手放すということ
自己紹介の中で書いた「研究開発から人材開発・組織開発へ」というチャレンジ
1年前には思ってもいなかったところに今の自分がいる(いい意味で)のですが、これって「手放すこと」でもありました
次の何かを掴むために
昨年の7月末ごろ、こんなメモを書いてました
いつの頃からか、
「わたしが掴んでいることができるものには限界がある。だから、次の何かを掴むのなら、今持ってる何かを手放さないといけない」
っていう感覚を持ってました
これって、多分、世の中の真実でも何でもなくて、「積み上げていく」っていう感覚を持っている方もいらっしゃると思います
でも、私は、手放すことで変化してきた気がしています
そのことは、自己紹介でも書きましたので、そちらでご覧いただければと思いますが、ひとつひとつの変化(手放すこと)がなければ、今いるところまで到達しなかったと思っています
手放すときには、いろいろとありました。何も考えずにスッと手放せたとき。そして、掴んでいる指をひとつひとつ引き剥がすように手放したとき
そんな「手放して、次の何かを始める」ことの積み上げが今の自分を作っています
面白いことに、その「変化」や「チャレンジ」に関して、最近感じていることは、
自分の将来に責任を負わなくていい
ということ
自己紹介にも書いたとおり、私はそろそろ還暦です
還暦でキャリアチェンジって自分でも面白いなと思うのですが、最近感じることって、「この年になると、もう自分の将来に責任を負わなくていい。将来の自分のキャリアなんて考えなくていい。どこに向かってもいい。好きにチャレンジすればいい」ということ
何か、とても自由になって来た気がします
5年後の自分は何をしてるんでしょうか?
何を手放して何を得てるんでしょうか?
自分はどう変化しているんでしょうか?
興味に対しては正直に
この変化を進めるのって「興味」っていうエンジンだなと思います
なので、「興味」に対しては、正直でありたいなとおもいます。「興味」に従って手放したり積み上げていったときに、私独自のユニークな経験のミックスが出来上がっていきます。それは、私の自己基盤になっていくと思います
最後に、私の好きな風景を貼っておきます
現代アーティストの杉本博司さんの美意識の集約、小田原の「江の浦測候所」の2つの施設、「夏至光遥拝100メートルギャラリー 」と「冬至光遥拝隧道」
「夏至光遥拝100メートルギャラリー 」は、夏至の朝日がギャラリーの通路にまっすぐ入り込んで駆け抜けます。「冬至光遥拝隧道」は冬至の朝日が同様に隧道をまっすぐに通り抜けます。二つの建物は上下で重なるように作られていて、その角度が夏至の太陽の方向と冬至の太陽の方向の差をそのまま示しています
興味に対しては正直に、まっすぐに、そんな気持ちで貼っておきます
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