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その5【話題は突如切り替わる……】

 九州は古から予防堤の土地である。特に海岸部はそうであり、中でも北から西にかけての海岸線は、その特色が強固である。
 これは地勢学的に仕方のないことだ。
 先に地勢があり、それに合わせて神さんたちが土地の役割を定めた。
 ずっと古から、そういう形で神さんたちはやり過ごしてきて、背振山の神さんは山頂から西と北とを眺め続けてきた。
 対馬と五島列島と他諸々の島には、いさかいに敗れた神さんの成れの果てを配置し、隔壁としてきた。
 隔壁の恨みは、全方位に向く。当然東方の神さんたちにも向くが、それでも成れの果てが置かれた地へ赴く素振りを見せなければ、大したことはできない筈だった。
 確かに、大したことはできない。だが、時勢を上手く取り入れつつ、ささやかな布石を打ち続けることは出来る。
 五島列島の某所に埋められた「ソレ」は、諦めることなくそのやり方を積み上げてきた。
 人間という、恐怖とエゴイズムに支配された感情と思考を極端に進化させ続ける存在が現れたのは、「ソレ」にとっては僥倖だった。
 属する陣営に関係なく、その人間が心地良いと感じる事柄を背後から囁き、導くことで、簡単に「ソレ」が思うように動いてくれ、無意識のうちに布石をばらまいてくれます。

 例えば、一連のキリシタンを巡る歴史などそうでしょう。
 あれなどは、複数の勢力に働きかけた結果です。
 イスパニアもポルトガルも植民地政策の一環としてのキリスト教布教ですから。
 日本の国内の者が聖書の原典を読めないことを良いことに、自国の思想や利益にとって都合良いように布教していったのは事実ですから。
 これは十字軍の遠征でも同様ですよね。
 しっかりと聖書を読み砕くならば、そこに聖地の奪還の重要性なんて語ってないことも、刃を持っての他者への蹂躙を認めていないことも、他者の生き様への無慈悲な否定を認めていないことも、しっかりと理解できるはずなのです。
 でも、その理解が出来ない。
 理由はいくつもありますが、その中でも一番に可哀想なのが、布教者から都合の良い部分だけを湾曲される形で教えられるという者でしょう。
 識字の大切を知る思いです。
 文字が読めたならば、原典である聖書を読み解き、自分なり咀嚼することも出来でしょう。
 「踏み絵」という苦行に対しも、キリストならば「あなたが生き延びるために、遠慮なく私を踏みなさい。私はあなたに踏まれることを喜ぶでしょう」と仰るにちがいないと判断する術(選択肢)だって思いついたでしょう。
 信仰とは形ではないとも考えられたでしょう。
 苦渋の選択ではなくて、積極的な選択として、形を捨て教えという本質を継いでいくということを選べたかも知れません。
 ですが、人の口による布教では、得てして教えの流れが一方時になりがちです。議論を妨げます。悪い意味での洗脳状態に陥り、選択肢を細らせます。

 話は飛びますが、関白になった後の豊臣秀吉に「ぼけ」が始まっていなかったら日本史の流れは違っていたとも思います。
 朝鮮への直接の出兵はなかったでしょう。
 キリスト教への弾圧ももっと緩やかだったでしょう。イスパニアの植民地政策の先兵的な宣教師の追放で終わり、代わりにオランダからの宣教師を重用したかも知れません。秀吉ならば南方貿易での利益を掠め取るために堺を絡め取ることを考えたでしょうか。
 秀吉の思考は根っからの商人のはずですから。
 壮年時の健康な状態が維持されていたら利に賢く動いていたでしょう。

 徳川幕府も同様です。キリスト教禁教後に、なぜ九州西部で広く圧政を引いたのか。
 まあ、初期の徳川幕府の性格自体がそういう傾向にあったのも確かですが、もう少し賢い司政官を現地に派遣していたらと思ってしまいます。
 鞭しかない状態ではいつか暴発するのはわかっていたでしょうに。最低限の衣食住を保証してあげれば、島原の乱は発生しなかったのですから。
 島原の乱の本質は宗教紛争ではなくて農民一揆ですから。キリストという存在にすがって死に行くしかない、と領民に思い詰めさせた領主側の落ち度です。

 キリスト教禁教に伴う苛烈な弾圧行為、島原の乱の発生、その流れが「ソレ」による布石の上で行われたことである。
 それを客観的に証明する術ありません。
 なので、信じてくださいとは言いません。
 ただ、私にはそういう流れが見えたということを伝えるしかありません。

