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先達の忍耐の凄み

聖公会新聞 2010年 1月号

雪国に生まれ育ち、冬の寒さや雪景色に慣れ親しんで来た。しかし、札幌の冬よりも更に厳しい寒さを体験している。旭川は盆地で、空がスカッと晴れると夏は30度を軽く超え、冬はマイナス20度に迫る。日中でもマイナス10度近い日もあり、そんな日は外に出ると一足毎に「寒い!寒い!」を連呼してしまう。あまりの空気の冷たさに、ノドが刺激されて咳が出る。


日本列島の最北端にある稚内聖公会の管理をしているが、ここの寒さも海からの強風が加わって、相当厳しい。冬は月に一度、ストーブに火が入るきりの教会。礼拝のずっと前から近所の信徒に点火してもらい、室内が暖まる頃に水道管の元栓を開ける。水が出ても排水管が凍っていて、流し台に水がたまってしまうこともある。そんな時は、お花を生けるのも一苦労なのだ。礼拝後に信徒が帰ると、水道管の元栓を閉めて水を落とし、排水管には不凍液を流し込んで凍結を防ぐ。お手洗いにはパネルヒーターを入れて、24時間暖房しておく。冷蔵庫に入れれば凍らない、と言うのはまんざら嘘ではないようだ。


先輩聖職によると、「昔は皆そうだった」のだと言う。お金もなく、設備もなかなか整わなかった時代の教会生活には、冬に凍ってしまった物のエピソードは尽きない。部屋の中に雪が積もることや、呼気で布団が凍ること、ストーブがある部屋の反対側でコップの水が凍ること。今では想像を絶するが、それが普通だった時代があった。


稚内聖公会にも定住牧師が住んでいた時期があり、そこで新婚時代を過ごされた先輩方もおられる。厳寒地での素朴な生活は、いくら皆がそうだったとはいえ、厳しい寒さへの忍耐が必要とされることが容易に想像できる。

北海道で聖職を志すと言うことは、この生活を選び取る意志があることの表明でもあったと思う。実際にこの教会で、どのように暮らし、どのように人を迎え、送り出してきたかを想像すると、歴代聖職たちの姿にはいつも「凄み」を感じさせられる。忍耐を止めない姿勢には、この教会を起こされた偉大な方への信頼と証しがあるからだ。その姿に近づきたいと願いつつ、現代っ子の自分はしもやけが気になってしまう。

わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。
(ローマの信徒への手紙 5章3~5節)


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