ヒーローのみなさんへ

ほんの数年前、福岡で大規模な地盤崩落事故があった。

夜明け前の福岡市営地下鉄のトンネル延伸工事現場に大量の地下水が流れこみ、地上ごと落ちたのだ。車道にわずかに走った亀裂はアスファルトを勢いよく裂き、あっという間に穴が空いた。

朝の準備をしながらなにげなく点けたテレビに映し出された光景に足がすくんだ。黒い穴へズルリと引きずられ、5mはありそうな街灯が落ちていく。
いつもの部屋でお湯を沸かしていた私は、その映像に足元がぞうっと冷たくなる。
そこは数日前に通ったばかりの道だったからだ。
いまから数時間前に暗い穴に落ちていった街灯が照らした歩道を、あの日の私は、音楽を聴きながらのんきに歩いていた。

報道ヘリコプターが、博多駅のすぐそばにとつぜん現れた穴の上を旋回している。
くり返しテレビで流れる視聴者提供の動画には、地下水でどろどろになった地盤に支えを失ったアスファルトが、次々と割れて落下するさまが映し出されている。
夜明け前よりさらに暗い穴は見る間に広がって、立ちすくむビルが並ぶ両脇ギリギリまでせまっていく。


夜明け前のあの場所に、何人のヒーローがいたのだろう。

かすかな兆しに異変をキャッチして、すぐに担当部署へ連絡した人。
地下にいたすべての作業員へ、緊急退避の指示をした人。
最初の亀裂が生まれるわずか五分前に、周辺の道路を封鎖し早朝の新聞配達のバイクや物流トラックが巻き込まれないようにした人。
生き物のようにふくらみつづける穴のそばで、赤い三角
コーンを並べた人。
思考に爪を立てる恐怖心と戦いながら、近くのコンビニやビル内にいた人たちへ避難を呼びかけつづけた人。

たくさんの人たちのおかげで、海外で報道された大事故にもかかわらず誰ひとり犠牲者が出なかった。なのに私たちは、そんなヒーローたちのことを知らない。
大規模な事故による並行世界の死傷者を、こちらの世界で未然に防いだ偉大な人たちのことを知らない。

私たちが暮らす街に、ヒーローたちがごまんといる。

 「こと」が起こり活躍するヒーローと
 「こと」が起こらないように活躍するヒーロー。

なにかが起きて称賛されるヒーローと、なにも起こらず称賛されないヒーロー。
どちらを欠いても、世界はきっと崩れる。

メディアが注目したり私たちの目にとまるのは「こと」が起こったあとのヒーローだ。
一方で、事件や事故が起きないかぎり、たとえ起きてもそれが甚大なものでないならば、その裏で命の時間をついやした誰かの存在が知られる機会は少ない。

ニュースになるのは、普通が普通じゃなくなったときだ。
悲しい事件やいたましい事故も、災害も、普通が崩れ落ちる瞬間に起こる。

「なにも起こらない」普通の一日のために、ヒーローたちはあちらこちらで活躍している。起こりえた事件や事故は、起こる前に、彼らによって防がれる。
未然のヒーローたちが日の目を見ることは、ほとんどない。
 
飛行機が落ちないように。
高速道路の落下物が後続車を巻き込まないように。
日常が非日常に足を踏み外さないよう、ヒーローたちは自分の持ち場を守る。
「今日もとくべつなにもない一日だった」は、彼らによってつくられている。

彼らの多くは自分がヒーローだと思っていない。
そのかわり「それが仕事だろ」と思っている。たぶん。

もしバスの運転手が、急に前方へ入り込んだバイクをよけきれなかったら?
もし道路工事現場に立つ警備員のわきをすり抜けた子どもが、低くうなる重機のほうへ駆けていったら?

