神の気配が伝わる
どこか南の方で桜が開花したとの知らせが届いた。北海道は未だに雪景色。春と冬が隠れん坊する季節だ。うららかな日射しと荒々しい吹雪が毎日入れ替わる。北国では急激な天候の変化に耐えながら、暖かい春の日を心待ちにしている。
先日の吹雪の日、保育園の卒園式が行われた。旭川頌栄保育園では、16名の園児が保育証書を受け取った。子どもたちは緊張で硬くなりながらも、真っ直ぐな瞳で園長先生を見上げ、しっかりと握手を交わして行った。
どの子の顔も、希望と喜びに輝いていた。式の後には生活発表会があり、卒園児は一人一人将来の夢を聞かせてくれた。クレープ屋、ケーキ屋、オリンピック選手、警察官、消防士、医師、看護士など、人に喜んでもらいたいから、人を助けたいから、という理由を教えてくれた。どれも皆、素晴らしい夢である。
中でも胸を打たれたのは、「大きくなったら、保育園の先生になりたいです。○○先生みたいに、素敵な先生になりたいからです。」と、担任の名前を呼んだ園児の言葉だった。
この園児が生後間もなく入園した時、担任は新卒の保育士だった。未熟で初々しい者同士で過ごした六年間で、赤ちゃんは少女に成長し、若い先生は子どもに「素敵だ」と感じさせる保育士に成長したのだ。担任も親も職員も運営委員も、感動で目頭が熱くなった。
出会いは人を作る大事な要素だと思っている。自分もまた、多くの出会いを通してその姿に影響を受け、憧れや目標を描いて歩んできた。生き生きと働く女性の姿に憧れを抱いたのは、小学校の恩師が最初だった。
その後、北星学園に学び、米国人女性宣教師が生涯をかけて設立した学校であることを知った。
パプアニューギニアの森の中で、若い働き盛りの時期を過ごした聖書翻訳宣教師と出会い、その人生に衝撃を受けた。
英国で初めて女性の司祭に出会い、それまで気付かなかった現実を知った。
(*日本聖公会には、当時まだ女性の司祭は存在しなかった)
最も強く影響され、刺激を受けたのが、神様の働きに仕える人との出会いであった。目の前にいる人と深く関わって共に生きようとする働き人に聖霊が働き、神様への信頼と、イエス・キリストの愛が映し出されているのを私は見たのだ。
それはとても素晴らしく、私もそのようになりたいと願わずにはいられなかった。
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。(コリントの信徒への手紙Ⅱ 3章18節)
2010年 3月 聖公会新聞