来ている」と(無視ですってよ。無視ですって。人生設計、人間生活を軽々しく扱われるのは、もうなれましたが)。

 で、十二月に入る直前に退職届を出しましたよ。
 超安定していた企業なのに、退職まで十年近くを残して退職ですよ。退職金は満額より相当目減りするし、十年分のそこそこの給料だってふいになりましたよ。
 そして、その退職金のほとんどは家族に渡して、家族を名実共に解体しました。家族に対しては、当面の生活資金を確保してあげないといけませんからね。
 でも、仕方がないんです。
 そういう風に行くしかないのですから。選択の余地なんてないんですよ。
 端からは「なんて馬鹿な」「なんて思考停止的な」と見えるでしょうね。それが当たり前ですよ。常識的見解ですよ。
 でもねぇ、渦中にいる側としては、その選択しかないんですよ。
 そして、私たちが巻き込まれている渦を認知できる幾人かは「可哀想だけれど、仕方ないよね。助けてあげられなく、ごめんね」と申し訳なさそうに言ってくれます。その言葉がせめても救いなのですがね。

 仕事を辞めて、その後に訪問して巡る先はやはり九州。
 様々な所を巡りつつ、解体、浄化、再埋葬、再構築、分解を同時進行で行いつつ、五島列島某所の土中にて串刺しなっている「ソレ」への反攻工作も実施。
 どんだけのマルチタスクを求めんのよと悪態つきつつ、巡回先の中に観光地も多く人混みが邪魔なんですがとクレームを出せば、その点は配慮済みと回答してくる……そう、私が九州巡ったのは、二〇二〇年四~五月。新型コロナによる非常事態宣言のただ中。そりゃあ、人混みなんてありませんよ。
 その代わり食事処も、スーパー銭湯も営業していなかった。
 お金ないから、車中泊をメインでと考えていた計画は、道の駅なども夜間閉鎖したりで頓挫。そんな中で、頑張ってくれた快活クラブさんには感謝(そのあたり筋道つけたのも私ら、とは諏訪の神さんのお言葉)。

 二〇二〇年春、家族の引っ越しを終えた。
 捨てるもの捨てた。個人的にはとても身軽になった。借金だけが残った。でも、ひとりならばどうにかできる……筈。
 二十年以上酷使してきたミニバンを廃車にして、十年落ちの中古の軽バンを購入。二十万円ちょっと。
 娘や眷属から「その車だと、九州に辿り着けないから(壊れるから)。車は買い換えなさい。そして終わったら、それも捨てるんだよ」と強く、何度も忠告されたからだ。
 私の心づもりでは、ミニバンの車検は六月だから、それまで乗り続けて廃車にだった。九州に行って帰ってくるまでは持つと思っていたのだ。
 だが、娘や眷属は言い放った。「その車、もうゾンビ状態だから。諦めなさい」と。
 なので、泣く泣く諦めた(軽バンの代金で二ヶ月以上は暮らせたは、筈なのに)。
 こう言うときの見立ては、私よりも娘たちの方が確実なのだ。

 そして、身軽になった私は関東から北北西へと進路を取った。

 向こうだって、私が向かってくるのはわかっている。
 私が、諏訪の神さんの勢力にとって、起死回生の戦力のひとつなのは、向こうだってとっくに認知している。防火堤作りをしたときから。
 当然でしょう。

 だから、連中は、ずっと、私の行動に、生活にちょっかいをだし、事ある毎に災厄を降らし、負債を重ねさせて、身動きを奪ってきたのだ。
 貯まって行くべきだった資金がゼロのままだったのも、「ソレ」を含む諸々によるものだって、私もわかっている。
 そして、「ソレ」たちからのちょっかいを、諏訪の神さんたちは些細なものとして判断している。
 だから、どうしても我が家は貧乏の一歩手前の状態を自力で維持してきたのだ。
 維持して、タイミングをはかって、いつか盛り返してやると誓っていたのに。そんなチャンスすらなく、現在に至っている。
 状況が終息しても、私の困窮は変わらないままである。

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