声が出なくなる
その日は突然やってきた。
当時、大手アパレル企業の店長として働いていて13連勤もしていた頃の話である。20歳の頃。
帰り道、ボーッとしてると急に目の前が斜めに見えた。
私は不思議に思いながらも、家の最寄り駅からバス停に並び最終に近いバスに乗った。ボーッとボーッとしていた。
思い出すのは、閉店後に、販売スタッフが集まらない事や、指示出しが出来ない事、売り上げが取れない事をガミガミ電話で言われワンワン泣く私の姿だった。同僚も部下も何も言わず助けてくれなかった。私からアクションを起こす事が出来なかった。
辞めたいな……。
家のバス停のそばで降りて、何でも無い顔をして、コンビニで夕ご飯を買った。
家には当時はまだ結婚してなかった前夫が待っていた。
「おかえり」と言われて、その後の事が朧げにしか思い出せない。私は、彼に何かを話そうとした。
その瞬間、私の事は出なくなった。
口を開けて動かしても、1ミリも声が出ないのである。「あ」の一文字さえ言えない。
私はボロボロと涙を流しながら、彼にメモを求めて書いた「パパとママに連絡して」なぜ、そうしたかも分からないほど、朦朧と混乱で私は故障してしまった。
父は霊媒師なのでお祓いをしてくれた。母の言葉が、一番私に刺さった。「美智子様と同じだね。明日、病院に行きなさい。労災はもらえたらもらいなさい。」的確で冷静だった。
美智子様は、陛下のもとに嫁いだ時に適応障害になり声が出なくなった事がある。私は、妙にそれを聞いて納得した。治るんだ!と思った。
次の日は、小さな声で話すくらいには戻っていたので安心した。まずは病院へ。心の病への抵抗とか、そんな事を言ってる場合では無い状態だった。少しお薬をもらった。
退職は上司とメールの応酬だった。私は「話せないから辞める」の一点張りで何とか退職が認めてもらえた。そうでないと辞められないくらい、辞めた会社は逼迫していたのかもしれない。
私は、体重も165cmに48kgとガリガリにやせて、同じフロアの他の店員さん達にも心配されていた。労災は今なら出るかもしれないが、当時は心の病で受け取るのは難しく出なかった。私は辞められれば何でも良かった。
ワカメおにぎりとサラダ。
ワカメおにぎりとサラダ。
ワカメおにぎりとサラダ。
お昼がそれしか選べなくなっていた。
でも、今は、店長にならなければ…あの会社に入らなければとは思わない。全てが私の経験値。本当に楽しくてエキサイティングな瞬間もあったし、やりがいも沢山あった。専門学校から大人にしたのは、間違いなくあの会社だ。
ダメージは大きかったけれど、その会社で学んだマナーや言葉遣い、気づきは今の私に焼きついている。
もともと、私を可愛がってくれていた直属の上司がメールの応酬の最後に「私のせいだったかもしれない。」と書いて送ってきた。若く弱っていたあの時の私は何も言えなかった。
今だったら「色々と教えてくださりありがとうございました。」と笑顔で言える気がする。
時々彼女の長い癖っ毛の背中を思い出して憂いてしまう。
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