普通に優しい人
1月4日月曜日、朝型になりたい私を改造するのを諦め、寝たいだけ寝るようにして一ヶ月くらい経つ。
早朝にスヌーズ機能がむなしく鳴り続く音も止み、家族も平和そう。
その日も8時半すぎまで眠った。タバコの吸い殻がたくさん落ちている夢を見た。捨てたタバコの持ち主は夢の中にはいないが、その人の怒りが吸い殻の形をしている、そんな感じの夢。
福岡市の中心に向かう途中バスから見上げた空が晴れていた。
バスのポールを握ってのんびり揺られながら、ビルの向こうの空を見ていた。今日は一人新年会をカフェで開催する。
新しい手帳に今年の目標や予定をいろいろ書き込む楽しみがあった。
「お前、通路に立って邪魔なんだよ、バカ!」
イヤホンから流れる米津玄師さんが優しい声で守ってくれた。
おかげで、自分に向けられた言葉と気づくのに一拍かかった。
私の前の席に座っていた70代くらいの男性が、バスを降り際に私の真横10cmで怒鳴ったのだった。
バスの揺れにリラックスしていた体が、他人の怒りに炙られ縮んだ。
メガネの女性のバス運転手さんは「ありがとうございました」と他の乗客と同じように、肩を揺らして降りていく男性に声をかけた。
「便宜上ネガティブなことはある一定の確率で起こります」と私の師匠は言っていた。その通りだと思う。落ち着こう。
自分の感情をモニタリングしてみる。動揺している。心拍数が20くらい上がっているだろうか。わからないが。
悲しみと申し訳なさがあった。怒りはない自分に気づきホッとした。
申し訳なさは、のんびりしたバス車内を一変させた緊張感の残響へだ。
気のせいか、乗っている人たちが居心地悪そうにしている。
ごめんなさい。
バスを利用するときはいつも、降りるときに運転手さんに「ありがとうございます」と言うようにしている。
福岡のバスの降車口は運転席の左側にあるから、お礼が言いやすいのだ。
車を持たない私にとってバスはありがたい足だ。
だから今日も、いつもと同じように運転手さんに聞こえるようにありがとうございますを言う練習をした。マスクの中でごにょごにょつぶやいた。
ありがとうございます。
事前に練習しないと、たとえば今日のように動揺したあとは相手に届く声を出せない。どもったりもする。
人並み程度の私のコミュニケーション能力は、後天的に苦労して身につけた外付け機能だ。自然にできる域には達していない。
「普通に優しい人」でありたいと思っている。
いちいち凹んでいたら優しくあれない。
2021年の目標3つのうちの1つが「優しく強く在る」だった。
強くあるために、理不尽な出来事の背景の、たしかめようのない男性の苛立ちの奥にある悲しみを想像する。
15分後、自分が降りるバス停に着いた。
ICカードをかざし「ありがとうございました」とメガネの運転手さんに会釈すると、運転手さんが降りようとする私を視線でつかまえた。
ハンドルから片手を外し「さっきの、大丈夫だった?」と、身振り手振りで言葉をかける。
動揺が残っていたのだろう。ありがとうございますと言うとき、いつも外すイヤホンが今日は耳に差したままで、運転手さんの言葉がうまく聞き取れなかった。
イヤホン越しに、けれど「あなたは悪くないですよ」は伝わった。
「あ、はい。ありがとうございます」と返す自分がいた。
イヤホンを外せたとき、ちょうど運転手さんが私に「ごめんなさいね」と言った。運転手さんは悪くないのに。
「こちらこそ、すみません。ありがとうございます」となんとか言い、バスを降りた。運転手さんの見守るような視線を背中に感じた。
バスを降りて振り返り、運転手さんにおじきをした。運転手さんも私に向かって頭を下げた。
それから運転手さんが正面に向き直り、ゆっくり発車させた。
バスを見送りビル陰に隠れて泣いた。
運転手さんのように「普通に優しい人」であろうと思った。
この世の中は普通に優しい人であふれている。
新年会で4年に1回も食べないパンケーキを食べ、これで今年は食べ納めでいいや。手帳に挟んだスマイルシールはいつかの出番を待っている。