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【天月怪異物語其ノ弐 林間学校の肝試し】

もう20年ほど前のことです。
当時、私が通っていた小学校では、毎年5年生になると一泊二日の林間学校がありました。
夏が近い暑い季節に行われていることも理由のひとつだったのでしょうか。
その林間学校では〈宿泊施設の近所で起こる怪談話〉と〈肝試し〉が恒例行事となっていたのです。
怖い話といっても学校行事のレクリエーションのひとつですから、きっと子供だましだと生徒たちはみんな思っていたと思います。
実際、私もそう思っていましたから。

* * *

今にも雨が降りだしそうな、どんよりとした曇り空が広がる夕方に私たちは宿舎から少し離れた外の広場に集められました。
これから怪談話がはじまるとなって、生徒たちの間に不思議な高揚感がただよっていたのを覚えています。
静まり返った広場の中央に立った施設の職員が、マイクを手に神妙な口調で話しはじめました。

昔、施設の近くの森の中にはサナトリウムがあったんです。
今は建物が残っているだけですが、廃院前にはたくさんの患者がいたと聞いています。
そのサナトリウムが廃院する前にとある事件が起こりました。
ある日、サナトリウムの近くを通りかかった男が「窓から首を吊った女が見える!」と言いだしたのです。
男が見た窓がある部屋には、たしかにひとりの女が入院していたそうです。
彼女はとても美しいかわりにひどく病弱で、長い間その部屋から出られずにいたといいます。
ですからそのときは、外に出られないことを儚んだ女が首を吊って自殺したのだろうと噂されていました。
しかし、事件はこれだけでは終わらなかったのです。
入院していたはずの女の行方がわからなくなったのです。もちろん死体も見つかりませんでした。
サナトリウムの中にもいない、外に出た形跡もない。
忽然と煙のように姿を消していなくなってしまったのです。
どれだけ探しても彼女は見つからず、手掛かりもないまま時間だけが過ぎていきました。
やがて捜索は打ち切られ、サナトリウムも廃院してしまい、彼女のことは忘れられていきました。

しかしある日、誰かが言いました。
「窓から首を吊った女が見える」
それからというもの、サナトリウムが閉鎖されている今もときおり、例の部屋の窓から首を吊った女の姿が見えることがあるのです。
もしかしたらみなさんも、今も死に続けている彼女の姿を見ることがあるかもしれませんね……。

職員の怪談話が終わり、広場から宿舎への帰り道。
外灯のない薄暗い田舎道を懐中電灯で照らしながら、私たちはぞろぞろと並んで歩いていました。
ふ、と。
ざわざわと騒がしかった生徒たちの話し声が一瞬聞こえなくなり、そして、誰かがポツリと。
「窓に女の人が……!」
あっという間にあたりが騒々しくなりました。
この道から、例の怪談話の舞台となった窓が見えているのです。
木々の間から見える建物の方を見て、みんなが「首を吊っている女がいる」と悲鳴を上げていました。
しかし。
私と、私の隣にいた男子生徒(仮称Aとします)は首をかしげました。
私たちには他の生徒たちが話しているソレが見えなかったのです。
かわりに見えていたのは、私たちに向かって手を振っている綺麗な女の人でした。
とても綺麗な、女の人でした。
Aは人当たりの良い性格だったので、手を振る女性に手を振り返していました。
私も、いつもなら振り返していたでしょう。
ですがなんとなく、言いようのない嫌な感じがして私は女性からそっと目をそらしました。
なぜ私とAだけ他の生徒たちと違うモノが見えていたのか、本当に彼女は存在していたのか。
今となってはわかりません。
しばらくは大騒ぎでしたが、その窓が見えなくなると他の生徒たちは不自然なほど落ち着いていました。