 弾圧の末に虐殺されていった者たちの意識の底に積もり続けた怨嗟は、そのまま幽鬼として地の底に沈み、朽ちることなくただただ眠りについていました。

 その怨嗟を目覚めさせるイベントが発生しました。
 それが潜伏キリシタンの遺構群の世界遺産への登録です。
 世界遺産への登録という流れに異を唱えるつもりはありませんし、日本の歴史の中で起こった陰惨なイベント……植民地拡大のために宗教を使った者たちと、その流れを押し返すために殺戮と圧政を行った者たちとの狭間で翻弄され弱き者たちが居たこと記憶・記録しておくことは大切です。
 ただ、その大切な行為の裏で、別の思惑が蠢いていたのです。
 世界遺産に登録されたことで、国内外から多くの意識が当地へ向けられます。
 向けられた意識はエネルギーとなり、土中に取り残されたまま眠っていた怨嗟を呼び起こします。

 「ソレ」のまいた布石によって当地に取り残されたのは怨嗟の思いのみでした。
 信仰も悲しみも慈しみも削がれた後の単なる怨嗟です。
 ベクトルを持たない強い思い……ここでは単なる怨嗟ですが、そういうものは仕掛けないうちは、ただそこに漂っているだけで、たまたま近づいてきた者へ作用するだけです。
 ですが、そこに神霊的な力場を与えると、その力場がどんな種類のものであっても、その力場の力が僅かであっても、その影響を受けます。そう、磁石の周囲に模様を描く鉄粉と一緒です。
 怨嗟という負のエネルギーは、それを生み出してしまった者たちの思いや性格を引き継ぐことのない、単なるエネルギーです。
 このエネルギーの扱い方を知っていれば、誰でも好きに利用できます。

 そういう怨嗟が目覚め、土中から這い出そうとしている。
 這い出した後の怨嗟を集めて、自身の恐怖に従って振る舞い、周囲に人を集わせ、その人たちを良いように振り回して、その場その場では良い方向へ向かっているように思いこませつつ、実は奈落へと歩かせていく。そういう存在たちを「ソレ」はこの世に配置しました。
 それが現在です。

 「ソレ」にとっては、今は萌芽の時でした。
 この後ゆっくりと育て、花開き、実をつけるまで、じっくりと育てる予定でした。
 実を刈り取るのはもっと後の時間を考えていたようです。
 人間の時間で言うと、何世代か後にという感じでしょうか。

 もっとも、怨嗟を用いたこの方法は「ソレ」にとっては、じっくりと進めてきた何種類のプランの中のひとつです。
 いくつもの計画をたて、同時進行させ、様々な形で布石をばらまき、その中の一つでも二つでも完遂できたら良いと考えています。
 こちら側としては布石をばらまかれているうちは手を出しようがなくて、ことが顕在化するのを待ってという形を取るしかありません。 この辺り、「ソレ」は現在の理(ことわり)を考慮する必要がないのに対して、諏訪の神さんなどこちら側の勢力として現在の理(ことわり)、柵(しがらみ)を維持したいので、しっかりとした根拠を示せない段階では表だっては何も出来ないのが理由です。出来るのは、せいぜい対抗措置を発動させる時の準備としての戦力の確保や根回しくらいなのです。

 数年前に、私が背振山~柳川のラインに防火堤を作ることができたのも、九州斜断地震(熊本地震)の惨状が顕在化したからなのです。
 これも簡単におくべことなのかも知れません。
 今、「ソレ」の思いを受けて傀儡となっているのは、半世紀ほど前に既に死せる者です。
 重病の床にあり、世の中の賑やかな喧噪に自身が参加できないことに恨みを募らせつつ、死に行くことへの恐怖におののき怯えていた時に、「ソレ」の誘いに乗り、魂魄を漆黒に染めることで生き長らえたた者です。その内部には、この世への怨嗟のみが渦巻いています。
 この者の怖いところは、自分が捨て石でいることを厭わないことです。自身の怨嗟の結果が何十年も後に、自分が居なくなった後に結実しても構わないと思えるところです。これは、自分の本来の死を通過したきたから成せることかも知れません。
 でなければ、その者の意識・価値観自体が「ソレ」のもの入れ替わっているのかもしれません。
 まあ、その辺り、その者自身は全く自覚していなくて、魂魄の中で行われていることなのですが。その辺りの闇がまた深くてね(←個人的な感想)。

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