なにかが起こるのを防いだヒーローたちのおかげで今日が、記憶に残らない一日になる。

ヒーローたちは、それぞれ仕事を終えて家に帰る。
自分のなしとげた偉業を気にもかけていない。たぶん。


月曜日、夜のバスはすこし混んでいる。

私は運転手さんのすぐ後ろに立ち、オレンジ色のポールをつかんでバスと一緒に揺られていた。対向車のヘッドライトに照らされた運転手さんの、メガネの銀色のふちが光る。
減速したバスが止まった。誰かの停留所だった。

「ありがとうね。どうも、おつかれさまです」

しわがれても最後まで聞きとれるはっきりした発声に、フロントガラスの向こうの夜へぼんやり飛んでいた意識が車内に戻る。
私の隣に、さっきの声の主がいた。
70代後半くらいだろうか。すこしゆっくりめの動作で、手にした高齢者専用バスカードを運転席のほうへ向け、料金箱の後ろに立っている私のそばで、運転手さんにお礼を言っていた。
福岡を走るバスの降車口は前方ドア、運転席の左隣だ。

次の進行ルートへ意識を向けていたらしい運転手さんが、ハッと彼のほうへ顔を向け「ありがとうございました」と急いで言う。
と同時にあごを引いて会釈の仕草をし、言葉から一拍遅れて態度で礼を返した。
男性はバスのタラップをゆっくり一段一段踏みしめ足を運び、歩道へ降りると立ち止まる。
それから振り返って、運転席を見上げると右手をゆったり上げた。

スマホを見たり眠ったりと無防備に揺られる命のかずかずを、大きな車体を操って目的地へ運ぶ者へのまっすぐな敬意が、降車ドアの外から運転席までノーバウンドで届いた。

バス停の前の信号は赤に、横断歩道の信号が青に変わった。さっきの男性が、バスの前の横断歩道を左から右へ渡っていく。

ゆったりとしたその動きを、運転手さんが眺める。
開いた両ひじを大きなハンドルに置き、組んだ両手で口元を隠し、バスより前方を歩く男性が横断歩道のおしまいを渡りきって左に曲がり、視界からゆっくり遠ざかるのをフロントガラス越しに見送っている。


バスが停留所で止まった。気づけば私の停留所だった。
ありがとうございましたと運転手さんに言ってICカードをかざし降りようとした私の背に、マイク越しの声が届いた。

「エ〜後ろから自転車がきております〜、お気をつけください〜」

タラップをいつもより慎重に降り、左をみると、サイクリング仕様の自転車が私の目の前をいきおいよく走り抜けていった。背後に、懐かしい声を聞く。

「ドア〜、閉まりま〜す」

私と自転車の衝突を未然に防いだ運転手さんは、あたりまえのようにエンジンをぶるんと震わし夜空をしょって行ってしまった。

ヒーローと「未然のヒーロー」。
私たちの住む国には、後者が、きっとずっと多い。

おいしいごはんも、時間どおりの電車も、蛇口から出る水も、ヒーローたちが守っている。街のあちこちで「その日」や「あの事件」が起こらないよう。

今日も飛行機は、目的地に着陸する。
ブレーキペダルを踏んだ車は、速度を落とす。
台風で折れてぶら下がる街路樹の枝は、歩道に落ちる前に撤去される。
砂場に光るガラス破片は、公園のボランティア清掃の手に拾われる。

バスの運転手さんはバイクの危なっかしい割り込みを注意深くよけ、乗客を運んでいく。
警備員さんは、子どもたちが通り過ぎるまで工事現場に両手をひろげ、揺れるランドセルを見送る。

あなたが今日を生きたことで、誰かの一日を守りぬいた想像をしてみます。
きっと、あなたも未然のヒーローなのだと思います。
どこかでお会いしているかもしれません。

日常を日常にする偉業を、毎日なしとげ普通を生きるヒーローのみなさんへ、
ありがとうございます。
おかげで、ままならない今日がなんとか無事に終わろうとしています。
おやすみなさい。


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