* * *

夜、夕食の後には林間学校で一番人気といっても過言ではない肝試しがありました。
肝試しといってもルールは簡単で、生徒たちが二人一組のペアになり、はぐれないように一緒にゴールを目指すというもの。
私はもともと別の女子とペアになることが決まっていたのですが、スタート直前に相手がAと交代することになりAとペアになりました。
決められた順番は最後から4番目。
スタート地点の部屋の先から、先に出発した生徒たちの悲鳴が聞こえることもありましたが、笑い混じりのそれは恐怖心をかき立てられるようなものではありませんでした。
ですが、なぜかAはずっと怯えていて「怖い」「嫌だ」と繰り返しながら、私の腕にしがみついていました。
それから数十分後、私たちの番が回ってきました。
どれほど怖がっていても進まなければ肝試しは終わらないので、私はAと手を繋ぎながら道を進みました。
足元にルートを示す懐中電灯が置いてあり、視界はそれほど悪くありません。
これならすぐにゴールできそう。と、そう思っていたとき、一歩後ろを歩いていたはずのAが私の手を放しました。
急に何があったのかと振り向くと、そこには壁に向かって歩いていくAの姿が。
明らかに様子がおかしいAに「なにやってるの?」と声をかけると、はっと意識を取り戻したようなAが私と壁を見比べて驚いた顔をしました。
「ここに道があったよな?」
「そこは最初から壁だけど……」
あからさまに動揺しており先に進めなさそうなAの話を聞くと、私には壁にしか見えていなかった場所に通路が見えていたというのです。
ですがそこにはコンクリートの壁しかなく、コンコンと叩いてみても空間があるような反響もありません。
「あっちから女の人の声がする」
「どんな?」
「おいで、おいでって……」
俺を呼んでるんだ。とまた怯えるA。
その話を聞いて、これまであまり現実味がなかった私も少し焦りはじめました。
Aの言葉を嘘だと思うこともできましたが、なぜか本当だと感じたのです。
怯えてしまって歩けなくなってしまったAを「ゴールまで行けば先生たちもいるから」と宥め、また手を繋ぎながらどうにか先に進みます。
ですがなぜか脅かし役の先生もおらず、通路にはルートを示す懐中電灯がときどき消えかけながらぼんやりと光っているだけ。
私の手を握りしめて後ろからついてくるAには歩いている間もずっと何かが聞こえていたのでしょう「声が聞こえる」「おいでって呼ばれてる」と繰り返し呟いていました。

そろそろ後半に差し掛かったころ。
Aが突然転んで、手を握っていた私も一緒に転びました。
私が痛みに泣きそうになっているとAが「なにかに足を引っ張られた!」と半狂乱に。
泣いてる場合じゃないとAの足元を見れば、通路の端に置かれていた脅かし用の布製の人形が。
前を歩いていた私が見たときには壁にもたれていたはずのそれの布が、なぜかAの足首にぐるぐると巻き付いていました。
ほとんど泣いてしまっているAの足から布を外していると、Aが急に嬉しそうな声を出しました。
「窓の外に女の人いるじゃん」
脅かし役の大人ってちゃんといたんだな。と安心しているAでしたが、私はその瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走りました。
私たちが立ち止まっていたそこはちょうど、夕方に女の人を見かけた例のサナトリウムが見える中庭に続く扉の前だったのです。
私は、他の人を見つけて少し落ち着いた様子のAを「早く先に行こう」とせかしました。
我ながら強引だったとは思います。
ですが私は、人形が不自然に動いたことよりも元の道を戻ることも、その場にとどまることも嫌で嫌で仕方なかったのです。
―― だって、学校が用意した脅かし役なら、どうして窓の外にいたのでしょうか?
―― どうして、私にはAの言うその女の人が見えなかったのでしょうか?
―― Aが見ていたモノは、いったい、ナニだったのでしょうか?
私はAにはなにも言いませんでした。なにも言えませんでした。
ただでさえ怯えているAをこれ以上怖がらせても意味がないと思いましたし、なにより私自身の頭がおかしくなってしまいそうでした。
窓の外に行ってしまいそうなAの手を無理やり引いて、私は急いでゴールを目指しました。
さいわいにも、中庭の前を通り過ぎてしまえば不思議なことは起こらなくなりました。
それから数分何事もなく道を進み、ゴールに到着したとたん、私とAは先生たちからひどく叱られました。
理由は、10分ほどで終わるはずの肝試しなのに、いつまで経ってもゴールに来なかったからです。
一本道のはずなのに、いったいどこで寄り道をしていたのかと問い詰められました。
私とAには身に覚えがなかったので道中であったことを説明したのですが、人形はただの布で動くわけがないし脅かし役の女の人もいないと言われてしまいました。
そしてなにより、私たちとすれ違わなければいけないはずの後ろの3チームが私たちより先にゴールしていたのです。
彼らは私たちを見なかったと言いました。
結局、私とAの話は誰にも信じてもらえず、ただのいたずらということで片付けられてしまいました。
ですが、翌年からサナトリウムの女の怪談もされなくなり、肝試しもなくなったのです。

あの日、私たちが体験したことはいったいなんだったのでしょうか。
夕方に見た女の人は、どうして他の生徒たちと私たちとで姿が違って見えたのでしょう。
肝試しの途中で起きた不気味なできごとは、なぜ他の生徒たちには起こらなかったのでしょう。
彼女を見た私と、手を振り返したAと、それ以外。
これらはすべて偶然だったのでしょうか……?
 

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